偽の平等トリックを見抜き、離脱せよ

社会のあらゆる概念に入り込み、現実を歪めている最大かつ最奥の要素

それは概念の前提の印象操作である。 分かりやすい例を出そう。

〇一覧 ⇒一覧で並べると同格に感じる 

〇並列 ⇒並列で並べると同格に感じる

〇同時 ⇒同時に見せると同格に感じる

例えば、高校とかでならうメンデルの法則を説明する際、

「血液型には AA、Ao、BB、Bo、AB、oo、の6つがあり、それぞれの交配によって生まれる子世代の血液型は~~」 とかこういう説明の仕方。

一見、なにも間違ったことは言っていないが、これを見た人は、「無意識に」この6つがすべて同格だと誤解する。

すなわちこの説明の場合は人ではなく概念なので、それぞれの「存在の量、質、割合」などが同じくらいであるという前提が刷り込まれ、錯覚する

これの何がまずいかといえば、現実にはAA、BBがほとんど存在しないということ説明しないこと自体が法律でいうところの未必の故意(行わなかったことによって起こりうる結果について、操作・放任しようとする内心。≒説明責任のようなもの)にあたるからである。

一見、客観的かつ公平に物事をみて説明しているように見せかけているが、未必の故意的に誘導しているということだ。

物事を説明する際には、なるべく「人間の自然な感覚に沿うように」「既存の知識の組み合わせで」説明する必要がある。

この例でいえば、説明を受ける側が知りたいのは、①メンデルの法則の具体例 ②具体例の妥当性 であり、②を確認する上で、列挙されたパターンそれぞれの、存在量であるとか、関係性は当然に確認する必要がある。

つまり、AA、Ao、BB、Bo、AB、oo、の6パターンによる交配について説明したいのならば、まずこの6つの関係性について嘘をついてはならないし、説明が不足してもならない、ということだ。

そういう前提があるにもかかわらず、AAやBBの希少性に触れないのは、確信犯的だといわざるを得ない、ということになる。

なんのことはない。6つのパターンがあり、「最新の〇〇による調査だと日本では~%、世界では~%」とわずか2行くらい補足すれば済むことである。

そして、そういった疑念を証明するように、実際のAA、BBの存在数は、明らかに少ないのである。

きちんと説明したら、勘の良い、東大にたくさん入る高校なんかの生徒はすぐチェックして気づくことだろう。あれれ~?

画像1

なんでA型が40%で一番多いのに、AA型がAB型より2倍も少ないの~??A型とB型が〇っクスwするよりA同士のほうが多いはずじゃない~?それにBB型も明らかに少ないしw

すると生徒の関心はたちまち、メンデルの法則そのものより、「不思議な」誤差のほうへと流れるであろう。 

※これを「差別」といって認識自体をタブーとし、忌避してきたのがこれまでの世界である。差別を真に解消したいのならば事実は事実で、統計は統計で、否定せねばならない。それが科学的態度である。

そして、あっけなく真実を直感するのであるw

「あ、AAとBBって存在がアレなんだろうなあ。血液型ってそういうのがあるんだ。やべえなw」と。

そういうことにスッと気づくだけで、真実とは簡単に見えてくるものだ。

タブー無視☆偏見まみれの血液型性格分類


これまでの社会では、至る所でこういった「タブー」を隠すために偽の平等トリックがちりばめられてきた。

それが、人をもやもやさせ、知的好奇心を殺し、勉強を嫌いにさせ、内容を信用できないものにし、役に立たないものにしてきた。

科学といいながら、科学的思考を許さず、真実を知るためといいながら、真実への踏み込みを許さない。 その奥にあるのは、真実を歪めてでも自分さえ心地よければよい、クズの心根である。

その方法論とは「謎の分類」(勉強が嫌いになるわけーpart1 意味不明な分類を覚えるように強制してくる)であったり、

偽の平等ムーブメント(20世紀の総括ー平等の推進により得られたものと得られなかったもの。今なお残る偽りのムーブメントと反動)であったりだ。

こういったあらゆる、人間の自然体な感性、判断を歪める、様々なトリックに一瞬で気づくようになれれば、真の知恵の体得は難しいものではない。




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