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昨日、今日、明日

春の模様替えをする。

ファミリーヒストリー第2夜へ
行方不明になってしまった祖父を探したと思うが、、7人の子どもたちを育てることの方が優先だったから実家に助けてもらったとおもう。次女は他家へ養女としてもらわれた。
そのもらわれた家が現在も代々の墓を守ってくれていることに感謝しきれないが、、
もう時代もすっかり変わってしまったので
次の世代が迷わないように、同年代のいとこたちと相談して墓じまいを考えている。
けっきょく、祖父は
私が小学校高学年頃に父が見つけて我が家で
同居することになった。子供たちにしてみれば両親一緒にとおもっていたが祖母は祖父を
許せず最後まで暮らすことはなかった。
祖母のすごいとこは、
3男が早世してしまったけれど…あとの6人の子どもたちが家庭を作り子どもが生まれると
必ずお産あつかいをしていた。みな平等に
したことが兄弟姉妹が仲良く過ごせたことを
あとになって感じている。その後も各家庭をぐるぐるしていたので孫たちにも愛される
ばあさまだった。その行動のひとつひとつが鮮明で強烈だったのは、明治生まれでありながら自立した個性をもった女性であったことである。私が朝起きると祖母は朝刊を広げて読んでいる。そして記事に私の名前とおねしょした事が載ってるらしいことをスラスラと読んで聞かせてくれる。うますぎて小学前だから信じてしまっていた…我が家にとっては
重大事件であることには変わりないから。
そして食に関しては骨の髄まで影響している。北海道の海育ちだったので、昆布は
おしゃぶりだったし、特にアキアジ(鮭)は
1尾で余すところなく食べきるので、、
祖母が好きなとこはアラと呼ばれるとこと
鮭の背骨あたりにある血の塊を塩で漬ける
メフンという珍味!!骨も最終はストーブの上でゆっくり焼いて食べるのである。きのうも書いたが祖母はヘビースモーカーで最後は肺がんだった。病気を知らされてもタバコはやめられず着物の袖に残ってるタバコのカスを
集めていたと母が言っていた。。お姫様だった人は祖父に振り回されて、どんだけ苦しかったことだろう…そんな弱気はだせずに生きたのだから表面はタフで豪快で面白くて
みなに愛され続けたばあさんなのだ。
孫たちひとりひとりの良いところを
必ず見つけて応援してくれたことも自己形成につながっている。
また生まれ変われるのならば
祖母の孫でいたいと切に切に願っている。

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