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JOG(1334) 中国大陸で漢族と覇権を争った倭族

 漢族に敗れた倭族は「東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島」に広がった。


■1.タイの山地で見つけた鳥居と締め縄

 1980年2月に鳥越憲三郎・大阪教育大学名誉教授率いる10人弱のチームがテレビのドキュメンタリー収録のためにタイ国の山地に住む少数民族アカ族を訪れました。メンバーの一人はこう語っています。
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 一同が驚いたのは、タイの人たちが山地民族と呼んでいるアカ族の集落にたどり着いたとき、日本人ならば誰でも鳥居とイメージする鳥居の形をした木製の入り口があり、驚いたことに、その鳥居に複数の木製の鳥がとりつけられていたことである。文字通り、本物の"鳥居"だったのである。さらに注連縄(しめなわ)がかけられていた。[鳥越R02、4660]
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冒頭写真参照[鳥越H12、p218]

 鳥越憲三郎教授は、自らの「倭族」論を次のように要約しています。

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(倭族とは)中国の南部に横たわる長江流域に発祥し、稲作と高床式住居を顕著な文化的特質として、東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島に移動分布した民族
[鳥越R02、19]
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 倭族とは稲作を始めた民族であり、日本に水田耕作をもたらしたのは、漢族ではなく、倭族でした。その倭族が縄文人と混血して、現在の日本人が生まれたというのです。

 さらに倭族は中国大陸で漢族との戦いに敗れて、「東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島」に広がっていきました。とすれば、これらの地域に住む人々は日本人の遠縁となります。鳥越教授の「倭族」論は、我々日本人の自己認識を引っくり返す威力を持っています。

 この「倭族」説が世界の常識となれば、日本人はもう極東の孤立した民族ではありません。倭族の中で、最先端の近代国家を作り上げた「出世頭」であり、今後、遠縁の諸民族と親戚づきあいをしながら、一緒にやっていくことができるのです。

 ちなみに、「倭」とは「醜い」という意味で、「倭人」「倭族」とは黄河流域に発祥した漢族がつけた蔑称でした。本来なら、「倭人」たちが自分自身に対してつけた呼称を用いるべきところですが、どうもそれは伝わっていないらしく、鳥越教授の提示した仮説にしたがって、本稿では「倭族」とします。

■2.「稲作と高床式住居」の長江文明

 倭族の特徴である「稲作と高床式住居」について、鳥越教授の説を見てみましょう。

 1973年に発見された長江河口部の河姆渡(かぼと)遺跡で、数十センチに堆積した稲籾(いねもみ)・稲茎・稲の葉、および高床式建物の部材が発見されました。分析の結果、7千年前のものであることが判明して、世界を驚かせました。黄河文明の発祥である黄河中流域が6千~6千5百年前ですから、それよりも古いのです。

 長江流域は野生種の稲が自生しており、それらを栽培することで、この地で世界最初の水稲耕作が始まったと考えられています。水田の遺構は見つかっていませんが、多種多様な農耕具も出土して、水稲農耕が行われていたのは確実と考えられています。

 また、1千点以上の柱・梁(はり)・板なども出土して、なかには長さ100メートルにも達する高床式長屋もあったことが分かりました。高床式とは、日本の神社の本殿のように床面を地上より持ち上げた建物です。

 住居を高床式とすることで、通風性に優れ、洪水の被害を防ぎ、またハシゴを外せば、蛇やネズミなどの侵入を防げます。建物に入るときには履き物を脱いで、家の外と内を完全に分けます。室内では床に座り、寝る時も床に敷物を敷きます。これは日本の伝統的な暮らしそのものです。

 一方、黄河流域では、粟や麦の畑作で食料を得ます。家屋は寒さと強風に耐えるために土壁です。土間を床としているので、外の履き物のまま室内に入ります。椅子に座り、寝台で寝ます。

 このように、「稲作と高床式住居」の長江文明と、「畑作と土間式住居」の黄河文明では、まったく生活のスタイルが異なるのです。

■3.鳥居と注連縄の意味

 鳥居と締め縄についても、見ておきましょう。鳥居は村の出入り口を悪鬼・悪霊から護る「村の門」です。村の外に出ていた村人は、この門をくぐって村に入ることで、身体についていた邪霊が取り除かれ、心身ともに清浄になります。

 この「村の門」は我が国の神社の入り口に建つ鳥居の原型です。鳥居とはまさしく「鳥が居る」所で、鳥は「村人を護りに天から降りてくる神の乗り物」です。鳥が鳥居にいることで、神が鳥に乗って天から降りてきて、村の門に宿っている事を示します。

