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万有引力は、愛だ①

Doubt thou the stars are fire,
Doubt that the sun doth move,
Doubt truth to be a liar,
But never doubt I love.(2.2 Hamlet Shakespeare)
星々が火でできていることを疑おうとも、
天動説を疑おうとも、
真実が嘘であると疑おうとも、
私の愛は疑わないでくれ。(『ハムレット』シェイクスピア 拙訳)

とてつもなく大きい話題を扱う。

正直これを読む人がなんと思うかわからない。

ただ、噓も方便という言葉があるだろう。「方便」というのもこれまた仏教用語で、悟りに到達するために導く言葉を指す。とりわけ注目すべきは、嘘もそれに含まれるということ。相手の精神的、宗教的段階に合わせて悟りにつながる導きを与えることが重要であるということ。

いい嘘と悪い嘘があるとしたらこれは「いい嘘」だね。(良いも悪いもないというのが私の先の記事で書いた見解だ)

愛(日本の場合)

日本語で愛について話をする場合、簡単にその変遷を説明する方が良いだろう。もしかしたらそれだけで今日の記事が終わってしまうかもしれない。

実は日本での「愛」はかなり込み入っていて、ごちゃまぜの概念となってしまっている。それは基本的には宗教に関連して発生してきた。

2つの大きな出来事をあげると、仏教の伝来とキリスト教の布教がある。それによって日本古来の感覚(ここも曖昧だが)に付け加えられてきた。


古代日本において、「愛」という言葉はもともと「かなし」に当てられた漢字だった。

かなし

今では「いとしい」と「かなしい」は別だけど、かなしにはそのどちらも入っている。ざっくり辞書的な意味を挙げておくと、

身にしみていとおしい、切ないほどにかわいい

心に沁みるような趣

見事、感心するほど立派

残念、くやしい

貧苦が辛い

とまあ悲喜こもごもな感じだ。(漢字と感じをかけている)

なにかしら強く心が動かされるものが「愛し(かなし)」の正体だった。

嬉しいも悲しいも心が動かされるという点で変わらないから使われる言葉も同じというところに奥深さがあって美しい。言葉の厚みが違うね。

あ、「やばい」は全然美しくないです。たしかにほぼ全ての感情を表現できるようになってしまっていますが、厚みはないです。ペラッペラです。


そこで現れたのが仏教さん。

愛(仏教の場合)

「愛」は「欲望を満たそうとして貪ろうとすること、執着すること」であると考えた。

「執着を捨てよう」がスローガンとなっている仏教において当然ながら悪いこととされてきた。

仏教は基本的に女嫌いなので肉欲と関連して、悪徳とされていた。

おそらく多くの人にとって「愛はドロドロした汚れたものだ」という感覚はここからきているはずだ。

仏教なんか知らん、無宗教だ!とはいっても、ばっちり道徳観に刻み込まれているんですよ。ふふふ。

日本の神話でいえばそもそも近親相姦が始まりですしね。

あ、性に厳しいキリスト教はじめ、旧約聖書を信仰するユダヤ教も、深くは触れてないけれどアダムとイブの子供達は近親相姦で子孫を増やしてますしね。これはナイショだ。

愛(キリスト教の場合)

簡潔にいえば、キリスト教が日本に入ってきたときに教義の日本語化が必要だった。

そりゃ日本人に普及するんだから日本語にするのが効果的だ。

そこでキリスト教的"love"に近い概念として選ばれたのが「愛」だったというわけだ。

じゃあキリスト教的愛ってなんじゃらほいって話になる。神学は専門ではないのでざっくりと列挙する。キリスト教はギリシャ哲学の影響を受けているので以下の4つが踏まえられている。

アガペー(神からの無償の愛)神は無条件にあなたを愛しているのだからあなたも無条件に人を愛しなさいという立場。(てことは本当のキリスト教徒なら戦争は起きないんじゃ…)

エロース(性愛)これが日本で広く考えられてきた仏教的な愛の在り方に一番近いものだね。

ストルゲー(家族愛)読んで字のごとく、家族を愛しなさいという教え。自分を守るのと同様に家族も守るというのが起点だと思う。

フィリア(隣人愛)「隣人を愛せ」でおなじみの隣人愛。これも特にキリスト教的な愛。家族愛との違いは血が繋がっているかどうか、だろう。血が繋がっていない親族もいるが、要するに直接の利害関係になくても相手を大切にしなさいということなのだろう。

愛(シェイクスピアの場合)

愛ってなんだろうか。

シェイクスピアの考える"love"は端的にいえば「恋は盲目」だ。

(愛と恋の違いに関しては結婚相手か恋人か、みたいなものとしておこう。これは後で否定することになるのだが…)

愛の矢を持つキューピッドはしばしば盲目の幼児として描かれる。それは神話的には熱い油で目が潰れた云々があるのだがそれはともかく、愛は目で見たり理性を使う活動とは異なるということだ。

Bottom: . . .reason and love keep little company together nowadays.
(3.1 A Midsummer Night's Dream Shakespeare)
ボトム:理性と愛は近頃そりが合わないんですぜ。(『夏の夜の夢』シェイクスピア 拙訳)

シェイクスピアの考える愛は、反知性的で、情熱的で、どろどろとしたものである。でも批判的になるんじゃなくて、だから愛は尊いんだという立場を取るのがシェイクスピア。

恐れていたとおり、本題に入る前に終わりが来てしまった。

終わりというのはだいたい文字数を2100程度に設定しているからだけど、この文量は実際どうなんだろう。

今回は「愛」の話をするためにかなりざっくり字をなぞった形になる。これも理解の一助になればということで大きな価値にはなるだろう。

次回はちゃんと万有引力は愛だ、の本題に入ります。ゆるして。

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