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結束バンド - 結束バンド

「陰キャならロックをやれ!!!」

昨年の10月某日、いつもの日課でAmazonプライムビデオを立ち上げてみると、黒光りしたギターを抱えたピンクジャージ&ピンクヘアーの二次元キャラがこちらを見つめながら独りぼっちで佇んでいたので、「おっ、『けいおん!』の二番煎じアニメか?」と察するも、ちょうど暇だったから軽い気持ちでそのアニメ一話目を視聴した結果→2秒で「こーれ覇権です」と確信したのが、2022年度のアニメ業界を震撼させた『ぼっち・ざ・ろっく!』に他ならなかった(もちろん原作の存在すら知らなかった)。

何を隠そう、アニメ最終話を迎えて絶賛ぼっちロス状態と化した世界中のオタクたちを救済する聖杯、すなわち主人公の後藤ひとりを中心とする結束バンドの記念すべきデビューアルバムのリリース日であるクリスマスの二日前(イヴの前日)に、結束バンドならぬ(尿管)結石バンドを結成して独りもがき苦しんでいた超個人的な黒歴史はさて置き、いわゆるサブカルの聖地とされる東京の下北沢(シェルター)を舞台に紡ぎ出される『ぼっち・ざ・ろっく!』は、「まんがタイムきらら」にて絶賛連載中の原作漫画の作者はまじあき先生がアジカンに代表される00年代以降の邦ロックフリークである事からもわかるように、それこそ登場人物の名前をアジカンメンバーの名字から拝借したり、アジカンの楽曲タイトルをアニメ各話のタイトルとして引用するほどのアジカンフリークだ。そして、この結束バンドのデビュー作も(原作/アニメに負けず劣らず)00年代以降の邦ロックの文脈がサウンドの根底に脈々と流れた傑作となっている。

まずアニメの内容に関しても(アニメ版『惡の華』さながらの)ロトスコープアニメばりにヌルヌルと動くスムースな作画/流動的な演出をはじめ、それこそアジカンが主題歌を担当した森見登美彦原作のアニメ『四畳半神話大系』や『ピンポン』を手がけた=湯浅政明アニメに通じるシュールなギャグ要素を継承した世界観の中で、その奇抜なビジュアルで注目される八十八ヶ所巡礼や幾何学模様さながらのサイケロック然としたトリップな演出、実写の(ダム)映像やクレイアニメを駆使した実験的な演出、中でも2022年における「もう一つの覇権アニメ」こと『サイバーパンク エッジランナーズ』と共鳴するかのようなノイズ/グリッチ、さしずめハイパーポップ的な演出はあまりに衝撃的だったのと(「ぼっち・ざ・らじお!」#9参照)、個人的に2022年に視聴して最も印象的だった90年代アニメの『serial experiments lain』と奇しくもシンクロする一般相対性理論ネタが含まれていた点も、MBTI診断の結果がINTP-Tだった僕が『ぼっち・ざ・ろっく!』にドハマリした要因の一つで、2022年を象徴する覇権アニメとして世界的に大成功を収めた理由の一つだろう。少なくとも、今から十数年前にバンドブームを巻き起こした同「まんがタイムきらら」の4コマ漫画をアニメ化した『けいおん!』とは一線を画す作品と言っていい。

『ぼっち・ざ・ろっく!』の世界的な成功はアニメのみならず、メディアミックスの一環として結束バンドが昨年のクリスマスにセルフタイトルの1stアルバム『結束バンド』を発表するやいなや、単なる音楽系アニメにありがちな内輪向けのメディアミックスのソレとは明らかに違う、あたかも本当に実在するバンドさながらの絶大な人気と注目を集める事となった。結束バンドが世に放った渾身のアルバムは、正直ここまでギターロックとして本格的な志向を持った音楽アニメ/アニソンはかつて存在しただろうかってほど、その「ロック」を題材とした作品ならではの実に音楽的なアプローチは、国内外のアニヲタのみならず世界中のロックファンを魅了し、その熱狂的なバズ現象を裏付ける証明として、結束バンドの楽曲は今なおビルボード/ストリーミングのバイラルチャートを大いに賑わせている。

