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『意志と表象としての世界』

ショーペンハウアー 1788〜1860
『意志と表象としての世界』1819

・世界に属するすべてのものはただ主観に対して存在するにすぎない。

・世界は表象である。

・すべてを認識するが、なにびとからも認識されないもの、これが主観である。それ故主観は、世界の担い手であり、主観は現象しているすべてのものを、すなわちすべての客観を成り立たせている普遍的な前提条件である。

・継続こそ時間の全本質である。

・空間とは、すなわち位置と称せられるものにほかならない。この位置を詳細に渡って検討し、そこから生じる様々な結果を適切な応用がきくよう抽象概念に託すること、これが幾何学全体の内容なのである。

・動物は死においてはじめて死を知る。人間は一刻一刻意識しながら死に近づいていく。

・人間が哲学と宗教を持っているのは主としてこのためにほかならない。

・原因論的な説明は、大理石の断面にも比すべきものであって、多様な条紋が並んでいるのはわかるが、大理石の内部をどう通って条紋が表面まで走っているのかを分からせてはもらえないのだ。

・わたしは知っている、私なくしては神は一瞬たりとも生き得ないことを。
私が滅びるとき、神はやむなく息を引き取らなければならないことを。

・本質自体は自然界のいかなる事物のなかにも、いかなる生物のなかにもそっくり全体のままに分割されずに現存しているということである。

・意志の全現象は、意志の全本質を表現するために存在している

・表象としての世界はその形式のすべてを、すなわち客観と主観、時間、空間、数多性、因果性をそなえてたち現れる。

・諦念こそ、あらゆる徳と聖の究極の目的であり、いや、そのもっとも内奥の本質であり、全世界からの解脱である。

・われわれが生きかつ存在しているこの世界は、その全本質のうえからみてどこまでも意志であり、そして同時に、どこまでも表象である。

世界は自分であり、自分は世界である

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