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【自分次第で未来は変えられる】を教えてくれたのは元夫の不祥事でした ③長男のストレス10円ハゲ

↑の続きです。

年が明けたらすぐ、何かプレゼントを買ってもらう気満々で、とても楽しみにしていた10回目の結婚記念日でした。

春になれば、長男は小学校へ、長女は幼稚園へ、それぞれ入学入園が決まっていました。そのタイミングに合わせて引っ越せるよう、思い通りに建ててもらった新居もすでに完成。どう考えても、人生で何度目かの幸せの絶頂であったはずなのに、一夜でどん底へ落ちた気分になりました。

手に入れた大切なものが、その手のひらからこぼれ落ちていくのを止められないような感覚で過ごす、大晦日からのお正月。私はどうすれば良いですか? 困ったとき、一番相談したいはずの相手から突き落とされたどん底はとても深く、這い上がることは不可能に思えました。

夫が出て行ってからひと月足らずで、私はあっという間にうつ病になりました。私の異変に気付き、心療内科へ連れて行ってくれたのは義両親です。事情を知った義両親は、ずっと私に寄り添ってくれました。こんなに優しいご両親に育てられた夫だ。信じて帰りを待とう。夫は大事な家族なのだから。そう思わせてもらえるほど、義両親にはお世話になりました。

 うつ病と診断されたとき、とても嬉しかったことを覚えています。なぜなら、「これで帰ってきてもらえる!」 そう思ったから。でもその期待は外れ、夫からは何の連絡もありませんでした。当たり前か… 

翌2月には食事がとれないことが続き、外で倒れてしまい、救急で病院に運ばれもしました。その時も救急車の中で、「これで帰ってきてくれる!」と、期待をしましたが、まあ帰ってきませんよね。また無駄に体調崩したわ。と、お腹が鳴るだけです。

3月には、住んでいた家が空き巣に入られました。さすがにこの時は連絡をすると家まで来たのですが。
「警察に言われて指紋を取りに来ただけ」
と、自分の指紋を提出して5分ほどで運命の人が待つ名古屋へ戻って行きました。
私も子どもたちも怖い思いをしているのに、全く心配してはくれないんだね。もうすぐ1年生の長男が何かを察しているのか、頭に丸いハゲがいくつもできていることを伝えても、なんとも思わないんだね。

これらの夫の塩対応の積み重ねで、私はやっと、自分が置かれている状況を理解していくことができるようになりました。もう私の家族は、元には戻らないのだと。

何も言わず、いつもと変わらずふるまってくれていても、さすがに父親不在で母はうつ病。長男の小さな心と体に、大きな負担をかけてしまっていることにやっと気がつけるまで、三か月かかりました。

まずは私がしっかりしなくちゃ。子どもたちのために。そして自分自身のために強くなろう。そう決心しました。そう決めた瞬間、長男の頭にできた10円ハゲが一瞬、ほんの一瞬だけ、浮かびかけた涙でぼやけて見えました。

私は強くなると決めたのだから、泣いてはいけない。ここまで泣かずに頑張ってきたじゃないか。こぼれ落ちそうな涙を気合で引っ込めたのと引き換えに、体の奥から力が湧いてきたような不思議な感覚があったのを、今でもはっきりと覚えています。


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