胸が痛む美しさ。
noteを読んでいると、胸が痛む美しさを感じることがある。感じる、というか存在している、みたいな。
個人のSNS利用が当たり前となり、誰しも「リア充」である自分をネットを通じて発信する世の中になった。
noteの世界は、「リア充じゃなくてもいいよ」と言ってくれる。
だから好きなのかもしれない。
ちょっと悲しくて、落ち込んでたり胸がちくっと痛んでも、それをよしとしてくれるのがnoteな気がする。
自分が背伸びをする必要がない。
ある意味、リア充じゃなくてよくて、いつもみせている自分だけじゃなくてもよくて。攻撃もされにくい、プラットフォーム的な存在。
最近、過去の傷を思い出すことがある。
傷、というよりもその時の思いとかそういうの。
なんで思い出すのかな、なんて思う。
辛いと思うことにメリットを感じているのかもしれない。
「かわいそうなわたし」にどこかしらメリットを感じているのだと思う。
「彼氏のいない自分」
「結婚していない自分」
「こどものいない自分」
全部「かわいそうなわたし」で、それに対して誰かにかまってほしいからそのアピールを無意識にするのかなと。
あとは執着しないようにどこか去勢している気がする。
矛盾している。
たまにいろんな考えがごっちゃになる。
やっぱり、私は周りの人たちを大切にしたいし、大切にする。
その中で、素敵な人に出会って
その人が私のことも好きになってくれらたら
それが一番幸せなことなのかもしれない。
こういうのをかけるのもnoteでよかったって思うことかもしれない。
具体例があるわけではないけれど。
そんなかんじ。
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