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JOG(1307)『安倍晋三回顧録』にみる官僚との「暗闘」

政治家は省益しか考えない官僚とも闘わねばならない。民意の支持が最大の援軍。


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■1.安倍元首相の肉声が聞こえてくる『回顧録』

『安倍晋三回顧録』[以下引用はすべて同書から]がAmazon総合1位と、売れに売れています。首相退任後に行われた36時間ものインタビューを書籍化したものです。早速、読んでみましたが、安部元首相が語っている口調までもが思い起こされて、肉声を聞いているような気がしました。

 480ページもありますが、次々に襲ってくる難題にどう考えて向かっていったのか、が赤裸々に語られていて、まさに「知られざる宰相の『孤独』『決断』『暗闘』」という副題がぴったりの内容です。引き込まれるように読み終わってしまいました。

 もっともこれは安倍元首相から見た光景であり、他者から見ればまた別の見方もあるでしょうが、そこは冒頭に編集者が、この本は「安倍晋三の『陳述書』」であり、それが正しいかどうかは「歴史という法廷」で裁かれる、と前置きしています。[p7] 

 ここでは、安倍首相の言葉に耳を傾けて、どういう思いで、どのように決断をしたのか、そのごく一端を見てみましょう。それだけでも、安倍元首相が誰とどう闘ったのか、驚くべき内容が次々と出てきます。

■2.背後にいる官僚たちとの「暗闘」

『回顧録』の中で最も印象に残ったのが、官僚との「暗闘」です。中国や北朝鮮などとの交渉は外目にも見えますが、元総理がこれほど背後の官僚たちからの攻撃と闘ってきたとは思いませんでした。その端的な例が、集団的自衛権の憲法解釈変更の問題です。

・・・山本庸幸法制局長官とは、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする話を随分としたのです。でも、堅かった。集団的自衛権は国連憲章第51条で加盟国に認められています。日本も国連加盟国ですから「国際法上、日本にも権利がある」と私が言っても、山本さんは、「憲法上認められません」と主張を変えず、ずっとすれ違いでした。ならば代わってもらうしかないと思いました。12年の衆院選で、自民党は行使容認を公約していましたから。[安倍、p105]

「堅かった」のは山本庸幸氏の個人的な考えというだけではなく、内閣法制局自体に、巣くっている慣習からでした。

 内閣法制局といっても、政府の一部の局ですから、首相が人事を決めるのは当たり前ではないですか。ところが、内閣法制局には、長官を辞めた歴代長官OBと現在の長官が集まる参与会という会合があるのです。この組織が、法制局では絶対的な権力を持っているのだそうです。そこで、法制局の人事や法解釈が決まる。これは変でしょう。国滅びて法制局残る、では困るんですよ。第1次内閣の時も、法制局は私の考えと全く違うことを言う。従前の憲法解釈を一切変える気がないのです。槍が降ろうが、国が侵略されて1万人が亡くなろうが、私たちは関係ありません、という机上の理論なのです。でも、政府には国民の生命と財産に対して責任がある。法制局は、そういう責任を全く分かっていなかった。[p106]

■3.「命を懸けて仕事をしていただいた」

 こういう組織的抵抗を排除するためには、その組織のトップを変えるのが常套手段です。安倍元総理は小泉内閣の官房長官時代から、集団的自衛権に関する勉強会をやっていて、その中に外務省国際法局長だった小松一郎氏がいました。「小松氏は国際法の専門家で、小松さんならば国会答弁を乗り切れると思い、交代を決めた」[p106]のでした。
 小松氏はがんを患い、行使容認の閣議決定直前の14年6月に他界されました。

 戦後長く続いた憲法解釈を変更するわけですから、小松さんにはものすごい負荷をかけてしまった。小松さんの存在抜きには、実現できなかったと思いますよ。奥様から「本人は、ここまで素晴らしい仕事ができて悔いはない、と言っていた」という話を伺いました。命を懸けて仕事をしていただいたと思っています。[安倍、p107]

