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国際語としての英語の現実

現在ドイツに在住し、多国籍の従業員から成る職場では専ら英語を使っているのですが、ここに来て改めて英語の難しさを実感しています。

英語がもともと持っている難しさだけではなく、
国際語であるがゆえの難しさです。

職場は殆どが英語のノンネイティブ。
皆、共通語として英語を話すのですが、
皆さん、思い思いの英語を話すので、相互理解に苦労します。
訛りはもちろんですが、文字で書かれていても、根本的に理解に苦しむ。

特に欧州の従業員は、流暢に話すこと自体は出来る人が多いのですが、
書いてある文、話す言葉を読んだり聞いたりすると、
英語なのに何を言いたいのかさっぱり分からないことが多いです。

傾向として、
スペイン、イタリア、フランスと言ったラテン系の従業員は
やたらにラテン語由来の言葉を使うことが多いです。

日本語で言うなら、やたらと小難しい漢語を使ってくる感じでしょうか。
間違いじゃないんだけれど……分かりにくい。

一方、ドイツ人は、発音面ではハッキリと話し聞き取りやすいという評判がありますが、書く英語や話す英語がまるでドイツ語、ということが多いです。

ドイツ語と英語って、見た目は全然似ていないように見えるのですが、実はかなり近い言語同士であり、近いゆえに、ドイツ語を直訳しても英語で話しているかのように聞こえるのです。かのように。

実際には、熟語表現がドイツ語の直訳だったり、英語にはその意味がない句動詞を使ったりということが多いです。あと、非常に文が長い。

「英語にはその意味がない」は、まさに国際語としての英語のキーワード。

特に欧州言語では、形がそっくりだけれど意味が全然違う単語の組み合わせ(「ニセ友(false friends)」と言います)が多く、欧州言語のネイティブならともかく、僕のような第三言語(日本語)が母語の人間からすると、英語を理解するために英語以外の言語の知識も必要になり、手間が凄いのです。

英語ネイティブなら分かるのかと言うと、分からないようです。
ノンネイティブの英語に普段から触れているネイティブでなければ解読できない、国際語の英語はまさに別言語だそう。

でも、これが英語の現実なのでしょう。

「こんな表現、ネイティブはしない」と、鬼の首を取ったように言っても、おびただしい数のノンネイティブ英語を前にしては、もはや虚しい叫び。

僕たちが英語で出会う人々の大半はノンネイティブであり、
僕たちが見聞きする英語の大半は、ネイティブの英語ではないのです。

ものすごく皮肉ですが、
国際舞台で英語を使え理解できるようになるためには、
ノンネイティブの使う英語を大量にインプットする必要があるのです。
ある意味、「偽物」の英語を……。
これって、語学学習者としては、大きな悩みではありませんか?

「英語が持つ本来の難しさ」について言えば、
英語は規則が少ない(ように見える)。
英語は表現が柔軟(なように見える)。
これが諸刃の剣となっています。

柔軟だからこそ色々な表現ができる。
本来なら、「文法的には合ってるけれどネイティブはこう言わない」というネイティブによる規制が入り、少しは淘汰されるのですが、

ノンネイティブが大半を占める環境では、もはや野放図状態。

英語の柔軟性が仇となって、色々な解釈のできる、そして結局何が言いたいのか分からない文が大量生産されてしまうのです。

これが、フランス語のように、スタンダードが1つしかない言葉だったり、
ドイツ語のように、複雑かつ精緻な文法で使用者を束縛してしまう言葉であればもう少し事情は異なったのでしょうが、

幸か不幸か、スタンダードが複数あり(イギリス英語、アメリカ英語等々)、文法が比較的単純な英語が国際語として広まったが故に、却ってコミュニケーションが取りにくい、という事態になっています。

何十億人もいるノンネイティブに向かって、「もっと綺麗な英語を使ってください」と言っても無駄です。

自分だって、日本人としてのバイアスがかなりかかった英語を使っているのですから。

他の言語ではネイティブレベルを最終目標にする人は多いと思うのですが、
こと英語について言えば、そう生易しいことは言っていられません。
仮に達成できたとして、相手の言っている英語が理解できるかは別問題。

果たして、ネイティブのように話せることを目指す意味があるのかと、僕は考えるようになりました。


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