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【映画評】トム・フーバー監督『リリーのすべて』(The Danish Girl, 2015)

 マチズモ全開!の男役をレッドメインが避けているのはフィルモグラフィーからも明らかで、この映画でも彼は、「見る(描く)主体」としての男性画家アイナーから「見られる(描かれる)客体」としての女性モデル、リリーに変貌を遂げる性転換者を演じる。
 最初は無理があるかに思われたレッドメインの女装が、後半になるとまぁまぁ見られるようになってはくる。 だが私としては、その裏で主人公の妻が紫煙をくゆらせていることの方に注目したい。畢竟、夫の女性化(「女らしさ」の獲得)と妻の男性化(「男らしさ」の獲得)とは—後者には手術という選択がそもそもなかっただけで—表裏一体なのだ。
 男性器の切除(女性器の形成とそれによる性自認の補強)は社会的に付与されるジェンダーに対する、男性だけに許されたエクスキューズに過ぎない。手術が原因で死亡するレッドメインがまさにそのことによって「悲劇のヒロイン」と化すのは皮肉である。
 男が女になる映画は悲劇にも喜劇にもなるが、残念なるかな、女が男になる映画はヴァリエーションに乏しい。あるいは登場人物が、男でも女でもない曖昧な状態に、しかし積極的にとどまることを良しとする映画はいつか作られるだろうか。

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