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読書感想『光のとこにいてね』一穂ミチ著 ―女性たちの名前のない関係について―


名前のない関係と聞いて何を思い浮かべるだろうか

ちょっといい感じだけど恋人にはなっていない相手とか、小さい頃、近所に住んでいたよく遊んでくれるお兄さんとか。

名付けようと思えばきっと、出来るのだろうけどそれはちょっと野暮のような気がする関係。
そんなものがあずかり知らぬところで無数に存在している。

名前があるものは安心する。

恋人と名前がつけば、「僕たちってどういう関係なの!?!?」とやきもきすることはなくなるし、なんかちょっと体調悪いなと思って病院に行けば、「あなた風邪です」と大きな病気ではないんだなとほっとする。

昔の人も今では科学的に解明できる天災に雷神とか水神の怒りなんて、名前をつけて安心していたなんて聞いたことがある。

名前をつけることって、いろいろな人がいていろんな事が起きる今は特に必要なのかもしれない。

一穂ミチさんの『光のとこにいてね』を読んだ時、この二人の関係にどんな名前をつければいいのか、と思った。

直木賞候補作で2023年本屋大賞ノミネート作品でもある本作は、7歳の結珠と果遠が出会い、それぞれの関係を15歳、29歳と四半世紀にわたって描いた物語だ。

この物語で特徴的なのはタイトル通り、「光」だ。

印象的なモチーフとして「光」が要所要所で描かれる。時には雲から刺したちょっとした陽光や、細い通りにある頼りない街灯の光。

決して強く照らしてくれるものではないが、静かに見守ってくれる温かい光。

それはまるで、とぎれとぎれだがつながっているような彼女たちの関係のようにも思える。
そしてお互いに暗い闇の中ではなく光のとこにいてほしい、そう願う祈りのようにも感じる。

2人の出会いは読者の視点で読めば運命だったのかもしれない。けれど、彼女たちからすればお互いを思い続けた祈りが、必然的に彼女らを巡り合わせたのだと思う。終始、彼女たちの運命や愛の表現に一文一文目が離せなかった。

そうして、美しい物語を読み終え、心をぎゅーっと掴まされている今も彼女たちの関係にこれといった名前をつけることは出来ずにいる。

二人は付き合ってはいないけど恋人と言われれば納得できるところもあるし、共通して親の影響下に不満を抱えているところから自分の道を踏み出していると言われればシスターフッドと呼んでもいいのかもしれない。

けれどそのどちらにも納得できない自分がいる。

ただ本作を読んで、名前のない関係に名前がつく時、それはその人に執着したときだと思った。

執着と聞くと聞こえは悪いが、その人に会いたいとか、もっと一緒にいたいとか何かをしてあげたいとか。

ポッと感情が浮き出た時、人は行動を起こす。その行動が関係に名前を付けるのだと思う。

仮に2人の関係に名前がつくのだとしたらきっと最後の数ページだ。

物語は少し疑問の残る終わり方を迎える。
読者としては、最後の1ページを閉じた時、長雨が続いたあとの晴天のように気持ちよく終わりたいところである。

しかし、この終わり方に読者は彼女たちがどうなったのか想像せざるをえない。

物語の中にとどまらず、まるで彼女たちがどこかで生きているような気持ちで、欲を言えば2人隣合わせで幸せに生きていますようにと。

「光のとこにいてね」そう自然と願ってしまう物語だった。


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