 鳥居だけでなく、屋根の上にも鳥の飾りが置かれます。これは家を護ってくれる神様の乗り物です。この「棟飾り」の鳥は、7千年前の河姆渡遺跡からも出土しています。

 ただ、アカ族と日本の鳥居には、構造上、違う点が一つあります。鳥居の一番上の横木を「笠木(かさぎ)」、その下の横木を「貫(ぬき)」と言いますが、「貫」は鳥居の補強材で、アカ族では毎年鳥居を建て替えるので、必要ありません。

 注連縄(しめなわ)とは「締め縄」で、悪鬼・悪霊を縛り付けるものです。竹や藁などで編んで目玉の形にした「鬼の目」という呪具を締め縄からぶらさげます。「鬼の目」は大きな目をした怪物で、侵入者に対する脅しです。

 こうした鳥居、鳥の棟飾り、締め縄、鬼の目が、さまざまなバリエーションはありながらも、倭族の住む世界各地で見つかるのです。

 南朝鮮でも同じです。たとえば、鳥越教授の著書では韓国南端の島、済州島で、門柱に2メートルほどの注連縄を張った家の写真を掲示しています。その中央辺りに縄の結び目があり、これはまさしく鬼の目を現したものです。この注連縄は家で神祭りをしている期間、掛けられます。

 注連縄の習俗はほぼ北緯38度線を境として、その北のツングース族の高句麗の地域にはなく、後述のように倭族が渡来した南朝鮮にみられます。

■4.倭族の殷王朝が黄河文明の基礎を築いた

 次に、倭族がどのように「東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島」までに広がったのか、歴史的経緯を見てみましょう。

 倭族の長江文明は漢族の黄河文明よりもだいぶ早く始まったのですが、黄河文明そのものにも影響を与えていたようです。

 中国最古の王朝は、紀元前21世紀に黄河中流域で建国された夏(か)王朝と『史記』に書かれていますが、考古学的に実在が確認されている最古の王朝は殷(いん)王朝です。紀元前17世紀頃に、夏王朝を滅ぼして、建国されたとしています。

 しかし、実はこの殷王朝は、黄河下流域の倭族(東夷)が建てたもので、20万平米の城子崖遺跡を中心に、15万平米、11万平米と巨大な城や数十の群城を築き、強大な富と軍事力を誇っていました。殷は夏を滅ぼした後、黄河中流域に進出して、204万平米もの豪壮な城を作ります。鳥越教授は、次のように評します。

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・・・その殷王朝が、黄河文明の基盤を築いたといっても過言ではない。つづく周代以降の王朝は、ただそれを発展させたのにすぎず、中国文化史の上における殷の功績は絶大であった。そのため『史記』は殷王朝を無視することができず、東夷の出自であることを伏せて、黄河中流域に発祥した古代王朝の中に殷王朝を組み入れて記述した。[鳥越H12、p75]
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■5.滅亡した呉の亡命者が、南朝鮮と日本列島に逃れた

 周は始祖・古公亶父(ここうたんぽ)により建てられましたが、当初は殷の属国でした。後に、殷を滅ぼして、周王朝を開きます。

 古公亶父には3人の息子がいましたが、三番目の季歴に王位を継がそうとしたため、長男の太伯(たいはく)と次男の虞仲(ぐちゅう)は身の危険を感じて、長江河口のデルタ地帯に逃れます。

 そこは倭族の住域なので、二人は断髪文身して倭族の仲間入りします。断髪とは、頭の頂に一房の髪だけを残して、周囲をそり落とすこと。文身とはイレズミです。これも倭族の習俗でした。この太伯が前1096年に首領に推挙されて、呉の国を建てます。

 一方、呉の南には越(えつ)の国がありました。こちらも倭族の国ですが、王族どうしの因縁から、宿敵の関係となってしまいました。今日「呉越同舟」というのは、そんな宿敵同士の民でもたまたま同じ舟に乗り合わせて、暴風に襲われた時には助け合った、という故事から、仲の悪い者どうしでも共通の困難には力を合わせる、という意味で使われます。

 呉は前473年、越により滅ぼされ、亡命者たちは北方の山東半島に向けて逃れます。その地では「東夷」と呼ばれた倭族の民が呉の領民となっていました。彼らは稲作文化を携えて、黄海を渡り、朝鮮半島の中・南部に逃れます。北に行かなかったのは、渤海湾から遼東半島、北朝鮮にかけては、強大な燕(えん)が勢力を張っていたからです。

 呉の亡命者たちは朝鮮半島の中・南部で辰国を建て、それが後に馬韓(後の百済)、辰韓(後の新羅)、弁韓(後の任那)に分裂します。これが韓民族の始まりです。

 半島南部に逃れた倭族の一部が、対馬・壱岐を経由して、九州北部に稲作技術を伴って渡来しました。これが弥生人だった、と鳥越教授は指摘しています。『晋書』倭人伝には日本の倭人が「自ら太伯の後という」と記されています。呉の亡命者であるからこそ、呉国の始祖・太伯の後裔だと、自負していたのでしょう。