当事者含む業界からは「ロックはオワコン」と揶揄され、終いにはTHE LAST ROCKSTARSとかいうクソダサバンドがイキリ散らかしてしまう現代のロックシーンに対して、UKパンクロックを代表するThe Clashの「白い暴動」ならぬ「ピンクの暴動」とばかりのアナーキズムを以って権威に抗うかのごとし、さしずめ「結束バンドなりのガールズロックバンド革命」の狼煙を上げる“青春コンプレックス”からして、それこそイントロから聴こえてくるL側のカッティングはtricotのKDMTFことキダモティフォが、R側すなわちぼっちちゃん側のトリッキーなフレーズは、まるで赤い公園のギターヒーロー津野米咲先生が愛機のフェンダーをかき鳴らしているようにしか自分の耳には聴こえなくて自然と涙が溢れた(自分の耳がバグってる可能性大)。確かに、そんなことは物理的に絶対ありえない話ではあるんだけど、とにかくアニメのオープニングを担う“青春コンプレックス”の左右のステレオ感を強調させたギターワークを耳にした瞬間に、自分の中でぼざろの覇権は確定したんだ。

中でもサビの前にLRLRと空間をカッティングしていく、さしずめ音響系というか残響系のオルタナティブなアプローチ、および津野米咲先生さながらのフェンダーイズムを感じさせる遊び心に溢れたギターワークに関しても、それこそガールズバンド繋がりのかてぃ率いるHazeを頭ん中に想起させると同時に、赤い公園の初期の名盤である『透明なのか黒なのか』に(“副流煙”も)収録された“透明”とHazeの“煙霧”が否応にもシンクロニシティとオルタナティヴェートを引き起こした。つまり、二次元(アニメ)の世界から飛び出した結束バンドがリアルの世界で対バンすべき相手こそ、リアルの世界でぼっちちゃん顔負けの“引きこもりロック”を歌ってるHazeしか他にいないと思う。

この『結束バンド』は、現代の邦ロックを代表するKANA-BOONの谷口鮪が“Distortion‼”の作詞/作曲を、世界を股にかけるtricotのイッキュウ中嶋が“カラカラ”の作詞/作曲を、そしてガールズバンドthe peggiesの北澤ゆうほが“なにが悪い”の作詞/作曲を手がけるなど、その他著名なミュージシャンがコンポーザーとして参加している。HAKO-BOONの谷口鮪が担当した“Distortion‼”は、ギター/ボーカル担当の喜多郁代の活発的(陽キャ)な性格に則ったザ・アニソンらしいアップテンポな青春ロックナンバーで、一方でイッキュウ中嶋が手がけた“カラカラ”はtricot節としか他に形容しようがない“メタルリフ”を駆使したマスロック然としたサウンドの中に、イッキュウ中嶋がボーカルを担うジェニーハイでもお馴染みの川谷絵音のソロプロジェクトこと美的計画的なエッセンスを感じるベーシストの山田リョウのウェットなコーラスが映えるし、北澤ゆうほが手がけた“なにが悪い”はアニメ『るろうに剣心』のOPでも知られる川本真琴の“1/2”のオマージュで、CV.内田まれいの伊地知星歌を姉に持つドラマーの伊地知虹夏(僕の推しメン)の歌声にウッテツケのカラッと乾いた雰囲気がアルバムに多様性をもたらしている。

この『ぼっち・ざ・ろっく!』における象徴的な存在、そして絶対的な関係でもあるアジカンの背中を見続けてきた、KANA-BOONやtricotに代表される中堅ロックバンドとともに10年代の邦ロックシーンを深紅色に彩ってきたのが、本来であれば『結束バンド』の作詞/作曲者としてクレジットされていたであろう赤い公園すなわち津野米咲先生の存在、その2010年代の邦ロックシーンを語る上で欠かせない、そして決して忘れてはならない、忘れてやらない存在が“透明”のように透けて見えた、いや...量子物理学を介して実態としてそこに存在していた事が既に泣けるというか、もはや生半可な言葉では表わすことのできない真の「エモさ」を結束バンドが奏でる音楽から感じ取ることができた。事実、アニメの記念すべき一話目で主人公の後藤ひとりとドラマーの伊地知虹夏が運命的な出会いを果たす場所が、“赤いベンチ”の代わりに“転がる赤いジャングルジム”が設置された「公園」だという偶然も俄然エモく重なって涙腺にキターン!

また、赤い公園のオリジナルアルバムのタイトルには“ある法則”が存在する。例としてメジャーデビュー作となる『公園デビュー』を挙げると、【公園】+【デビュー】というように【漢字(二文字)】+【カタカナ】の組み合わせで表記を統一しており、奇しくも【結束】+【バンド】の『結束バンド』と全く同じ構図というわけ(遺作となった『THE PARK』だけがローマ字表記)。何が言いたいかというと、この『結束バンド』を聴いてる時につい「うっせぇわ」とツッコミたくなっちゃうほど、コンプかけまくった音圧のエグさとか諸々の偶然を含めた猛烈なデジャブ感は、まるで赤い公園の名盤『猛烈リトミック』を聴いている瞬間と同じ、その唸るような「歪」の一文字に集約されているんですね。正直、この真実にたどり着いた時は「何も言えねぇ」っつーか「そんなことある?」って。もちろん、原作者のはまじあき先生が赤い公園を聴いているか否か、なんて知る由もないけど。

