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【読書感想】『怪物』〜怪物とはいったいなんなのか〜

事実と真実は違う。

当事者は真実が見えているが、傍観者は事実のみを受け取り、そこから想像していくことしかできない。そう思うことが近年増えてきていると感じている。

例えば最近、地方移住者のカフェ経営の話でSNS上では大炎上していたが、二転三転する追加の情報にもはや何が正しいのかというところはわからなくなっている。

実際のところどうなのか、というのはやはり自らが当事者である以外は知る由もない。誰かに伝えられた情報は、その時点で疑わないといけないのかもしれない。情報は複雑に絡み合うこの社会では、特に。それが例えば信頼のおけるネットメディアであろうとだ。

さて、少し暗い雰囲気の前置きになってしまったが、そういった事実と真実の複雑さを『怪物』を読んで改めて感じた。

我が子を思い、いじめの事実を知ろうとする母親の思いや、実際の息子が起こした真実。きっと誰もが正しくもあり、間違ってもいる。傍観者である我々はその苦悩を想像することしかできない。

証言のすれ違いから起きる錯綜を描いた、とても一筋縄には語れない一作だった。


【制作陣】~日本を代表するクリエイター夢のようなタッグ~

本作は2023年6月に映画化されたノベライズ作品だ。

脚本はドラマ『最高の離婚』『カルテット』や、菅田将暉と有村架純が主演の映画『花束みたいな恋をした』を手掛けた坂元裕二。

監督を『万引き家族』『ベイビー・ブローカー』など、国際的な賞を受賞している是枝裕和が担当し、音楽を坂本龍一が担当するといった、日本を代表するクリエイターが夢のようなタッグを組んで描かれている。

【あらすじと構成】~3視点から見る物語~

『怪物』の舞台は周囲が山に囲まれ、中央に湖がある町。物語はシングルマザーの早織に息子の湊が問いかけた「豚の脳を移植した人間は?人間?豚?」といった奇妙な質問から始まる。

それ以降、不審な行動を繰り返す湊に対し、早織はいじめを疑うのだが、湊やクラスメイトの星川依里、担任教師らの食い違った主張が学校やメディアを巻き込み大事件になっていく、というのがおおまかなあらすじだ。

本作は3章で構成でされている。
1章はシングルマザーの早織からの視点。
2章は湊の担任である保利からの視点。
そして3章は息子、湊からの視点。

湊の不審な行動をきっかけとして起きた出来事を、母親、教師、本人の3視点から描いている。

前置きで触れた「事実と真実は違う」というのも、小説もまたしかりで、読者を騙すためにあえて真実を隠しながら物語を進める構成をとっていたり、重要な情報を伏せることによって核心の期待を高めていたりすることが多い。

本作の軸は「息子はなぜ不審な行動を起こしたのか」理由を追求する様子を追うものだが、事実に対し母親の息子を思う気持ちや担任(学校側)のいじめに対しての客観、そして本人の主観から見えてくる真実が含まれており、読者らの境遇によって感情移入してしまうポイントが分かれるのが面白いところである。

ただ、本作を読み終えた頃には、感情移入したことが正しいことなのか、事実のみを受け取り、決めつけてしまったことの浅はかさを嘆くのか、これもまた分かれるだろう。

【タイトルの意味】~怪物とはいったいなんなのか~

さて、ここからは本作に度々登場する「怪物」とはいったいなんなのか、という点を考察してみたい。

ネタバレを挟むので、まだ映画を含め、触れていない方々はご容赦いただきたい。尚、あくまでも個人的感想なのであしからず。

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結論から言えば、この物語に怪物はいない。
ただ誰もが怪物になりうる可能性を秘めているもの、というのが私の見解だ。

本作は悲しき事実が同時多発的に重なり、その結果起きてしまった事件そのものを追求していく中で起きる様々な人間の感情や境遇を、正体の分からないという意味を持つ「怪物」という言葉に当てはめているのではないか、と思った。

例えば早織は湊の不審な行動に対し、いじめを受けているのではないか、と疑念を抱く。また担任の保利は逆に湊がいじめをしているのではないかと怪しんでいる。

そもそも作中度々発される「怪物だ~れだ」という掛け声は、インディアンポーカー形式で互いに出すヒントから自分が頭にかかげているカードはどんな生物なのかを推測するゲームである。

