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バテレンの侵略から日本を守った信長・秀吉・家康の戦い

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大航海時代、ポルトガルとスペインは、キリシタンを尖兵として、世界侵略を進めていました。中南米、フィリピン、マカオなどがその例です。その危険性に気づいた三英傑が日本を守りました。
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記事一覧

JOG(982) ヨーロッパとの出会い

 キリスト教宣教師を尖兵として世界を植民地化しようとする西洋諸国に、日本はいかに対峙したか。 ■1.「ポルトガルとスペインの世界分割」  16世紀にイスラム文化の影響によって天文学や地理学が発達し、羅針盤や帆船の技術が進むと、大西洋に面したスペインとポルトガルが競って海外に乗り出した。その様子を育鵬社版の中学歴史教科書は次のように記述する。 __________ ポルトガルとスペインの世界分割 ポルトガルとスペインは,軍隊や商人,宣教師をアジアの諸地域と南北アメリカ大陸

JOG(964) 隠された西洋史 ~ 人種差別と奴隷制

 ヨーロッパ人の強欲非道の歴史を隠してしまえば、真実の世界史も日本史も見えなくなってしまう。 ■1.ボストン公共図書館の半旗  ボストンの中心街に聳えるボストン公共図書館は1848年創設、その面積は東京ドームより広く、いかにもアメリカの国力を誇示するような広壮な建物だが、その正面に何本も並ぶ星条旗がすべて半旗になっていた。  最近、白人警官が無抵抗の黒人を射殺する事件が相次ぎ、全米各地で抗議デモが広がる中、ダラスで黒人容疑者に狙撃されて死亡した5人の白人警官に弔意を示し

JOG(498) 冷戦、信長 対 キリシタン(下) ~ 信長の反撃

 信長の誇示する軍事力を見て、宣教師たちは日本の植民地化を諦めた。 ■1.信長の富国強兵策■  ポルトガル・スペインが、マカオやフィリピンを植民地化し、 なおかつ宣教師たちが九州のキリシタン大名を交易や軍事援助 を通じて後押ししている様を見れば、彼らの最終的な狙いが日 本の植民地化にあることを信長は見通していたであろう。天下 統一を進める信長にとって、思わぬ伏兵がいたのである。彼ら の布教を許したことを「我一生の不覚也」と言ったのは、この 故であった。  しかし、そこは

JOG(497) 冷戦、信長 対 キリシタン(上) ~ 信長の危機感

 信者を増やし、キリシタン大名を操る宣教師たちの動きに 信長は危機感を抱いた。 ■1.「盗賊にして何かを得んと欲するか」■  天正8(1580)年、信長は安土城において、いつものように多 数の家臣たちを同席させて、宣教師オルガンチーノとその弟子 ロレンソ(琵琶法師から宣教師の弟子になった盲目の日本人) と3時間にわたって宗教論議を楽しんだ。  その後、信長は二人を別室に招いた。そこには、以前、宣教 師から献上された地球儀があった。信長はオルガンチーノに乞 うて、ヨーロッ

JOG(435) 島原の乱 ~ 持ち込まれた宗教戦争の種子

 欧州から持ち込まれた宗教戦争の種子が突然、日本の地で芽を出した。 ■1.「立ち帰った」キリシタンたち■  寛永14(1637)年10月、島原有馬村の二人の百姓が、天草 へ行き、そこで「天の使」として布教を始めた益田四郎という 16歳の少年(天草四郎)に帰依して、キリシタンが礼拝する 絵像を持ち帰り、村人を集めて布教を始めた。  四郎は習わぬのに文字を読み、キリシタンの講釈を行い、ま た海上を歩いて見せたという。そして、次のような檄文が流布 されていた。 ______

JOG(154) キリシタン宣教師の野望

 キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とすることを、神への奉仕と考えた。 ■1.「立ち帰った」キリシタンたち■  寛永14(1637)年10月、島原有馬村の二人の百姓が、天草へ行き、そこで「天の使」として布教を始めた益田四郎という16歳の少年(天草四郎)に帰依して、キリシタンが礼拝する絵像を持ち帰り、村人を集めて布教を始めた。  四郎は習わぬのに文字を読み、キリシタンの講釈を行い、また海上を歩いて見せたという。そして、次のような檄文が流布されていた。 _

JOG(3) 悲しいメキシコ人

 日本がスペイン領になっていたら ■1.メキシコ人とアメリカ人の反目■  テキサスからカリフォルニアにかけて、アメリカとメキシコとの国境沿いに、マキラドーラと呼ばれる保税地域が点在している。アメリカ側から部品を無税で持ち込んで、メキシコの安い労働力で組み立てし、またアメリカ国内に出荷するという形で、多くの企業が集まっている。  テキサス州のエルパソもその一つで、メキシコ側のファーレス市とリオ・グランデという川一つ挟んで、隣接している。エルパソから、ファーレスに入ると、道