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【映画評】クリス・サンダース監督『野性の呼び声』(The Call of the Wild, 2020)

イギリス動物文学との影響関係

 本作が映画館にかけられる前、さもハリソン・フォードが演じる主人公(ジョン・ソーントン)とその飼い犬の物語であるかのような予告編が流されていたが、実際にはこれは犬のバックが主人公の純然たる動物映画である。
 だから映画の前半において、大型犬バック――原作小説によればセントバーナードとスコッチシェパードの雑種――は、ゴールド・ラッシュに湧く19世紀末のアラスカを舞台に、本作と同じヤヌス・カミンスキーが撮影した『戦火の馬』(2011)よろしく、どんどん飼い主を変えていく。いや、存外、小説『戦火の馬』(War Horse, 1982[英])の方が、ジャック・ロンドンの原作小説『野性の叫び声』(The Call of the Wild, 1903[米])から影響を受けているのかもしれない――それ以外にも動物視点による小説にはアンナ・シュウエルの『黒馬物語』(Black Beauty, 1877[英])、リチャード・アダムズの『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』(Watership Down, 1972[英])などがある。つまりは動物を主人公とするイギリス文学の系譜がこのアメリカの小説を原作とするアメリカ映画の前後には見え隠れしているのである。無論、それ以前に、「動物もの」としての本作の原作小説が人気を博した背景には、19世紀後半のアメリカにおけるアラスカ・ツーリズムの展開や自然回帰運動の興隆があった(信岡朝子「解説」『野性の呼び声』)。
 それはともかく、バックがソーントンと共にアラスカの大自然の中を旅することとなるのは物語も後半に差し掛かってからだ。これは上記ロンドンの原作あっての展開だから仕方ないとはいえ、映画としては、動物だけが主人公の物語とも、犬と人間のバディものとも、ソーントンの一代記ともつかずといった感じで、冗長で散漫な印象が否めないものとなってしまった。

CGによる擬人化とそこからの逸脱、自由

 それ以上に気になったのは、犬のバックの擬人化の程度が過ぎることだ。動物愛護や動物の権利の精神が映画業界を席巻している今日、名犬ラッシーの時代の様な、細かいカット割りと繊細な編集によってかたち作られた実際の動物による物語はもはや成立し得まい。だから、バックがCGで描かれたとて驚きはしないのだが、問題なのは、「彼」の表情とそれによって醸成される感情とが—―言葉こそ話さないものの――完全に人間のそれだということだ。いったい、人間とは異なる存在としてバックの顔を描けなかったものだろうか。
 だから、このCGで描かれた犬が(とりあえずは作中の)人間の手を離れて独立独歩の道を選ぶ終盤の展開には救いがあった。それは、メタレベルで、人間によって作られた(描かれた)に過ぎない動物たち(プログラム)が勝手に動き出す技術的シンギュラリティへと達する未来をも示唆するのである。
 興味深いことには、そのとき、バックの「自由」への意志は端的に野生の「狼」によって象徴されていた(写真右上・左下)。同様の展開を、既に私たちはストップ・モーション・アニメーション『ファンタスティックMr. Fox』(2009)(写真左上)やアニメーション『おおかみこどもの雨と雪』(2012)(写真右下)でも目にしたはずである。ついでに言えば、狼こそ出て来ないものの、『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(2018)やティム・バートン版『ダンボ』(2019)でも、やはりCG製の描かれた動物が人間による支配から逃れようとしていた。
 狼と竜(あるいは空飛ぶ象)が映画の中で果たす役割には共通点があるのかも知れない。

〈引用文献〉ロンドン『野性の呼び声』深町眞理子訳、光文社文庫、2013年。

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