見出し画像

神戸異人館のスタバ2014

2023 1/9(月)
 
しばらく日記が滞っている。
こういう時は、昔、書いた文章を掲載するのがいいだろう。
ネットには載せていたものの、5人くらいしか読んでなかったエッセイである。
今回は、2014年に書かれたものだ。
 
スターバックス異人館 2014
 
神戸の異人館へ向かう北野坂の途中に、洋館を改装したスターバックスがある。
元々、ここは明治時代に建てられた洋館で、当時は別の場所にあったのだが、1995年の震災における被害で崩壊し、のちに再建され、この場所へ移築されたという。
そして、昨今ここはカフェ好きの間で話題らしい。
神戸出身でありながら、それを知らなかった俺は、阪急三宮のおっぱい公園の前から、NHK神戸やライブハウスのメッカ・チキンジョージの辺りの坂道を散歩していた。
観光客が増えてきた異人館の近くまで来た時、それは突然現れた。
スターバックス。
確かに、見覚えのあるロゴマークと、白と緑のデザインの建物。
だが、それは明らかに、今までにはない空気を放っており、建物の前では、こんなオシャレな物は見たことがないとばかりに、バシャバシャと写真を撮っている人々で溢れていた。
さらに、その、ヘラヘラと浮ついた人々が、吸い込まれるように、次々に建物に消えて行った。
今、この中に、一体何人のヘラヘラがいるのかと思うと、スターバックスの洋館全体が、なんだか笑っているように見えた。
いけない、これはいけない。
ただでさえオシャレなスターバックスが、洋館とは、これはもう、さらなるヘラヘラを増やす諸悪の根源ではないのか。
直ちに、ここのスターバックスのデザインの緑を全部ビリビリに剥がして元の洋館に戻してくれ!
そんな思いが頭をよぎりながらも、どういう訳だか、せっかく、ここまで立腹したのだから、逆に、中に入ってもっと立腹して、噴火しそうな心をあたたかいコーヒーでおさめようという、得体のしれない性癖のようなものを感じ、気付けば俺もその洋館の中へ吸い込まれるように入って行った。
オシャレなその国の扉を開くと、そこは歴史的趣のあるアンティークな室内構造で、既に数多のヘラヘラたちが木造のチェアーに腰をかけながら、この世で自分が一番オシャレだと思う会話を、AからZまで繰り広げていた。
俺はその様子に、室内のききすぎた暖房よりもムッとした空気を感じながら、趣のあるいくつかの柱にぶつかりそうになりながら、レジカウンターへと足を伸ばした。
レジには、既に七人、八人の観光客らしきヘラヘラグループが、この先のヘラヘラしたスケジュールを話しながら、なんちゃらマキアートとかいう訳の分からない飲み物をオーダーしていた。
しかし「マキアート」という単語を、連続で7回位聞くのはよくない。
俺も、その勢いで思わず「マキアート!」と言いそうになった。
反射神経とは恐ろしい。
だが、やっぱり、なんだか得体が知れないので、結局は、いまだにそのネーミングの不自然さに憤りを覚えながらも、無難においしい「本日のコーヒー」をオーダーした。
昨日のコーヒーも、明日のコーヒーも絶対に出してはいけない。
俺は、本日のコーヒーに二種類の豆があると言われたので、「エチオピア」というタイトルが付いている方を選んだ。
何故なら、もう一方の名前が、オシャレっぽい、聞いたこともない、ヘラヘラした音感だったゆえ、聞き取れなかったからである。
しかし、そんな素振りを見せては、ヘラヘラどもの思う壺である。
ここは「エチオピア」に最高のこだわりを持った顔で通さねばと思いエチオピアを頼んだ。
本当は「ヘイ!エチオピア」と言ってやりたいほどだったが、こんな所で、どうしてヒッチハイクを?という空気になってしまったら恥ずかしいので、ごく普通のトーンで「エチオピア」と声を発することにした。
だが、そのエチオピアが出て来るなり、俺は愕然とした。
紙コップなのだ。
いや、スターバックスが紙コップだということは知っている、もはや世界のカフェの常識と言ってもいいだろう、しかしここは、洋館を改装して、アンティークな様式に囲まれたスターバックスだ。
