母に持たされた「手作りピザ」
「おやつ」のアンソロジーを読んでいる。
おやつに関する43篇を読んでいると、当たり前だが、無性におやつが食べたくなる。
いろんな作家さんの思い出深い「おやつ」は、和菓子や素朴な菓子も多くて、口の中がチョコレートになったり、あんこになったり忙しい。
村上春樹さんの「ドーナッツ」からはじまり、益田ミリさんの「プリン・ア・ラ・モード」、江國香織さんの「ようかん」など。
知っている方から存じ上げない方まで、誰にでも「おやつ」の思い出があるらしい。
かくいう私の「おやつ」の思い出って、なにか。
そうやって幼少期からふりかえってみると、「おやつ」または「食べ物」に関する記憶がいくつか思い浮かんだ。
その中でも、母がよく作ってくれた「ピザ」が懐かしい。
小学生低学年時代、近所の子たちと遊ぶときには、親たちが何かしらの「おやつ」を出してくれていたのだが、我が家はよく、母の手作りピザを持たされていたのである。
「ピザがおやつ?」という感じだが。
近所の子どもたちが集う広場があって、よくそこに大皿に乗せたピザを運んでは、友人たちと貪り食ったものだ。
そもそも、なんでピザかというと、我が家にはそのころ、買ったばかりの「ホームベーカリー」があり、ピザ生地を手作りするのが母のブームだった。
この「ホームベーカリー」。
パンを手作りしてもらった記憶がひとつもないのだが、ピザ生地は何度もお世話になった。
蓋を開けると、中の容器に白くてやわらかそうなカタマリが、どむん、と入っていたのを思い出す。
母と、ピザ生地をまな板の上に出して、綿棒でまあるく伸ばしていく。
次に、フォークでまんべんなく、穴をあける。
ぷすぷすと刺すと、3つの小さな穴が生地に並んで、おもしろかった。
穴をあけたら、ピザソースをしっかり塗って、スプーンで伸ばす。
そこに、トッピングだ。
輪切りのピーマン、スライスした玉ねぎ、細目のベーコンが我が家の鉄板。
ウインナーのときも、あったっけ。
そして、チーズをたっぷりのせていく。
あとは焼くだけ。
そのへんは母に丸投げしていたので覚えていないが、このピザ作りの手伝いは、何度もしたのですっかり手順を覚えてしまった。
焼けたら、大皿に乗せてカットし、家で食べたり、広場に持って行ったり。
この広場に持っていく行為に対して、私は特段なにも思っていなかったのだが、すこし大きくなったある日、はじめて心境に変化があった。
とある日、いつものようにピザを焼いて、大皿にのせ、広場に持って行くと、幼馴染の友人が、同じように母に持たされた大きなお皿を持ってきたところだった。
友人のお皿には、砂糖がたっぷりまぶされた小さな手作りドーナツが入っていた。
かわいい水色の大皿に、レースのナプキンが敷いてあって、ころころしたドーナッツには、かわいいピックが刺さっている。
かわいい・・・!
乙女心には、ときめく「おやつ」だった。
ふと、自分の手にしているものを見下ろす。
何の模様もない真っ白な大皿から、飛び出すように無造作に置かれた不格好なピザ。
不格好なのは、子どもである私がトッピングしたからなのだが。
それにしたって、「かわいい」なんて要素はかけらもない。
なんだか私は、急にその「手作りピザ」が、恥ずかしくてたまらなくなってしまった。
味はおいしい。わかっている。
何度も食べたし、友人たちにウケがいいのも知っている。
広場にいる男子なんて、かわいいかどうかより、腹に溜まるもんがいいに決まってるし。
何度もそう言い聞かせながら、広場に近づいていく私の足取りは、重かった。
幼馴染とほぼ同時に、友人の輪の中におやつを持っていく。
かわいいドーナツと、手作りピザが並ぶ。
わっと沸く友人たち。
私は、誰かが「ピザなんて!」と言い出すのではないかとひやひやした。
「ドーナツの方が人気だったらどうしよう」などと、どきどきもした。
ドーナツの入った水色の器だけが空になり、ピザだけが誰にも食べられず、残される。
それをとぼとぼ持って帰って、母に見せたらどんな顔をするだろう!
きっと、悲しむ。がっかりする。
そうなったら、・・・ああ、いたたまれない。
内心そんなことを考えながら、私は本当はドーナツを食べたかったけど、まずは自分家のピザに手を伸ばした。
ひとつでも、売れ残りを回避したかったからだ。
でも、そんな心配は不要だった。
だれもが、どんどん手を伸ばし、ドーナッツもピザも、あっという間になくなった。
「ピザなんて!」と言う子はいなかった。
幼馴染なんかは、「あんたの家のピザ好きなんだよね~」と言っていたくらいだ。
私は心底安堵して、何も言わずに、空っぽの白い大皿を見つめた。
その時期から、母はパートに出るようになって忙しくなり、「手作りピザ」を作ることはなくなった。
私たちも、だんだん自分たちで駄菓子屋におやつを買いに行くようになったので、親がおやつを持たせてくれることも少なくなった。
気づけば「ホームベーカリー」も壊れてしまい、年の離れた弟や妹は、母がピザを作っていたことなんて、おそらく知らないんじゃないだろうか。
わたしだけが覚えているのだ。
母に持たされた「手作りピザ」を。
もちもちの白い生地を伸ばし、不格好なトッピングで仕上げた大きなピザ。
今でも思う。
あの日、母に「ピザなんて恥ずかしい」などと言わなくてよかった。
空っぽの大皿を、安堵の気持ちで持ち帰ったあの日、いつも通りそれを母に渡せてよかった。
あれがもう食べられないのは残念だが、代わりに私は「ピザトースト」をよく作る。
同じソース、同じトッピングで作った「ピザトースト」は、小さい頃食べたピザにそっくりだ。
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