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繋ぐもの 続・ルーツと多様性


前回記事の続編を兼ねて記事を書くことにしました。
発表にとても勇気が必要ですが、わたしはこう思う」を伝えられるのがnoteと考えています。

「多様性」は性別や国籍、文化、言語、宗教など様々な単語の後に置くことが出来る言葉だと思っています。

留学や移住験経がわたしには少しばかりあります。
拙い英語でわたしの知見と、歴史、国家、政治、地政学、文化、戦争などについて、関わってきた国々の人々から意見を求められることもありました。後に自身で調べ、あの時の経験と「繋がった」ことがいくつもあります。
最大の関心は「戦後の日本の復興」です。
当時の未熟なわたしはこの問いに明確な答えができず、今でも悔しい思いがあります。
それについては別の機会に記事にできればと思います。

今回は「子」について
非常にセンシティブな部分があることは承知しています。
婚姻や出産を是非オススメする!とは言っていませんし、子供がいるから偉いなんてことも全く思いません。
たまたま授かることができ、新しい生命を生み出せましたが、生命を失った経験もあります。
ただもし、子を授かることがなかったら、養子縁組を選択したと思います。
この考えは子供の頃からはっきりと持っていましたし、今も変わっていません。
3世代で生活した環境の影響からと考えています。
周りに明治から昭和の戦中生まれの大人に囲まれ、話題の中で普通のこととして受け取っていたのだと感じます。
全部事項証明書で記されているファミリーツリーを見て、「こういうことか」と感じたのです。
「生命とは繋ぐもの」
養子縁組もその選択肢の一つだと感じています。昔のように日常にあれば、特別とは思わなくなるのでは?と。
大きくせりだしたお腹を見て、見ず知らぬおじ様に「こどもは社会に歓迎されている」と感じられる言葉をかけていただいたことがありました。
大人になり、親だけでなく、地域の方々と社会に育てられてきたのだと感じられる、そんな子ども時代でした。
わたしは「豊かな多様性」の中で恵まれて育ったのだと。

訪れた国にはそれぞれ文化や伝統など色濃くありますが、感じたのは日本ほど多様性に富んだ国は無いということ。
そして「個人の自由と権利が担保されている」とも。
そしてそれについて残念に感じるのは、多くの「日本人が持っていることに気づいていない」こと。

「戸籍制度」
全部事項証明書を見れば自分に全て繋がる、そんな国は殆ど無いと思います。
激しい大戦を経験したのにも関わらず、江戸時代末期からの脈々と続く家系図を公の資料として確認することができるのです。
ですが、現在、全部事項証明書は役所での保管義務は80年とのこと。※これは窓口の方に言われました。
去年、別の全部事項証明書を取ろうと役所へ赴き、上記のように言われてしまい驚きました。ただ廃棄されてしまうのか…と。
とても残念な気持ちでいっぱいになりました。
役所が管理するものとはいえ、大切な個人情報です。大切に厳重にデータとして保管されていて欲しかった。
残すという作業に膨大な労力と時間と維持にコストがかかることも理解できます。
けれども、それは歴史と化したたくさんの市井の人々の記録ではないでしょうか。
子孫が知りたいと思えばアクセスできる状態であって欲しいと思いました。

皆が生きるのが大変だった時代に、何人もの子を宿し世に送り出し、どん底の戦後の日本を支えた人々。
お役所の方々は法律に則り仕事をされているのみですが…
家系図を消失してしまっている家もあるでしょう。既に途絶えてしまった家もあるでしょう。
ひとりの人間が生きていた証は家族が形にして残しておく、或いは語り継がなければ残せないものだと認識しました。

わたしが滞在したニュージーランドは移民の国で、ルーツが様々です。
イングランドの方も居れば、オランダ系なんて方も。けれども自分のルーツがどこか知っていましたし、語り継ぎ、そのルーツの土地を、親族を訪ねる方もいました。
そこに誇りを持ちつつニュージーランド人であることにも誇りを抱いています。

インド人は特に厳格です。
20年前は「アレンジドマリッジ」、政略結婚が普通で、親が縁組を決めていました。実際に許嫁のいた未婚の女性と話をしました。
わたしと同世代の彼女は「恋愛?何言ってんの?は?」くらいの勢いでした。
彼女は高等教育を受けた印象は持ちませんでした。恐らくカーストは高くなかったと思います。良家になると更に厳格です。
そして宗教は婚姻に絶大な影響があります。まず、異教徒との結婚は最もハードルが高いかもしれません。
異教徒の男性と結婚をされた女性と話をしたのですが、彼女はかなりレアケースと話していました。そして、その結婚を受け入れてくれた両家に感謝していました。
これらがインドの当たり前なのです。
正しいとか、間違いではなく、単なる「違い」です。

文化とは伝統であり、国体でもあると感じました。そして宗教はどの文化にとっても密接に関わりがあります。
インドで感じたのは「No religion No life」
宗教=規律、常識、通念、文化、これらの総体。
大きな大陸に数えきれないほどの民族がいて、独自の言葉や文化を持ち、強制されない限り共通を作り出すのは難しい、と。

日本では長い時間をかけて日本全土に同じような常識が自然と行き渡り、地域性に富んだ文化と共存してきたのだと感じます。
日本人は宗教感がないのではなく、強制されることなく育まれる自然や環境と一体となって調和してきたのだと。それこそが叡智なのだと。

長くなってしまいましたが、最後に興味深い記事がありましたので共有します。
快く転載をお許し下さった靖(-sei-)さん、ありがとうございます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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