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【映画評】エイドリアン・ライン監督『幸福の条件』(Indecent Proposal, 1993)

 どうやら勘違いしている人がいるようなのだが、本作の主人公デイヴィッド(ウディ・ハレルソン、右上図)は貧乏人ではない。たまたま1990年代の不況の煽りを受けて身を持ち崩してはいるが、元々は家持ち土地持ちで、デミ・ムーア(という時代のアイコン女優、右上図)扮するダイアナを妻に持つエリート「建築家(アーキテクト)」なのである。この、いわば没落した階級としての建築家とその妻を——かつて、例えば『摩天楼』(1949)などではこの職業の下に置かれ、建築家を崇拝すらしていた――実業家が、夫婦の関係ごと金で買って優越感に浸る、これはそういう話なのだ。
 建築家というのは古今東西、鼻持ちならない金持ち、それどころか神にも等しい存在として自らを任じてきた勘違い野郎どもなわけで(実際、没落しても大学教員「くらい」にはなれるわけだ)、それを手のひらの上で転がすジョン(ロバート・レッドフォード、左下図)は、だからある意味でヒーローであり、メフィストフェレスなのである。
 まあもちろん、今度はレッドフォードのような「資本家」が神の位置についただけのことで、彼の傍には次なるメフィストフェレスが既に控えているのかもしれないが。

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