このゲーム自体がいじめの理由を探し出す行為の比喩になっており、早織や保利はヒントから正体の分からないものを探し出そうとしている。

ちなみにこのゲームはナマケモノやカタツムリなど、自分が掲げているカードに書かれている生物を当てるゲームだが、怪物のカードも存在する。

怪物の絵は、黒いハート型の頭と身体を持った化け物のように描かれていた。

佐野晶『怪物』宝島社文庫 2023年 114頁

私はこの怪物のカードの描写から
黒いハート=疑念、罪悪感などの気持ちを抱えた心
身体を持った=人間(心と身体を合わせ持つのは人間)
なのではないかと考える。

この正体がわからない物に対する黒い感情=怪物と当てはめると

湊がいじめを受けている、いじめの犯行をしていると疑う早織や保利も
いじめの事実をなすりつけた嘘をついた湊も
息子の星川依里に虐待をする父親も
孫を轢き殺した事実を夫になすりつけた校長の伏見も

誰もが怪物、ひいては怪物に値する黒い気持ちを持っているとも言える。

早織や保利は直接罪を犯してはいないが、不倫の最中に事故死した夫がいる背景や、保利は人とは変わった趣味を持っていることから、普通ではない、一般社会からはみ出ていることを想起させる。また湊にいたっては、男性に対し好意的な感情を抱いてしまったのとから、普通にならないことへの不安をいだいている。

では虐待している依里の父親と夫に罪なすりつけた伏見はどうなのかといったことに補足しておく。

・依里の父親
大手企業に勤め、妻は家を出てひとり親である
→自分がエリートの意識があることから息子の異常さを受け入れることができない
→エリートなのに子育てがうまくできない
→不安にかられ酒を飲む習慣がつき虐待まで発展

・校長の伏見
自宅の駐車場で孫を轢き殺した(自宅の駐車場であることから不慮の事故(過失)なのではないか)
→なすりつけられた夫は水道局を定年退職し現在無職である(不慮の事故であった場合過失なので、執行猶予がつき早く釈放される)
→現職での校長の立場を守るため、夫自ら罪を被った可能性が高い(拘置所で伏見を気遣うように話している)
→しかし伏見は罪悪感があり心ここにあらず

※二人に関しては詳細の記載が無い部分が多いので、あくまでも私の想像

虐待や隠蔽は明らかな罪だが、湊が自らを守るために行った行動はエリートや名誉ある役職を持った人間でさえしてしまうことを表現し全ての人間が普通であるとは限らないことを印象付けたのではないか、と私は思う。

つまり、言葉にすることが難しい、人間たちの複雑な境遇や感情が怪物なのであると解釈する。

【最後に】~不条理な社会の幸せとは~

是枝監督は社会問題をテーマとし社会の不条理を描いてきた。
また坂元裕二は、社会からはみ出した人間たちのドラマを多く生み出した。

この二人がタッグを組み一筋縄ではいかない人間ドラマが描かれた本作を読み、心底苦しい気持ちになった。しかしそれで終わることなく、社会への提示とも言える一種の希望を見出せた台詞がある。

「そんなの、しょうもない。誰かしか手に入らないものは幸せって言わない。しょうもないしょうもない。誰でも手に入るものを幸せって言うの」

佐野晶『怪物』宝島社文庫 2023年 295頁

幸か不幸か資本主義社会はゼロサムゲームである。ある人は得をし、またある人は損をする。
資本の総量を奪い合い、社会的な格差が生まれていることは近年、社会に対しての目下の課題だ。

そんな社会で生きている私自身は誰もが幸せになることなんて夢であり幻想だと悲観的になってしまう。

ただそれでいいのだろうか。
誰かしか手に入れることのできないものを求める社会が幸せなのだろうか。

私たちは生まれながらに幸せに生きる権利がある。それは奪い合うものではなく、ただそこにあるべきなのではないだろうか。

この作品が、ひいてはこの台詞が、社会を担う全員へ、欲を言えば社会への決定権がある上層部へ届いてほしい。
誰でも幸せを手に入れることができる社会について、改めて問い直してほしいと強く願うばかりである。


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