まさに内閣法制局という岩盤との戦いでした。

■4.「厚労省は政権の足を引っ張りすぎ」

 様々な局面で頻繁に安倍内閣の足を引っ張ったのは、厚労省でしょう。安倍氏はこう総括しています。

第1次内閣の時に、年金保険料の納付記録が漏れていた「消えた年金」問題が明らかになりました。18年は、働き方改革の根拠となる裁量労働制のデータがいい加減だった。19年は、毎月勤労統計の不適切な調査を放置する職務怠慢。そして20年以降は、新型コロナウイルス対策で検査や医療の問題が起きました。厚労省は政権の足を引っ張りすぎですよ。[安倍,p309]

 こうした問題が起こるたびに、野党の国会審議、マスコミの炎上で、官邸は火消しに追われるのです。特に年金問題は平成9(1997)年に年金番号導入決定以来、10年経っても5千万件もの記録不整合が残されていた厚労省のずさんさに端を発していました。 

 安倍政権は、わずか1ヶ月で記録整合化に必要な体制と法律を確立しましたが、朝日新聞などの炎上報道により、政権支持率は44%から30%へと落ち込んだのです。第一次安倍政権崩壊のきっかけとなった問題でした。

 厚労省は新型コロナでも安倍政権の足を引っ張りました。富士フイルム・富山化学が開発したインフルエンザの治療薬アビガンを軽症の新型コロナ患者に使いたいという、現場の医師からの要望が強かったので、臨床研究という形で広く投与を進めると、防衛省の自衛隊中央病院でも顕著な成果が出ていました。

 厚労省の局長から「アビガンを承認します」と聞いて、安倍氏も令和2(2020)5月4日の記者会見で、5月中の承認を目指す考えを表明していたにもかかわらず、薬務課長が引っくり返したのです。 動物実験の結果から、妊娠中の女性が飲むと、障害がある赤ちゃんが生まれる恐れがあるという理由のようですが、それなら妊婦には処方しなければよく、またそもそもインフルエンザの薬としては承認されているのです。

 薬事承認の実質的な権限を持っているのは、薬務課長です。内閣人事局は、幹部官僚700人の人事を握っていますが、課長クラスは対象ではない。官邸が何を言おうが、人事権がなければ、言うことを聞いてくれません。
 ドイツでアビガンが効いたという症例が数多く出たため、アンゲラ・メルケル独首相が私にアビガンを送ってほしいと言ってきたのです。私が「では輸出しましょう。我が国では承認していないけれど」と言うと、メルケルは驚いていましたよ。[p34]

■5.厚労省内部の医系、薬務系、事務系の内部抗争

 なぜ、こんな理解不能な「ちゃぶ台返し」がなされたのでしょうか?

厚労省内もバラバラなんです。医系技官、薬務系技官、キャリア(事務官)に分かれていて、医系やキャリアは次官までポストがあり、局長も多い。一方、薬務系技官は、課長か審議官止まりです。でも、薬とワクチンを承認する権限を握っています。[安倍、p35]

 かつて非加熱血液製剤がエイズウイルス(HIV)に汚染されている危険性を知りながら、回収を指示しなかった厚生省の官僚が罪に問われました。当時の厚生省薬務局長は事務系のキャリアだったので不起訴になり、一方、有罪が確定したのは、薬務系の技官だった生物製剤課長でした。

 局長がハンコを押して承認しているにもかかわらず、課長だけが有罪というのは、薬務系の官僚には不満でしょう。
 そうした歴史があり、多くの薬務系の技官は、「責任を取るのは私たちなんだから、私たちで決めさせてもらう」という意識が強いのです。[安倍、p34]

 結局、こういう厚労省内の内部抗争によって、アビガンが承認されず、多くのコロナ患者を救う道が閉ざされてしまったのでした。よく日本の官庁は「省益あって国益なし」といいますが、厚労省は省益どころか、省内も医系、薬務系、事務系の「閥益」のみなのです。

■6.財務官僚の注射が効いていた民主党政権

 一方、省内一丸となって抵抗勢力となっていたのが、財務省でした。アベノミクスは財務省との戦いでした。
 2012年の野田政権下において民主、自民、公明の三党間において取り決められた三党合意によって、「社会保障と税の一体改革」の一部として、従来5%の消費税率を、2014年4月1日から8%、2015年10月1日から10%とすることが定められていました。

