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「雑草魂」上原浩治に隠された一年間

「雑草魂」上原浩治

巨人のエースを経て、メジャーリーグでも活躍し、日本屈指のピッチャー上原浩治選手。

巨人への入団会見で、「雑草魂で頑張ります」というコメントが話題となり、「雑草魂」が代名詞となりました。その活躍は初年度から新人王や沢村賞を獲得するなど、ものすごいものがありました。さらには、メジャーリーグに挑戦し、ワールドシリーズの優勝にも貢献し、クローザーの守護神として優勝投手にもなりました。「WHIP」という「1投球あたり何人の打者を出したか」という投手記録でも、歴代1位の記録を誇り、間違いなく日本人選手の中でもトップクラスの選手です。

上原選手の過去

そんな上原選手は、実は一度も甲子園に出場したことがないどころか、レギュラーでもエースでもなく、プロになる夢を諦めたことを知っているだろうか。プロ野球選手を諦め、体育教師になるべく、大阪体育大学を受験するも、不合格で浪人になりました。

上原選手曰く、「人生で一番苦しかった一年」だそうで、予備校で受験勉強をしながら、引っ越しやスーパー、警備員のバイトを掛け持ち、夢もない、我慢の日々を過ごしていました。
そこで、同世代の選手たちが、六大学野球で活躍する記事を目にし、自分もまた野球をやろうと、トレーニングを始めました。

一浪して、大学には見事合格し野球部に入ると、トレーニングの成果もあり、高校時代よりも体が出来上がっており、一気にエースになりました。
そして、プロから注目されていた選手との試合で、堂々と互角に投げ合い、注目されるようになります。
後に日本代表にも選ばれるようになり、そこでの活躍が認められ、巨人からのドラフト一位指名により、見事プロ野球選手になりました。

その背番号は「19」で、苦しみを耐え抜いた「19歳」から取ったものでした。

夢を諦めても、叶ってしまう夢もある

日本を代表するピッチャー「上原浩治」が生まれたのは、夢を諦めてからでした。
まさに、先日取り上げた

「諦めたらそこで試合終了だよ。でも、諦めたら新たな試合が始まるんだ。」

という、スラムダンクの安西先生の名言の下の句を、まさに証明したものかもしれません。厳密に言えば、どこか諦めきれなかったから、同期の選手に刺激されたのでしょうが、諦めて一度野球から離れたからこそ気付いたことなのでしょう。

「俺は何やってんだろう。プロ野球選手になるどころか、大学受験も失敗して、バイトを3つも掛け持ちながら受験勉強をしてるだけ。あれ、俺ってどんな人間になりたかったんだろう。何の為に勉強して、何の為にバイトしてんだろう。」

そう思ったのではないでしょうか。あ、これは私の想像です(笑)

人生は点で見てはいけない

人生は短くも長いもので、点で見てはいけません。有頂天に調子がいい時でも、ドン底に調子が悪い時でも、人生は流れていくものです。ドン底が全てだと思っていたら、浮上するチャンスを見失うでしょう。有頂天で調子に乗っていたら、落とし穴に気付かないでしょう。しっかりと足元を見て歩いていけば、その変化に気付けるはずです。その場所が全てではない。今からでも変えられるものがあると発見し、歩み始めた先に、上原選手のように、大きなチャンスを手にすることができるのかもしれません。

上原選手の場合、そういったことを気付く為に、高校時代に芽が出ず、浪人時代の苦しい時間が合ったのかもしれません。もちろん、後からだったら何とでも言えますが、後から何とでも言えるんです。ドン底だと思っても、後から「あの時間があったから」と言えるようになればいいし、なれるんです。

最後に

今回は消えた天才シリーズではないですが、成功の上に成功はなく、失敗の上に大成功があるというコラムにも通じるものがあると思います。ちなみに、情報元は「ジャンクSPORTS」でした。

「諦めたら新たな試合が始まる」と言いましたが、本当に諦められないものは、ちょっとやそっとの気持ちで諦めても、諦めきれないものです。だからこそ、一度は諦めてもいいと、私は思います。

今ドン底にいる人の心には届かないかもしれませんが、これからドン底になった時、頭の片隅に置いておいたらいいのではないかと思います。それは私も同じです。

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