叶えていない夢はメジャーデビューだけ
RUNAのプロデューサー兼マネージャーであり本業はギタリストの克樹です。
初めましての方もそうでない方もどうぞよろしくお願いします!
今クラウドファンディングにチャレンジ中のRUNAですが、折角なので普段はRUNAの裏方に徹している僕のことをファンの皆さんにも知って貰いたくて自己紹介をしたいと思います。
僕は普段音楽講師を中心とした生活を送っていまして、ギターやウクレレの他に
三線やマンドリンなどの珍しい楽器を扱うマルチ講師です。
約3年前から始めたYouTubeでのレッスン動画も間もなくチャンネル登録が5000人を突破します。
先日音楽講師向けにYouTubeの活用法やオンラインレッスンを説明する講座の仕事も頂き、コロナの中でも有難いことに仕事がどんどん広がっていってます。
3年前には三線の本も出版させて頂いたこともあり、職業ミュージシャンとしては順風満帆のように見えると思います。
しかし僕が唯一叶えていない夢があります
それはメジャーデビューをする事。
僕は元々はRUNAと同じ立場の人間でした、ご覧の通り今は全く違うことをしているので不思議に思われる方が大半だと思います。では一体何をやってきたのか?
それを説明する為に少しだけ僕の過去の話しにお付き合い下さい
元々はどこにでもいる普通のギタリストだった
サラリーマンを辞めた24歳辺りからメジャーデビューに向けて色々なバンドを組みました。実は当時ボーカルもやっていたのでボーカルオーディションも受けてたんですよね。バンドの方は殆どが幾ばくかのオリジナルソングを作って適当にライブして何となく解散してただけですから、全部失敗だったのは誰の目にも明らかです。誰か凄い人の目に止まれば変わったかも知れませんが、今となっては人の目に止まる事もまた実力のうちだと思い知りました。
27歳で掴んだ一筋の光
そんなうだつの上がらない人生に嫌気がさすものの、やっぱり音楽を捨てきれない僕は27歳の時に組んだバンドで素晴らしい人達に巡り合いました。株式会社ワールドスケープ代表の海保ケンタローさんとRUNAのバックでもお馴染みのベースの土井ちゃんです。
そうそう彼とは元々バンドメンバーだったんだよなこれが!
実力と頭では逆立ちしても勝てないので、年齢だけが唯一のマウンティング材料とばかりに何かあると彼にはいつも嫌がらせをしています。
そこで組んだバンドは僕のミュージシャンとしてのイメージ全てを見事にぶっ壊してくれたんですが、その話しは長くなるのでまた今度!
そこでの活動は過ぎてみればたった半年程度でしたが僕の人生を変える程の激動の日々でした。
コツコツ頑張ってたギターが仕事になった日
でもそんなバンドも結局解散というかクビになった?というか紆余曲折ありまして、またもや独りになり。。つーかそこまでやりたいんなら「一人でやればよくね?」って思われるかも知れませんけど、1人でやってても全然身が入らないんですよ。僕は真性の厨二病なので「仲間ウェイ!チームウェイ!」みたいな感じのサクセスロードを歩みたいタイプなんでしょうね。ただ現実はお察しの通り売れないミュージシャンの集まりって結構カオスなんです。
でも本当のところはたった独りで行動する勇気がないだけなんですきっと。
だから一人でゴリゴリ活動出来るシンガーさんとかマジで尊敬します。
そして人生を掛けたかったバンドを辞めた丁度その辺りからタイミングよくメンバー募集サイトからギターのサポートの依頼が舞い込むようになりました。
因みにサポートとはギャランティーをもらってギターを弾く事でして要は非常勤みたいなもので、必要があれば声を掛けて貰ってギターを弾くって感じです。
僕が渋谷のO-EASTに立った時のバンドもサポートでした。
因みにCroixのベースのてっちゃんはバンド仲間であり友達でもある。
ギターで足りないお金は運良く社長秘書に拾って貰ったり歩合制の電話営業の仕事で部署で1位になったりで生活に困らないお金を稼いでました。あとは赤坂のライブバーのマネージャーとか、まあその話しだけでご飯三杯いけちゃうのでいざって時に取っておきますね。
そして31歳の時尊敬する音楽仲間の一人である音雫代表の大輔君に出会い音楽講師の仕事に変化して、冒頭にもあった三線やマンドリンも教えるようになり本格的にアーティストではなく職業ミュージシャンに活動がシフトしていきました。
音楽を仕事にしてみて改めて痛感した本当の僕の夢
こんなこと書くと誤解を生むと思いますが、あえて言わせてもらうと職業ミュージシャンとして仕事をするのは僕にとってはさほど難しくありませんでした。
なぜならばやるべき練習をやって、つけるべき知識をつけて適度に発信を続けていけば自然と仕事が回ってくるから。もし回らなければ自分から仕事を貰いにいけば何とでもなります。
夢弦流と名付けた自分の三線教室の発表会。
一方アーティスト活動はどんなに頑張っても全然上手くいきませんでした。
今ならもうちょっと上手くやれるかも知れませんが、それでもアーティストという土俵では結果が一ミリも予想出来ません。
こうやって仕事が安定して来たからこそやり尽くしてないアーティスト活動をしたい欲がふつふつと湧き上がり、結果としてRUNAのマネージャー兼プロデューサーという立場に落ち着いたわけです。
一生アーティストでい続けたいと心底思った
僕は今年35歳になりました、立派に中年の域に差し掛かった人間です。もう親の老後や将来の事を真剣に考えて行動しなくてはならないような人間が何を言ってるんだ?そう思われる方も少なくないでしょう。
でも僕は16歳の時高校の文化祭で立ったステージの感動を今も忘れていません。
一昨年のRUNAのワンマンで感極まってステージで泣いた事を忘れていません。
ステージでの感動や今までやってきた苦労を
目を瞑れば昨日の事のように思い出す事が出来ます。
音楽活動では、はっきり言って無駄だと思うような事も沢山しました。
方法だけを探して本質から逃げてた事も一度や二度ではありません。
むしろ身を結ばなかった行動の方が圧倒的に多かった人生です。
だからこそメジャーデビューに執着したい。しかもただデビューするだけじゃなくて数えきれない位のファンに囲まれたい。
そして自分達の力で大きいステージを単独公演でソールドアウトにさせたい。
何故なら僕は自分の奏でる音や音楽で人が感動してくれる事に心から感動するから。自分の存在意義をそこでようやく認識出来るんです。
こんな歳だけど、こんな歳でも僕はチャレンジャーでありたい。僕を支えてくれた家族やミュージシャンに結果で恩返しをしたい。僕の名前で仕事を取ってこれる位に、お金を一切気にする事なく親に生活をさせてあげたいです。
ファンに最高の感動を届けて僕自身が人生で思い残すことのないくらい感動したい。だから僕は最後の一回が成功するまで失敗しても全然構わない、それくらいの気持ちでこれからも一歩ずつ頑張りたいと思います。
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