 社会保障と税の一体改革は、財務省が描いたものです。当時は、永田町が財務省一色でしたね。財務省の力は大したものですよ。 時の政権に、核となる政策がないと、財務省が近づいてきて、政権もどっぷりと頼ってします。菅直人首相は、消費増税をして景気を良くする、といった訳の分からない論理を展開しました。民主党政権は、あえて痛みを伴う政策を主張することが、格好いいと酔いしれていた。財務官僚の注射がそれだけ効いていたということです。[p86]

■7.再増税延期のための衆院選挙

 民主党政権の間違いは数多いが、決定的なのは、東日本大震災後の増税だと思います。震災のダメージがあるのに、増税するというのは、明らかに間違っている。[p85] 

 この思いで、浜田宏一エール大学名誉教授などと何度も議論し、日銀の金融政策や財務省の増税路線が間違っていると確信していきます。これによりアベノミクスの骨格が固まっていきました。

 第二次安倍政権は、2012年12月にスタートしましたが、14年4月1日の消費税8%への引き上げは、3党合意通り、実施しました。谷垣禎一前自民党総裁など3党合意の自民党当事者たちが閣内でいる状況では、既定路線でいくしかないと安倍元総理は諦めていたのです。

 財務省はこの時、「いったん景気は下がってもすぐに回復する、谷が深ければ、それだけ戻ります」と説明していたのです。だけど、14年4~6月期のGDP(国内総生産)は年率で6.8%減となって、なかなか戻らなかった。財務省不信は一層強まりました。[p110]

 15年10月1日からの10%への再増税は何としても延期したいと考えました。

 増税を延期するためにはどうすればいいか、悩んだのです。デフレをまだ脱却できていないのに、消費税を上げたら一気に景気が冷え込んでしまう。だから何とか増税を回避したかった。・・・
 増税論者を黙らせるためには、解散に打って出るしかないと思ったわけです。これは奇襲でやらないと、党内の反発を受けるので、今井尚哉秘書官に相談し、秘密裡に段取りを進めたのです。[p135]

 こうして消費増税延期を掲げ、衆院選で大勝することにより、民意の力で、財政再建を急ごうとする財務省や自民党の増税派を封じ込めることができたのです。

■8.国民が主権を行使するための基本姿勢

 安倍元総理は自民党総裁として、12年、14年、17年の衆院選、13年、16年、19年の参院選と、国政選挙で6連勝しました。この結果、首相として憲政史上最長の在任日数を記録しました。

 この間、「安倍叩き」を社是のように行ってきた朝日新聞などの左翼メディアの攻撃にも関わらず、世論は安倍政権を支持してきました。朝日自体が行った世論調査でも、第2次安倍政権の7年8ヶ月を「大いに」17%、「ある程度」54%を合わせて、71%が「評価する」と答えました。[JOG(1181)]

 財務省を黙らせて第二次消費増税を延期できたのは、国政選挙での勝利でした。また、内閣法制局の憲法解釈を打破して部分的ではあっても、集団安全保障を認める解釈変更にこぎ着けたのも、国民の高い支持があったからです。逆に、厚労省のアビガン不承認なども、国民の側からの強い批判が噴出すれば、安倍政権を後押しして、圧力をかけられたでしょう。

 安倍政権には保守側からも、靖国の参拝問題、韓国との慰安婦合意、延期させたとはいえ消費増税をしてしまった事に対する根強い批判がありました。しかし、80点の政権を20点足りない、という理由で支持しなかったら、政権が弱くなって、60点しかとれなくなってしまうのです。

 政治家は常に諸外国との国益をかけた外交でぶつかりあい、国内では野党やマスコミの批判を乗り越え、さらには背後から弾を撃ってくる官僚とも闘わねばならないのです。そうした政治家の戦いに最大の力を与えるのが「民意」です。

 安倍政権が、こうした内外背後からの攻撃によく耐えて、相当な政治的業績をあげたのは、民意の支持があったからでした。それは安倍晋三という一人の政治家の業績というだけでなく、左翼マスコミに操られずに主体的に安倍政権を支持した民意の勝利でもありました。これこそが「国民主権」の正道です。

 我々有権者は、100点でないから政治家を見離すという姿勢は改めるべきです。60点の政権で、民意の後押しがなければ40点になってしまいます。民意の後押しがあれば、80点になるかもしれません。これが国民が主権を行使するための基本姿勢なのです。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

・安倍晋三『安倍晋三 回顧録』★★★、中央公論社、R05

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