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【映画評】飯塚健監督『ある閉ざされた雪の山荘で』(2024)

芳しくないミステリー

 a.k.a. 「そして田所の強姦未遂の事実だけが残った」。あれを無かったことにした時点で本作の性的モラルは最低と知れる——登場人物たちは皆よくあんな奴と同じ舞台に立てるものだ。CGによる空想描写とはいえ「山荘」が「閉ざされ」る程の雪が降り募って/積もっていないのも気にかかる——雪国の実情を舐めてはいないか(原作の舞台は本当に「雪の山荘」だった)。そして何より謎解きのテンポが悪い。何だかもたもたもたもたしている——特に終盤がひどい。
 いや、そもそも、リビングだけでなく各劇団員の部屋でもタイミングよく壁に文字が投影され劇団主宰の声が聞こえてくるのだから、既にそこに再生装置やプロジェクターがあるわけで、ということは、プライベート・スペースも何も、全て盗撮・盗聴されているのではないだろうか。
 そんな感想を抱いた私だけでなく、誰の目にも粗が目立ったからかどうか、Filmarks(3.4)や映画.com(3.3)の評価も芳しくないようだ。

ないものねだりの牽強付会

 などと散々文句を言ったものの、私が本作を楽しめなかったと言えば嘘になる。なぜなら、見ている途中で、この密室「劇」が「幽霊屋敷もの」とほぼ同じ体裁をもっていると気付かされ、そのことに一人興奮していたからだ。もし仮に、この「山荘」で起こる殺人を「犯人」のではなく不可視の「幽霊」の仕業に置き換えるなら、とりわけ登場人物らを複数の定点カメラの映像によって頻繁に映し出す本作は、彼ら劇団員が幽霊調査に興じる『パラノーマル・アクティヴィティ』の様なホラーになったのではないか。
 ということは、東野圭吾の原作以前に、本作の下敷きにされているアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』(And Then There Were None, 1939)——孤島の閉ざされた邸宅で生じる連続殺人事件を扱う(但し死体は消えない)——が「幽霊屋敷もの」のフォーマットにある程度沿っているのではないか。
 本来、「車椅子」などは純然たる「幽霊屋敷もの」(ゴシック・ホラー)の意匠であり、一見、日本風である「井戸」も、その実、19世紀ゴシック小説における地下墓地の代理表象と言えるのであるから、『ある閉ざされた雪の山荘で』も、「押し入れ」ではなく「屋根裏」や「階段」、「鏡」そして「火事」といった幽霊屋敷的モチーフを、もう少しうまく使ってほしいところだった。
 とまあ、無論これは全て「ないものねだり」かつ「牽強付会」の説である。
 実際には、特にラストが、ぐだぐだな『名探偵登場』(1978)——これも「密室」連続殺人事件を描くクリスティの『オリエント急行殺人事件』(Murder on the Orient Express, 1934)のパロディ——の様になってしまったのが、本作の惜しいところだ。

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