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【試訳】N・レヴィンソンによるマーク・ライデル『わかれ路』(1994)評(N. LEVINSON, 2000)

 『逢うときはいつも他人』とは異なり、この映画は英雄の恋愛の実力について明示的である。つまりあけすけな90年代になって、暗示的なモンタージュは性交マニュアルのような演出に道を譲ったのである。『わかれ路』は建築家とそのガールフレンドの情熱的な性交の、一連の素早い薄がすみのショットで幕を開ける。同じシーンでさらに当作は芸術と愛の間のあらゆる、しかし継ぎ目のない繋がりを例証する。つまり、その後、自分の恋人が眠っている間に、建築家は自分の最新のプロジェクトの模型をいじっているのである。さらに彼はどこに行こうが仕事を持ち歩く、休むことのないプロとして確立されているし、彼の性交後の残照は建築デザインのなかに最もよく放たれる。「なんの仕事をしてるの」。ガールフレンドがベッドから満足げにたずねる。「窓割だよ」と建築家は模型に星印をつけるのに没頭しながら応える。つまり姦淫は明らかに窓割にとってよい準備なのである(645)。

N. LEVINSON, “Tall Buildings, Tall Tales: On Architects in the Movies” in Architecture and Film, Edited by Mark LAMSTER, Princeton Architectural Press, 2000 (Kindle).

データ:マーク・ライデル監督『わかれ路』(Intersection, 1994)。

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