CV.ソノヤ・ミズノ「そんな偶然は存在しないわ」

実在する邦ロックの現役バンドマンを迎えた楽曲の内容も、ギターをはじめ各楽器に対するこだわりが如実に伝わってくるサウンド・プロダクションに関しても、『けいおん!』はじめ従来のアニメ/アニソンの枠組みを超えた本作品。アニメ最終話「君に朝が降る」では、ぼっちちゃんと喜多郁代が通う秀華高校の文化祭(秀華祭)で演奏している最中に、ギターの弦が切れたぼっちちゃんが咄嗟に変則ボトルネック奏法で神アレンジした“星座になれたら”は、竹内まりやを象徴とする古き良きファンキーなシティポップを原点としつつ、やくしまるえつこ率いる(一般)相対性理論のメルヘンチックなサブカルワールドを(伏線回収とばかりに)経由して、そして何かとシティポップ・リバイバルが話題に挙がるこの昨今に、まるで“透明”になった津野米咲先生の作詞/作曲スキルを拝借した結束バンドが令和代表として紡ぎ出すような、さしずめ“シモキティポップ”とでも呼ぶべき名曲の一つで、もはや某「めざましテレビ」のテーマソングに採用されても全然おかしくない。それこそ、アニメ『四畳半神話大系』のOP曲がアジカンで、相対性理論のやくしまるえつこがED曲のマイクを握っている点からも、ありとあらゆる伏線を回収するキーラーチューンと言えるかもしれない。また、奇しくもサンフランシスコ出身のZ世代ぼっちアーティストのdynasticの新作において、森見登美彦の原作を湯浅政明監督がアニメ化した映画『夜は短し歩けよ乙女』の星野源と花澤香菜さんのセリフをサンプリングした件は、何度も繰り返すけど偶然にしては面白いシンクロニシティだと。

「転がる岩、君に朝が降る」

そんなアニメ本編のクライマックスを飾るに相応しい名曲に引き続き、ほんのりローファイなイントロからして”ブッ壊れローファイメンタル”ことぼっちちゃんの陰気ャかつモノクロームな性格が具現化したような“フラッシュバッカー”は、もはやオルタナはオルタナでもドリーム・ポップやシューゲイザーに肉薄するノイジーな歪みとリヴァーブを効かせた、音響意識マシマシのエモエモの激エモアリーナバラードとなっている(例えるならtricotの“artsick”的な)。そして、この神がかり的なアルバム終盤の流れを締めくくる=大トリを飾るのが、「歌うこと」だけは「むむむむむむ無理」と頑なに断固拒否していた“ぼっちちゃん”こと主人公の後藤ひとりを見事に演じきった天才声優青山吉能だからこそ成せる、アニメ最終話ではEDとして起用されたアジカンの“転がる岩、君に朝が降る”の神カバーだ。

このご時世だからこそ脳髄にブッ刺さるリリックと、校内放送でデスメタルを流しちゃう中二病を患った陰キャらしいイキリと、Z世代のサブカルモンスターことParannoulとシンクロ率100㌫の内省的な感情が露呈した、それこそ熊本県出身の青山吉能が福岡県出身のYUIのデビュー当時さながらの刹那と焦燥に駆られて激しく狼狽する歌唱法(息遣い)を以ってアジカンの名曲を歌いこなす神業には素直に感動させられたし(ゴッチ版より好き)、最終話のEDでこの神カバーが流れた時は「こーれ覇権超えました」ってね(ぼっちちゃんのソロやアウトロのギターフレーズが微かにデフヘヴンをフラッシュバッカーさせてイーモゥ)。とにかく、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』と『結束バンド』における「エモさにピーク」にアジカンのカバー曲を持ってくる粋なニクい演出まで、原作漫画を起点としてアニメ→バンドというマルチメディアムーブが完璧すぎて、あまりに神がかりすぎて、アニメ最終話からしばらく経った今でも信じられない自分がいる。もはや特別枠として今年のサマソニに出演させるべき存在です。

今はただ「これ描いて死ね」ならぬ「これ聴いて死ね」としか他に言葉が出ない。でも、今このレビューを書き終えて、自分の中でようやく正真正銘の覇権アニメとして、本当の意味で最終回を迎えた気がする。だから二期はよ(先に伊地知姉妹の映画化もあり)(アーティストとして活躍するまれいの起用は、そこまでの可能性を見込んでの事だと思いたい)。

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