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子の不登校で親が苦しむのは

最近思ったこと。
「子育てが怖い」私は、不登校の親の会を開催している。
そこで、最近、親の会を開催してきて気づいたことを話す機会があった。
なぜ、「不登校」は親が苦しむのか?そして、なぜ私は親の会を開催するのか?

「不登校」は親も苦しむ

「不登校」の当事者は、子どもだ。
子どもは悩むし苦しい思いをする。だから子どもは「死にたい」と思ったりする。
親は、身近な支援者だ。
でも、親はとても消耗する。
そして、親子が元気になる解決策なんて十人十色で、
印籠みたいな、これさえあれば大丈夫、なんていうのもない。

母子分離ができてない??

親が消耗していると、
学校や医療機関や福祉等の相談機関から
「母子分離ができていない」と言われる場合が結構ある。

こんなこと言われた、と涙を流しながら、親の会で参加者が報告してくれたりする。
だから、私は子育てが怖くなる。支援機関が、親を崖から突き落としているような気持ちを味わうからだ。

なぜ親は苦しいのか?

母子分離ができていないから苦しいのか?
いやー、そもそも母子分離できないって、状態像を示しているだけで、
母子分離が不登校の原因なのか?
不登校になったから母子分離ができないのか?
こんなことを話し合っても、誰も救われない。

今あなたはこうなっていますね、という分析はいらない。
明日から何ができるのか。どうしたらいいのか。
少しでも明日が前向きに過ごせるヒントが欲しい。

支援者が親を苦しめるというのは、20年前からあまり変わらない。
でも、それ以外の親の苦しみは、実はこっちにあるんじゃないかと
思った。

子が不登校になると、親はマルチタスクに溺れる

子どもが不登校になると、親にはどんなタスクが発生するのかを
書きならべてみた。今のことろ思いつくのは下記の通りだけれども、
きっとまだまだあるだろう。
OODAサイクルにのせてみた。イメージしたのは、不登校初期。

OODAループ - Wikipedia

Wikipediaより
  • 観察(Observe)
    〇子ども:子どもの体調面、子どもの学校生活、子どもの心の問題
    〇学校・担任:クラスの状態、先生はどのくらいわが子を理解しているか、子どもの居場所は、相談のできる人はいるか。
    〇家庭:親の仕事状況、イレギュラー対応に対する心身の状況、家事や育児に協力してくれる人がいるか、家計

  • 方向づけ(Orient)
    〇子ども:子どもの限界設定、日中活動の見極め、昼食準備
    〇学校・担任:学校内で連携する教職員についての見極め
    〇病院:体調不良に対する受診先の整理
    〇親の職場:子育てに対する職場の理解、現在の転職事情
    〇家庭:親自身のストレスマネジメント、家事育児の支援者の選定、誰が子どもをどのくらい見られるか、兄弟への影響

  • 意思決定(Decide)
    〇子ども:どの程度休むのをよしとするか、身体面か心理面かの見込み
    〇学校・担任:登校に向けて背中を押すか否か、タイミングは?、先生との連携頻度はどのくらいが適切か、どこまで相談するか
    〇家庭:仕事の休み方、働き方、家庭内役割分担、協力者の選定、許容できる支出の見込み

  • 行動(Act)
    〇子ども:病院受診、欠席連絡、日中の子どもの様子を見る
    〇学校・担任:学校、先生との連携、相談
    〇家庭:職場に休職、時短、退職等の相談をする、家庭内役割分担をする、協力者にお願いする、お金で解決することはお金を使う

不登校は家庭内の非常事態である

子どもの不登校は、見通しが立ちにくく、子ども本人が意思決定することが
難しいことが多い。
そのため、親が本人に代わって意志決定しなければならない。

「明日学校行く?」
「来週からは学校行ける?」

この言葉かけが、子どもたちを苦しめもするのだけれども、
子どもの意志がわからないまま、明日以降の大人のスケジュールも含めて
決めていかなければいけない親の負担は相当なものがある。

子育てと家事は、今の日本では母親が主となって担っている。
そこに加えて、子どもの体調、心理面、日中のサポート、学習面のサポート、そして自身の仕事の調整、協力者の調整、学校との連絡と連携が一挙に押し寄せてくる。

どんな親でもつぶれる・・・

どんな親でも、日々の生活に加えて、「不登校」にまつわる上記のタスクが加わると、回らない。

「マルチタスク」の処理に長けている人は、できる人がいるかもしれないが、「子ども」も「学校」も「職場」も不確定要素しかなく、確定するものがない中で、何も決められない。「すべてのタスク」が不確定要素を取り扱っていて、常に変更を迫られる。

だから親の会をやっています

「不登校の当事者」は子ども本人だ。
そして、意思決定できない状態にある子を意思決定できるように支援しているのは、親だ。親の都合で子の意志が決められることもある・・から厄介なのだけれども、それは追い詰められた親であればそうなるだろうと思ってしまう。

だから、追い詰められないように、安心して「OODA」サイクルを回し続けられるように、支援する必要があると思う。
不登校は100人いれば100通りの立ち上がり方がある。
それを選び行動していくのは、子どもとそれを支える親だ。
だから、ひとまず親を支える場がないと、OODAサイクルは回し続けられない。なぜなら、不確定要素の情報を集め続けなければならないから。
一人では無理。3人寄れば文殊の知恵。
暗中模索の中、選び取るのは、参加している一人ひとりだ。
支援者ではない。もちろん、最後に選び行動するのは子ども自身だ。

親の会では、「観察」に必要な情報があふれていて、そこには、行動する勇気を持ち、励まし合う仲間がいる。
私はこんな風に応援してもらう場があると、「子育てが怖い」私が子育てできるかな、と思えるんじゃないかと思って親の会をしている。

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