読書感想『星に帰れよ』で価値観という言葉を使うのをやめた話
「人それぞれだと思う」
と、彼女は言った。
それはたぶん飲み会の席だったと思う。
何の話をしていたのかは忘れたけれど、それはおそらくイエスかノーで答えられない会話。例えば「浮気ってどこからだと思う?」とか「1億円を手に入れたどうする?」とかいう類のもの。
なぜだか、僕はその瞬間、胃の底が熱くなるような怒りを感じた。
だからといってそれを言葉にするほど感情だけで生きているわけではないのだけれど、むしろそこでその怒りをぶつけない自分に余計にいらだった。
つまるところ、こういう回答って人それぞれでしかない。
全員が全員同じ思想を持ち、同じ生態をしていれば正解は出るのだろうけど、そんなことは決してない。だからこそ、思想や宗教は1つに絞られず、どこかで誰かが自分の信条を叫び、それをもとに対立が起きているのだと思う。
…なんて大きな話ではなく、「それであなたはどう思うの!?」と言いたいのだ。
というところで、新胡桃さんの『星に帰れよ』を読んだ。
新さんの小説は『何食わぬきみたちへ』で初めて読んで、そこから個人的に注目している作家さんの1人。
彼女の紡ぐ物語は、価値観の一言で終わらせることから逃げない。どちらかに割り切ってしまった方が楽な考えを、どちらにもいけない葛藤をリアルに描いている。
本作は高校生3人の物語。
クラスでは明るいキャラで愛されている「モルヒネ」と呼ばれる女の子。
その友達で優等生の麻優。
麻優に恋をしているサッカー少年、真柴。
この真柴が、16歳の誕生日の夜、公園でモルヒネに出会い、彼女らしくない一面を見てしまったところから物語は始まる。
モルヒネは自分だけの正義を持っている。
複雑な家庭環境ながらも、自分の父を指針として生きている。
たとえばある場面で、真柴は他人の知られざる一面を見た時「価値観が違う」と一言で片付けるのだが、自分の正義を軸として持っているモルヒネは「ふざけんな」と声を上げる。
僕は正義も倫理も持たない真柴の軽薄さに対して怒れるモルヒネが羨ましかった。
社会に出れば共感が必要な時がある。
特に大人数で話している時は意見が一致して、みんなが気持ち良く思える、そんな全体的な喜びが必要なときもある。「分かる」「だよね」そう言えばいいだけだ。
モルヒネはきっとそういう軽薄な価値観を許さない、いや、許せないのだろう。
僕が飲み会のときに「人それぞれだと思う」と言われた際に感じた怒りもきっと同じもので、価値観の違いで逃げたことが許せなかったのだと思う。
自分をさらけ出すことも、相手と向き合うこともせず、線引をされたことが悲しかった。きっと相手は逃げたなんてつゆほどにも思っていないのだろうけど。それでも。
正直、僕も曖昧に会話を終わらすことが正義だと思っていた時期もあった。だって面倒なやつだと思われたくないし、嫌われたくないし。
ただ本作を読んだ今は、僕は他人に向き合うことに楽をしたんじゃないのか、と頬がやや薄桃色に染まるような若干の恥ずかしさを覚える。
だからこそ、モルヒネのように、自分の正義を持っていること、そして他人への価値観をあきらめないでいたいと思わずにはいられなかった。
ただ、モルヒネは自分の指針を持ちながら、自分を偽るようにクラス内では明るいキャラとして生きている。それこそ自分の正義を曲げるように振る舞っている。
そういう今の時代だったら簡単に論破されそうな矛盾した行いをしていることにも悩んでいる。そのどちらにもいけない苦しさを抱えている様子を本作は描いているのだ。
真柴が軽薄に生きることも、つまるところ人それぞれなんだろう。人それぞれなのだから、それが良しという人がいてもいいのだろう。
けれどできれば僕はモルヒネでいたいし、どちらにもいけないモルヒネのことをひどく愛おしいと思った。
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