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🎬アラビアのロレンス 感想

言わずと知れた1962年デヴィッド・リーン監督ピーター・オトゥール主演の名作であり代表作。

私はこの映画、恥ずかしいのだが最後まで通して観るのは今回が初めて。DVD、Blu-rayと買い揃えながら、いつも最初の砂漠のシーンで挫折を繰り返してきた。今回「午前十時の映画祭」で劇場鑑賞できるという機会を得てやっと全編を鑑賞。

自分のことはさておき。

この映画の見どころはやはり桁外れの人員と馬、ラクダを擁した大スケールの映像だろう。
今ならすべてCGで描写してしまうのだろうが一つひとつが紛れもない本物。CGで麻痺した自分のスケール感はその迫力に圧倒されるしかなかった。前半の見どころ、アカバ攻略戦。たくさんの馬とラクダがアカバ要塞に殺到する光景は、実写として今後も撮られることは不可能だろう。
また後半の冒頭、線路の爆破による列車の転覆シーンもCGを見慣れてしまった脳があらためて新鮮さを感じるほどの迫力だった。
すべてを本物で描いた映像の豊潤さを味わい、素直に感動した。
そしてもう一つのこの映画の主役は、どこまでも続く砂漠。
ときに風紋など美しく撮られているのだが、灼熱の砂漠の熱と渇き。残酷な自然が襲いかかる砂漠の姿がいろいろな手法で効果的に観る者に迫り、冷房の効いた劇場で観ながらも焼けた砂を感じないわけにはいかない。
この映画の見どころは確かにこれらスケールの大きさなのだが、本当に描こうとしているのはロレンスという不可解とも思える人物像。後半になるとこの映画がロレンスという人物の単なる英雄譚ではなく一人の簡単には語れない人物の物語であることがより鮮明になっていく。
当初ロレンスは他のイギリス人と違いアラビア人を蛮族と侮ることはなく、部族同士の争いを愚かと断じアラビアが一つになるためにトルコ軍と戦うことを説く。
そしてアカバ攻略に至り一大勢力となったアラビアの人々の姿は、明らかにロレンスの人としての魅力によりまとまっている。
しかしアカバ攻略をカイロのイギリス将軍に報告に行くあたりからロレンスの倒錯した人格が見え隠れし、ロレンスが一筋縄ではいかない複雑な人物であることが明らかになりはじめる。
ロレンスはアカバ攻略前に砂漠で一団とはぐれてしまったガシムを命懸けで助けにいくのだが、攻略戦前夜に他部族といざこざを起こしたガシムを射殺することになってしまう。ロレンスは傷心と思い込んでいたのだが、彼は将軍にガシムを射殺するとき「楽しんでいた」と、まるで懺悔でもするかのようにつぶやく。ここで初めてロレンスに嗜虐的倒錯した側面があることがわかり観ている側も混乱してくる。
またアラビアの英雄となったロレンスが偵察中にトルコの将校に捕らえられ鞭で打たれる一連の描写では、トルコ将校の加虐心に呼応するようにロレンスが被虐におぼれていく姿が生々しく描かれている。
その直後ロレンスは砂漠の民たちを見捨てるように転属を希望するのだが、自分の嗜虐と被虐心がロレンスの心に称賛される以上の変化をもたらしてしまったことがうかがえる。
再び砂漠に戻ったロレンスは盟友アリの言うことも聞かなくなり自身の神格化におぼれていく。
そして敗走するトルコ兵一旅団を、恨みがあるとはいえ、不本意ではあるが皆殺しにしてしまう。残虐な行為を指揮してしまったロレンスはすでに堕ちた英雄なのだが、その後何をやってもレールから外れ思い通りにいかなくなるロレンスの姿をピーター・オトゥールが彼らしい演技で見事に演じている。代表作なので当たり前か…
結局はイギリス、アラビア両方から邪魔者扱いされアラビアを去るロレンスが最後に見た砂漠の民の姿は、過去への憧憬か、後悔か、深く考えても結論など出せなかった。
終わりをバイクが締めるのも、始まり、つまりはロレンスの死を暗示したものだったのだろうか?
「アラビアのロレンス」という人物の英雄譚であり一人の人間の苦悩を描いた壮大な物語全編をモーリス・ジャールの一度聴いたら忘れないあの名曲が彩り、映像をさらに格調高いものにしている。
CGが当たり前の現代「本物の映画を観た」という忘れかけていた感覚を呼び起こしてくれる名画を、ちゃんと劇場で観られたことはこの上ない喜びだった。

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#アラビアのロレンス

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