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『コーダ・あいのうた』でこんなにも泣いちゃった訳。家族と夢。

やっと観れた。案の定めっちゃ泣いた。

みなさんはどうでした?どこで泣きました?
涙するポイントも、人によって違うんだろうな〜と思いました。
私は特に、主人公のルビーとV先生とのシーン、そしてルビーと母親とのシーンが心に響きました。

何がそんなに泣けたんだろう?様々な要素が含まれていると思うので整理してみようと思います。
※ネタバレに対して配慮の無い記事になります。
※以下、映画内のセリフについても言及しますが、記憶からの書き起こしなので全く同じセリフでは無いことご了承ください。内容に関しても、認識違いがあるかもしれません。

はじめに

整理した結果、私の場合、この映画で私が涙したポイントは主に下記2つになりそうです。
①夢を家族に理解してもらう難しさ
〜親の子に対する愛情と夢への応援は必ずしも相関しない〜
②夢に向かって突き進むためには、導いてくれる存在との出会いが重要
〜世界を拡げてくれた、V先生の存在〜

そしてこの2つはCODAの主人公特有のものではなく、健聴者の親に産まれた健聴者の子どもにも起こりうるものだと感じました。だから泣けるんだな。
(ただ、主人公がCODAであることで、より構造が分かりやすく描かれていると感じる。)

ちなみに、CODAとは「Child of Deaf Adults」の略で、聴覚障害者の親をもつ健聴の子どもを指します。

あらすじも一応載せときます。

豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。

公式サイトより引用:https://gaga.ne.jp/coda/


①夢を家族に理解してもらう難しさ
〜親の子に対する愛情と夢への応援は必ずしも相関しない〜

子どもに対して「自分の理解の範囲内にいて欲しい」と願う母親
親が子に対して「自分の理解の範囲内にいて欲しい」と思うことは、当たり前のことなのかもしれません。
特に、母親は自分の身体を痛めて産まれた子に対して、このようなことを強くを思うのは自然なことなのかもしれません。そして同性の娘には特にそう思うのかもしれません。
映画内でのルビーの母のシーンでも、そんな感情が強烈に描かれています。

「反抗期なのね」「私が盲目だったら、あなたは絵を描いていたかも」
ルビーが合唱クラブに入ったことを母親に報告した時の、母の台詞。
その他にも、音楽を聴いていることを注意されたルビーが、食事中に出会い系アプリを見ている兄を咎めない母親に対して文句を言った際にも、
「出会い系アプリは家族で話題にできるでしょ」という旨を話しています。
ただ劇中では、ルビーが家族が原因で(クラスメイトに笑われる等)学校生活で苦労している描写があるので、ルビーにとって音楽は「家族と一時的に分離し、自分を保つための手段」だったことも事実だと思います。


娘がろう者であることを願った母
母がルビーの部屋を訪れるシーン。母はクラブの発表会で着るドレスをルビーにプレゼントします。(母親なりに、自分の世界の中でルビーに愛情を注いできたことが伝わるシーンです)
その後の会話の中で、母は「ルビーが産まれた時、ろう者であってくれと願った」とルビーに告げます。

あまりに残酷なセリフで、私は涙が止まらなかったです。
正直、なんでそんな酷なことを言うんだろうという怒りに近い感情も感じました。そして、それほどまでに、母はろう者であることで孤独を味わってきたことも想像できます。(劇中でも、月に1回のろう者の集まり以外に仲間がいないことや、同世代のパートのおばちゃん軍団の会話の輪に入れない母のシーンが描かれています)愛する娘が健聴者であることが、母親にとって大きな苦しみであるという残酷な現実です。

発表会のシーンはクライマックスにならなかった
劇中で1つのイベントとなるのが、合唱クラブの発表会のシーンです。私は最初、発表会のシーンで家族がルビーが歌うシーンを見て、感動する(歌の素晴らしさを理解する)という結末を想像してました。
ところが実際には、発表会でのルビーの歌声は直接的に家族には響きません。(と、私は解釈しました…)
ルビーが歌っている最中、両親が晩御飯の献立について手話で会話しているシーンは、なかなかにショックです。他の観客が感動し、涙する姿を見て、娘の歌の影響力を間接的に理解することはできますが、ろう者に直接的に伝えることは難しかったのです。