てっきり、ここまでの流れで、白を基調とした、幾何学的なデザインがほどこされたカップで出て来ると思うではないか。
俺はレジの前で、親指と人差し指で、とってを摑む形を作りかけていた為、電光石火、その二本の指に、プラス三本、指を足し、五本の指で何事もなかったかのように紙コップを受け取った。
この空間で、これはないだろう、すべてがぶち壊しではないか。
せっかく、ここまで来たんだから、洋館スターバックスよ、最後までオシャレでいておくれよ。
そう憤りながら、ここへ来て、はっきりと分かったのは、そもそも俺がスターバックスを嫌いな理由だ。
まず第一に、あの商品名をマジックで書いてある紙コップがいけない。
大体、レジの前で、あれを受け取って、次々に席に向かう姿は、健康診断のようで、いささか滑稽である。
何故、テイクアウト以外の客が、カップではないのか。
エコが優先される現代に反しているではないか。
紙コップというものは健康診断か、町内会のお祭りの豚汁だけでいいのだ。
そして第二に、レジの近くに、偉そうに並べられているクッキーなのかケーキなのか、しばらく見ないと分からないような洋菓子もいけない。
あれは、腹が減っている時に食べるにしては少なすぎるし、かといって、減っていない時に食べるにしては、値段がはって馬鹿馬鹿しい。
そしてその殆どが、コーヒーよりも高い。
さらに、あの、洋菓子の色とりどりの、はしゃぎすぎた横尾忠則のようなデザイン、あれはいけない。
ヘラヘラと気取った人々が、おちょぼ口で食べるのに最もふさわしい大きさと形をしている。横尾忠則にはもっと才能があるはずだ。
そんなことを考えている間、俺の後ろに並んで来た大学生風の、男女3人のヘラヘラが
「いいよね、いいよね」
を連発しながら、それを頼んでいた。
ちっともよくない。
そして、第三に、オープンカフェでの喫煙。
そもそも、全面禁煙で行こうと考えていたはずが、客足のことを考え、日に日に、だましだまし、外だったら煙草を吸えるようにしてもいいのではないかという一見優しい配慮に踏ん切りの悪さを感じる。
吸えないのなら吸えない、吸えるのなら、吸える。
これが血なら、ドラキュラだったら、あたふたする。はっきりして欲しい。
そんな三つの憤りを回顧しながら、ともかく一端、席に着こうとアンティークな室内を見回した。
だが、あいにく、ヘラヘラ人口で埋め尽くされた座席は満席。
仕方がないので、テイクアウトを決め込もうと出口へ向かった矢先、
「二階あるじゃん、二階いいじゃん~」
という飲み会のような声が聞こえてきた。
見ると、そこには、古き良き時代を象徴するかのような、大きな長い階段があった。
入口を入って直ぐ、目の前にあるのにもかかわらず、その階段があまりにも自然に二階へと続いていた為なのか、俺は初めてそれに気付いた。
映画「タイタニック」を思わせる、似合わないスーツのディカプリオが、今にも颯爽と降りてきそうな階段を上ると、目の前には、一階をもしのぐ、さらにアンティークな空間が広がっていた。
古い洋館の面影をそのままに残したフロアは、船室のように区切られ、その様子は、ブルジョアジーたちが乗っていた豪華客船を思わせた。
俺は、タイムスリップした気分に浸りながら、空いている座席を見回した。
だが、すぐに目の前には、ブルジョワジーとは程遠い、一階よりも、さらに多くのヘラヘラが所狭しと跋扈していた。
満席の二階をウロウロしながら、時折、洋館の美にウットリしながら、立ちつくす俺の手の中で、健康診断のような紙コップの中のエチオピアコーヒーは、まだ冷めていなかった。
冷めていなかったが、俺自身の気分はもう、すっかり冷めてしまっていた。
外に出た俺は、その古き良き洋館を見上げながら、ゆっくりとコーヒーを喉に流し込んだ。
それは、まだ火傷しそうに熱かった。
少し冷めるまで待とうと、テイクアウトすることにした。
帰り道、これは紙コップで良かったと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?