■6.ベトナム、ミャンマー、ラオス、タイへ

 一方、呉を滅ぼした越も、黄河中流を支配する大国・楚に滅ぼされます。楚は倭族ではなく、苗族の国家だと鳥越氏は指摘しています。国を滅ぼされた越人たちは福建、広東、越南(ベトナム)に逃れました。その楚も前223年、秦の始皇帝の全国統一によって滅ぼされます。

 こうして長江流域で長江文明を生んだ倭族は、一時は殷を建てて大陸に覇を唱えるも周に滅ぼされ、また周末の戦国時代には、呉、越が覇を争いましたが、敗れた呉は南朝鮮から日本へ、越はベトナムや他の東南アジア地域へと離散していったのでした。

 さらに長江上流の四川省、貴州省、雲南省という今日の中国の南西部にも「西南夷」と呼ばれた倭族の国がいくつかありましたが、これらも秦の始皇帝や前漢の武帝によって滅ぼされてしまいます。これらの倭族はその後、中国内の少数民族となるか、ミャンマー、ラオス、タイなどに逃れていきました。

■7.ランドパワーとシーパワー

 こうして倭族は中国大陸の南部、長江沿岸に先進的な文明をもって登場し、一時は黄河の中下流域まで支配していましたが、徐々に漢族により「東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島」に押し出されていきました。

 これは地政学のランドパワーとシーパワーの戦いを彷彿とさせます[JOG(1196)]。漢族は畑作と牧畜を生業とするランドパワーであり、倭族は水田耕作と漁撈を中心とするシーパワーと言えます。中国大陸の平原部では、陸上戦に強い漢族が倭族を駆逐しましたが、倭族は日本列島や台湾、フィリピン、インドネシアなどの島嶼部、そして東南アジアのジャングルや山間部に退いて防戦しました。

 考えてみると、ランドパワーは攻撃的、シーパワーは平和的になるのかも知れません。中国大陸の大平原では自国の領土をいくらでも広げることができます。逆に、他者からいつ攻撃を受けるかもしれません。したがって、常に他者の動きに目を光らせ、隙あらば攻めかかる、という弱肉強食の世界になりがちです。

 一方、倭族のように水田耕作を主体にすると、同じ川から、それぞれ水路を引いて取水しようとすると、互いの権利を尊重して共存した方が賢明です。また、漁撈では魚を採り尽くすことのないよう、自然との折り合いをつけなければなりません。こう考えると、倭族は水田耕作と漁撈を通じて、社会との和、自然との和の大切さを学んだのかも知れません。

■8.縄文人は倭族を平和的に迎え入れた

 日本列島の原住民である縄文人たちも、社会の和、自然との和を重んじて、狩猟採集で世界最初の定住生活を実現したのですが、興味深いことに日本列島にやってきた縄文人と倭族は、仲良くやっていたようです。鳥越教授はこう記します。

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 ところで注目すべきは、初期の遺跡からみると、倭人と先住民である縄文人とが闘争することなく、縄文人は倭人を文化人として受け入れていることである。しかし倭人は次第に縄文人を支配するようになり、新たな弥生文化が造り出されることになる。それが戦乱の時期を迎えるのは弥生時代中期で、それも弥生人同士の権力欲によるものであった。[鳥越H12、p202]
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 縄文人が倭族をどう受け入れたのか、は弥生時代を解明する上でのキーポイントですが、JOG(1300)では、日本列島にいた縄文人自体が中国大陸の東海岸に渡って、倭族となって長江文明を築いた、という説を紹介しています。とすれば、倭族も縄文人も、もともとは同じ種族であり、ともに社会の和、自然との和を尊ぶ文化を持っていたということになります。それなら平和的共生も当然です。

 戦乱の大陸から距離を置き、自然豊かなこの美しい日本列島にやってきた倭族、後の弥生人たちは、彼らの理想とする先祖の地に辿り着いたと言えるのかも知れません。このあたりは、また別の機会に論じたいと思います。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・JOG(1300) 世界に遺された縄文人の足跡
 南太平洋のバヌアツ、南米エクアドルなど、世界各地で縄文土器が発見されている。
https://note.com/jog_jp/n/n855fec08b7bd

・JOG(1196) 地政学で対中戦略を考える ~ 北野幸伯『日本の地政学』を読む
 地政学的に見れば、21世紀初頭の日中関係は20世紀初頭の英独関係にそっくり。台頭するドイツを英国はいかに抑えたのか?

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・鳥越憲三郎『倭人・倭国伝全釈 東アジアのなかの古代日本』★★、角川ソフィア文庫(Kindle版)、R02
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・鳥越憲三郎『古代中国と倭族―黄河・長江文明を検証する』★★、中公新書、H12
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4121015177/japanontheg01-22/

・鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査』★★、中公新書、H4
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/412101085X/japanontheg01-22/

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