実際のクライマックスは、発表会から帰宅した後のシーンだと私は思います。
ルビーの父がルビーに対して「もう一度歌ってくれ」と言い、ルビーが歌うシーン。そのとき、父はルビーの喉元を触り、声帯の震えから、歌声を感じ取ろうとします。娘の歌声を感じ取りたいと願う「ろう者の父」と家族と伝えようと必死に歌う「健聴者の娘」。お互いの歩み寄りが描かれていて、それこそが愛情だと感じました。

その後結果的に、ルビーは諦めていた音大受験にチャレンジすることになります。
劇中では描かれていませんが、ルビーの父が妻を説得したことが想像できます。V先生の働きかけもあったかもしれません。
ルビーの父、母、兄は皆ろう者ですが、それぞれ個性があり、考え方も違います。3者が努力し、補い合い、成長したからこそルビーを送り出せたのだなと思います。

受験のオーディションのシーンで、ルビーが手話をしながら家族に向けて歌っている姿が、コンサートのシーンと対照的で泣けました。

家族と分離する手段だった「歌」を生きがいだと認識し、夢として追い、いつしか家族とつながる手段となった。その過程に私は感動しました。

②夢に向かって突き進むためには、導いてくれる存在との出会いが重要
〜世界を拡げてくれた、V先生の存在〜

V先生は、ルビーが所属する合唱クラブ(「クラブ」とあるが、日本でいう「選択授業」に近いニュアンスな気がする)の顧問。
主人公ルビーの歌の才能を見出し、家族の通訳係だったルビーを彼女の生きがいである歌の道へ導いた人物です。

私はV先生のルビーに対する熱量のある姿勢に、感動しました。

ルビーとの会話の中での「問いかけ」からも熱量が伝わります。
「歌っているとき、どんな気持ち?」
この時、ルビーはうまく言葉で表せなくてジェスチャーで表現します。「歌うことが好き」というルビーの気持ちがグッと伝わる心躍るシーンです。
(ジェスチャーでの表現力の豊かさはCODAならではなのかもしれない)
彼女にとっても、先生からの問いかけは自身の歌への思いを自覚する機会となったはず。
「醜い声ってどんな声?」
歌の練習をしていた時のこと。ルビーが周囲の人物から声が醜いと言われた経験を話した時のV先生の問いかけです。ルビーは「普通の声と違う。ろう者の声みたいだから」と答えると「普通って何?」と問いかけ、彼女の声に対するメンタルブロックを取り除きます。

その他にも、ルビーが家族の通訳が原因で練習に遅刻した際、それを許さず厳しく接したシーンも印象的でした。V先生の愛のある厳しさのおかげで、家族の通訳という役割から逃れられなかったルビーが少しずつ自分の夢と向き合い、予定の優先順位を変えたり、家族に歌への思いを伝えるという行動をとるようになります。

さいごに〜目の前のことに懸命に〜

改めて考えると、一番心を打ったのは主人公のひたむきさかもしれません。目の前のことにひたむきに生きていれば、どこかで誰かがきっと見ていてくれる。いつか人生が好転する。ありきたりな話かもしれないけど、素敵だなと思います。希望を感じる。

・ルビーが気になっていた彼(マイルズ)は、ルビーがレストランで両親の代わりにビールを注文する姿を見ていた。
・ルビーは、彼と一緒のクラブに入るために、合唱のクラブに入った。
・合唱クラブで、ルビーはV先生に歌の才能を見出される。
(ルビーの才能には、歌に対する愛や喜びも含まれていると思う。)
・早朝の漁を手伝いながら学校に通うルビーにとって、自らを鼓舞するために音楽、歌が必要だった。それこそがルビーの歌に対する愛や喜びの源になっている。

あと、歌がとにかく素敵なので聴いて欲しいな〜。


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