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カネコアヤノ - タオルケットは穏やかな


僭越ながら、今の今までその存在を知らなかったシンガーソングライターの一人がカネコアヤノさんで・・・と思いきや、どうやらtricotやenvyを目当てに視聴していた2021年のフジロックのLIVE配信において、ホワイトステージのトップバッターを飾ったtricotの次に彼女のパフォーマンスがLIVE配信された時に、初めてカネコアヤノの存在を認知した事を今になって思い出して、自らの記憶力に対して驚きを隠せないでいる。

そのフジロックの配信で初めて観た印象としては、北欧の歌姫ことAURORAさながらのニューエイジズムを内包した、一点の曇もない天真爛漫な歌声と、まるで70年代を代表するフォークシンガーのイルカのごとく、アコギの代わりにエレキギターを抱えて弾き語る姿は、さしずめ昭和のフォークソングの意志を継承する正統後継者とでも言うのだろうか、兎に角その芯を食った自由な歌声(裏声)に聴き惚れて、結局ライブの終演まで配信を観続けてしまった覚えがある。

そんな約二年越し?となるカネコアヤノとの邂逅、というか個人的に初めてスタジオアルバムを聴く事となった本作の『タオルケットは穏やかな』は、マイブラやスロウダイヴらのシューゲイザーレジェンドはもとより、ブラックゲイズ代表のAlcestやenvyもビックリの荒涼感あふれる轟音ノイズを撒き散らすイントロのバンドサウンドに面食らう#1”わたしたちへ”からして、思いのほかコテコテのオルタナ/インディロックの影響下にあるギターを鳴らしてて、(フジロックで観た時は歌のイメージが強すぎたのもあって)いい意味で裏切られたというか、その苗場を切り裂くような飾らない歌声に負けず劣らず、好き者のツボを刺激するギターのリフレーン/メロディに、そしてこだわり抜かれたサウンド・プロダクションに、アート・ロックとしての真髄を垣間見た気がした。とにかく、リヴァーブひとつとってもギターワークに対する熱量がtoeに肉薄するほど。

これは現代日本を代表するシンガーソングライターの岡田拓郎をバンドメンバーとして擁する、同女性シンガーソングライターの柴田聡子の音楽にも言える事だが、#2”やさしいギター”におけるファンキーなギターリフを活かしたシティポップや、要所々々でペダルスティールを駆使した倦怠感溢れるサイケデリックなアレンジ面からは、日本語フォークロック界のレジェンドはっぴいえんどの影響下にあるトクマルシューゴや森元もとい元森は生きているの岡田拓郎と否が応でもシンクロする。中でも、#4”眠れない”は柴田聡子味を感じる。

「この感じどこかで」とノスタルジックな気分にさせる#6”気分”は、女性シンガーソングライター界のレジェンドこと森田童子はもとより、知る人ぞ知るUSフォーク・ロックバンドのTrespassers Williamと共鳴するメランコリックなギターのフレーズや音作りに喜びを感じたというか、正直ここまで自分のニッチな嗜好をピンズドで突いてくるとか全く想定してなかったし、このニッチなサウンドアプローチで武道館公演を実現させるなんて至極立派というか、まだまだ日本の音楽ファンは捨てたもんじゃないなって。

また、60年代~70年代のクラシック・ロックのヴィンテージ臭漂うギターのダイナミズムで再びド肝を抜いてくる#5”予感”を筆頭に、アルバムのハイライトを飾る#7”月明かり”においては、USガールズバンドことウォーペイントを想起させるネオサイケ~ポストロックの現代的な要素を取り込んだ、それこそポスト・プログレッシブの如し楽曲の流動性は俄然森は生きているを彷彿とさせるし、それこそ表題曲のノイズロックさながらのローを効かせた「歪」の音作りからもわかるように、(サラッと流し聴きした過去作と比較しても)本作は過去最高にアート・ロック的なエレキギターが大活躍している印象。なんだろう、北欧の歌姫AURORAの姉貴分であるSSWのスザンヌ・サンドフォーに近しいものを感じる作品というか。

実は、カネコアヤノこそ今の日本で一番ロックしてる存在なのかもしれない。少なくとも本作は、売れ線とまではいかないレベルのキャッチーさと、海外志向の”したたかさ”すら感じる音楽的なニッチーさの共存、その絶妙なバランス感覚に唸ること必須の一枚です。正直、ここまで(配信ではなく)生でライブが観たい気持ちにさせる日本のアーティストは久々かもしれない。でも今さっきZEPPツアーが終わった事に気づいてショック!

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