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アルゼンチンで最も有名なファーストレディ”Evita”( エビータ) - ②

1930~1940年代のアルゼンチンでは、強烈な貧富の差があり、国の富は数パーセントの上流階級が独占し、下層階級は搾取されて当たり前という、中世ヨーロッパのような社会構造が、普通に残っていたそうです。

そしてもうひとつ、強烈な男性社会。女性はおおよそ「妻」「娘」と「娼婦」に大別され、「男の持ち物」か「快楽のために使うもの」でしかありませんでした。都会で一人暮らしの女なんて「男が慰み者にしていい存在」とみなされて当たり前だったとか。。。😵びっくり

このような過去があるから、アルゼンチンではフェミニスト運動がすごいのかもね〜、。。。私見です。
最初にフェミニスト運動を見聞きした時は「どうして、こんなに???」と思いました。日本人の私には理解できないのかも。。。歴史が違いますものね。。。

余談ですが、日本の女性は幸せなのだそうです。その証拠に「今度、生まれてくるとしたら、男と女どちらがいいか?」と質問すると、日本人女性は「女性」と答える人が多いそうです。。。。私も「女性」と答えますね!🤗

お話を戻します。。。
エバは、このような状況の中、「女優になる」と言う野望を胸に、15歳の時にブエノスアイレスに上京し、頑張ったのですね。
そして、1944年ファン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会いました。
(ここまでは①)

第二次世界大戦終結直後の1945年10月、アルゼンチンでは、エドゥアルド・アバロス将軍によるクーデターが起き、ペロンは軍事裁判で有罪判決を受け、刑務所に服役しなければなりませんでした。
この時、エバは国民に向けて、ラジオで、ペロンの釈放を呼びかけたのです。それによって、労働者階級の人々が、彼らのために働いてくれたペロン大佐の釈放を求め五月広場に押し寄せたのです。

これが、ペロニスト党の始まりとなった出来事ですね。

このような動きを受けて、支持母体の弱かったアバロス将軍が10月21日に政権を放棄、ペロン大佐は釈放されました。

そして10月26日、ペロン大佐とエバと結婚したのです。

。。。なるほど🙄。。。エバは計算もあったかもしれませんが、やぱりペロン大佐を愛していたのでしょう、きっと。。。。。私見です。。。

その後、ペロンは大統領になり、エバはファーストレディになったのです。

そして、なぜ エバ が最も有名なファーストレディかというと。。。
夫が政権を握った後、積極的に政治に参加していった最初の女性だったのです。

エバは、多くの女性や子供、最も困窮している労働者階級の権利のために戦い、労働者の大衆全体から支持を得て、女性ペロニスト党の総裁となりました。

ここにもまた、悪女伝説があるのです。。。

エバは、見捨てられ続けてきた「下層階級」と「女性」に注目し、「彼らの生活を向上させる」という公約を次々と実現させていきます。労働者の賃上げ交渉は、満額どころか150%回答で答え、「貧しい」と陳情に来る人にはじゃんじゃん現ナマを渡し、食べ物から「家」まで支給。
エバが、街を訪ねて来ようものなら、みんなが自分の住所と名前を書いた紙を彼女に向って投げまくり。。。というのも、エバに拾い上げられた人には後から大プレゼントの連絡が! という「宝くじ」のようなことまでやっていたようです。

そこで気になるのは、「この財源はどこから???」
エバは上流階級から金をじゃんじゃん脅し取ったと言うエピソードがあります。
国家的カツアゲエピソードです。

その1
ロンドン五輪マラソン競技で優勝した自国選手の凱旋に、家を与え、町一番の家具商人に家具を備えさせました。。。が、その後、エバは「愛国精神を見せろ」とその請求書を破り捨てた。。。とか

その2
大手製菓会社に「十万箱のキャラメルをタダでよこせ」と要求。
拒絶されたエバは工場へ衛生状態チェックの検査官を派遣し、キャラメルへのネズミの毛の混入を発見(彼女所有の新聞社が大々的に報道)。
そして、課せられた重い罰金は、判事の裁量でエビータの援助基金へ。

また、エバは自分の服とか宝石を山ほど買い、スイス銀行に不正蓄財などもしています。。。。とかとか。。。

聖女か悪女か?

この期間、国内の病院の倍増、スラム街や田舎町に無数の診療所、看護学校、未婚の母の家、老人ホームなども次々と作られ、女性参政権をも実現させました。

1947年9月9日  アルゼンチン女性参政権法承認
1949年     ペロニスト女性党を設立

ペロン政権の功績の多くは、不遇な環境で育った エバ だからこそ知りえた、苦境にある人々のためのものだったのです。
「下層の人たち、強盗も、悪人も、ペロン夫妻がいい」と言ったのは、それまで誰一人として、苦境にある下層階級の人々に目を向ける政治家がいなかったからなのです。

そして後に、エバは副大統領になることを希望しました。
しかし、それは病気のため、断念するしかありませんでした。
彼女は子宮癌だったのです。出来るがぎりの治療を行いましたが、その甲斐もなく、1952年7月26日亡くなってしまいました。33歳でした。

彼女の死の知らせは、アルゼンチン国民全体にとって、とても辛いものでした。
通夜は数日間続き、何百万人もの人々がエバを一眼みようとして長蛇の列を作りました。

エバ・ペロンの葬儀の様子

ところが、エビータの遺体は、防腐処理が行われていた最中、1955年ペロンを打倒した独裁政権に誘拐され、14年間も行方不明になってしまいました。

死後にも、またドラマがあるのです。。。
(Santa EVITA現在放送中2022年)

現在、遺体は発見され、レコレタ墓地に眠っています。

”EVITA"は 聖女だったのか悪女だったのか。。。。。🤔
1945年から1952年まで、Juan Domingo Peron大統領時代、7年間のファーストレディ
。。。たった7年間だけど、この7年間がこの国アルゼンチンに、とても大きな影響を与えているようです、良くも悪くも。。。私見です。



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