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神田沙也加離婚をウラヨミ

一昨年話題になった、神田沙也加さんと村田充さんの結婚でしたが、8月に離婚していたことが、先週発覚しました。
興味がない方にとってはどうでもいいことかもしれませんが、報道を見ていて、これはただの離婚ではない、というか、「そりゃ離婚するわ・・・」と、ウラヨミしたことがあり、夫婦関係で悩む方や、恋愛で悩む方に参考になるのではないかと思うので、そんな視点もあるのかと思っていただければ幸いです。


プロポーズの時点で、離婚は決まっていた!?

離婚の原因は、子供に関して神田沙也加さんの不倫だと言われています。もちろん夫婦のことなので、夫婦にしかわからないことが多々あると思いますが、離婚報道を観ていて気になったことは、村田さんのプロポーズの言葉にあります。

「ぼくは一生さやに純潔を守ると誓うから、さやもそうしてくれますか?」

というプロポーズだったそうなのですが、もちろんそれを受けれたからこそ結婚したんでしょうけど、「好き」という感情は、ある意味、麻薬のような成分があります。誰にでも経験があるとは思いますが、好き好きでお熱になっている時には、正常な判断はできないものです。そして、いざ冷静になってみると、「なんでこの人と付き合ってるんだろう」とか、別れた後に「なんであの人と付き合ったんだろう」なんて、思ったことがあるのではないでしょうか?私にはあります(笑)

村田さんのプロポーズも、文字面を見たり冷静になって考えたら、「脅迫」とも言えるようなニュアンスも感じます。しかし、「好き」という麻薬にかかっていると、そこまで自分のことを想ってくれて求められることが、嬉しく感じることもあります。好きな人に求められることは嬉しものですからね。

しかし、この場合はちょっと違う意味があります。

「ばくは純潔を守る。だから君も守ってくれるよね?」

今や懐かしい、『逃げるは恥だが役に立つ』で、ガッキー扮するみくりちゃんが、源ちゃん扮する平匡さんにこのように言うセリフがあります。

「それは、”好きの搾取”です。好きならば、愛があればなんだってできるだろうって、そんなことでいいんでしょうか?愛情の搾取に、断固反対します!」

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ぶっちゃけますが、当時付き合っていた人とこの話になり、「あなたもこういうことをしてたの、わかる?」と言われてことがありました。自分自身、このシーンを観ていて胸が痛かったです。自分も平匡さんと同じことをしていて、痛いほどその気持ちがわかりました。そういうつもりで言っているのではないということも。でも、相手にとってはそれは「搾取」になってしまうんですよね。

「愛があれば大丈夫〜🎵」と広瀬香美さんは歌いましたが、確かにそうだと思いますが、それは自分の問題で、相手に押し付けてはいけないということですよね。

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村田さんのプロポーズは、まさに「愛の搾取」であり、当時は「好きの麻薬」によって受け入れてしまったものの、その魔法が冷めてしまった今、離婚に至ったのでしょう。


プロポーズを心理学的分析

それだけではありません。このプロポーズにはまだ問題があります。

心理学の専門家でもなんでもないですが(笑)、心理学的に分析をすると、このプロポーズは、「引き寄せの法則」に則って離婚に至るようにできています。

「引き寄せの法則」も色々種類があるかもしれませんが、「潜在意識」に関わるものとして、潜在意識は「強く抱いた思いを実現させる」と言われています。それが、良いことでも嫌なことでも関係ない。潜在意識に善悪はないそうなので、強く思ったことが引き寄せられる。このポロポーズの場合、「僕は貞操を守る」という裏には「浮気しないでね。僕を見放さないでね」という思いが強く隠されています。

つまり、「こうなったら嫌だ!」という強い思いが、この言葉の裏にあるので、まさにそのような事態なったと言わざるを得ません。真意はどうかは知りませんが、神田沙也加さんは「彼の束縛がきつい」と漏らしていたそうですが、「そりゃそうだろうな」と思います。逆に言えば、「不倫してしまえば別れられる」ということを意味するので、もしかしたら、そのように行動したのかもしれません。

世の「不倫」での離婚などは、不倫された方が被害者のように見えても、心理学的に見たら、むしろ自分が引き寄せたとも取れます。もちろん、不倫を肯定するつもりはありません。でも、愛し合っていて満たされているなら、そんな隙間はないはずです。


束縛するということは

実は、昔の私は、彼女に対して束縛が強かったんです。それは、自分に自身がなかったり、強く愛情を欲していた、嫌われるのが嫌だったからこそ、束縛していました。でも、もちろんその方とは別れましたが、経験を積み、大人になるにつれて、そういう思いはなくなってきました。

人間誰しも、愛されないと生きてはいけません。というか、愛を求めて生きる生き物です。子供は親の愛を欲するが為に、平気で嘘も尽くし、兄弟と争ったりします。仮病を使ったり、本当に怪我をしたり、親の目を引く為に手を尽くします。それは、子供は親から愛されないと、生きてはいけないからです。その生存本能が、そうさせるのです。

大人になっても、親の愛を求めている人を「アダルトチルドレン」と言いますが、こればっかりは、自分で気付くしかありません。親の愛と、自分が求めるものは、同じではありません。とは言え、自分が欲しいものを与えられなかったら、愛されていないわけではありません。

「愛」は自分次第で、発見することができるものだと思っています。

このプロポーズからウラヨミしたように、愛を搾取していたり、自分が「嫌だ」と思うことを込めたりすれば、望む事と逆のことが起こっていきます。相手がいないと生きていけないという「依存心」を、外に向けているうちは、絶対に幸せにはなれません。極論、「相手がいなくても大丈夫」と思えてしまえば、仮に捨てられてもどうってことはありません。ただ、そんな簡単にはいかないからこそ、悩み苦しむんだと思います。

これは「道楽」にも通じるものですが、出会いも別れも逃げるのではなく、そういうものだと受け止め、その経験での感情を味わい尽くすことが、人生の意義なのではないかと思います。「道楽家」にはそんなもの必要ないので(笑)


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