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池田伸哉の思い出

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2020年10月、突然、この世を去った池田伸哉にまつわる作品を集めた。毎年12月になると池田はこう言った。「ジョン・レノンは俺の誕生日に死んだ。だから、俺は誕生日が来るたびにジョ… もっと読む
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記事一覧

池田伸哉写真集「ソビエト社会主義共和国連邦の冬」

池田の写真集に書いた「解説」の入稿原稿が出て来た。池田の誕生日を記念してアップする。 池…

H成功率100% 松平P作

池田と松平は仲がよくなかった。松平はキャバクラ好きの池田を軽蔑し、池田は松平の風俗通いに…

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キャバ嬢の兵法

一時期、池田といえばキャバクラ。キャバクラいえば池田だった。そのくらい池田はキャバクラが…

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私の作品紹介5 監獄小説『余は如何にしてイスラム教徒となりし乎』(1987年の聖戦)

22歳の時、法政大学在学中に出した監獄小説である。カバーデザインをやってくれたのは、当時、…

私の作品紹介3 ポスト学生運動史:法大黒ヘル編…1985〜1994

2010年1月、連合赤軍関係の本をたくさん出していることで知られる彩流社より上梓したもの。小…

池田伸哉の思い出 その3 次の社長は誰だ!

これも池田をモデルにしたものだ。 アメリカの大統領はトランプとは真逆のバイデンになった。…

池田伸哉の思い出 その2 神様の贈り物

これは、池田事務所の仕事を一緒にやっていたライターさんの話。 池田はラジオの音楽番組が好きだった。リクエストも何度かしていたらしい。が、池田の手紙が読まれることはなかった。文章が下手くそで、何が言いたいのかわからなかったのだろう。 そんな池田をみて、彼女が代筆をしたことがあった。さすがプロのライターさんだ。見事、(彼女の書いた)池田の手紙は全文読まれた。 池田がリクエストしたのは、ローリング・ストーンズの「メモリー・モーテル」だった。 神様の贈り物  仕事仲間の一人に美女

池田伸哉の思い出 その1 大きなおうち

池田伸哉とは1986年12月、ソ連邦極東の町、ハバロフスクで知り合った。それから一緒に一ヶ月か…