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🎬百花 感想

アルツハイマー病を患う母・百合子(原田美枝子)を介護する息子の泉(菅田将暉)。
介護される側と介護する側双方から認知症介護という今どこにでもある当たり前で、しかし大きな苦しみと悲しみに満ちた物語を描く。

記憶が曖昧になり幻覚による万引きや失踪などの百合子の行動に在宅介護の限界を感じた泉は百合子を施設に入所させる。

人間にとって過去の記憶を失い、周りの人のこともわからなくなる残酷さはあまりにも身近すぎて、ヘタなホラーよりも恐ろしい。

双方が思いやり、しかしイライラし、怒り、悲しむ。認知症介護の苦しみがゆっくりと観る側も侵食していく。
この映画を介護する泉の目線で観るのか、介護される百合子の目線で観るのかによっても印象は違うだろう。

百合子のある過去が泉にとっては埋めることのできないわだかまりになっていて、解決できない親子の溝を作っていた。
百合子にとってもっとも大切なのは、身を焦がすほどのあやまちに満ちた愛の記憶なのか?泉の疑惑は解き明かされることなく進み、どこにでもいるはずの親子なのにどこかぎこちない。
認知症で意思疎通すらできなくなっていく親子は本当に互いを理解し合うことができるか?が映画のもう一つの核となっている。

「半分の花火が見たい」と謎の言葉を繰り返す百合子。記憶を失ってどんどん百合子ではなくなっていく母を見ながら、何もわからないまま「半分の花火」を探す泉だったが、「半分の花火」の謎が解け、それまでわからなかった百合子の心の中がわかり、全く意思を確認できないのに互いを理解し合える展開は感動的。
人は自分でなくなっても、この世に何か大切なものを残すことができるのだろうか?そんな救済は誰にでも用意はされてはいないのだろう、と感動しながらも深く考えさせられてしまった。

物語は終始認知症介護に向き合っていて、自分や大切な人の終末期を考えると決して他人事ではなく息苦しかった。
百合子のいなくなった自宅で何個も買われた卵のパックとケチャップ(それには特別な意味があるのだが)を片付ける泉は、淡々としているが認知症の現実と向き合っているようで辛い。

原田美枝子が華やかに人生を謳歌する若い日々と、認知症ゆえに自分を失い枯れていく一人の人間の両面を見事に演じていて観る側に迫る。

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