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家や部屋に、人を招くのが苦手なわけ


珍しく、知り合ったばかりの人をお家にお招きする機会があった。


お客様というほどでもない。
何か名づけるなら「ママ友」だろうか。
でも「親しい」と呼べるほどの仲ではない。

ちょっとしたことがきっかけで、「おしゃべりしようか」という話になり、場所がないので、「あ、じゃあうちでよければ」という流れになった。


こういうことは、とても珍しい。

ママ同士のつながりも少なく、近所に親しい友人も少ないわたしは、手の内を知り尽くした友人以外で、家に誰かを呼ぶことなんて、引っ越してきてからは一度もなかった。



前日の夜、夫に「明日知り合い呼ぶねん」と伝える。
すると、夫は「そう。でも、あんま楽しそうやないね」と首をかしげた。

「そ、そうかな。」
そんなつもりはなかったので、私はしばし戸惑ったが、色々考えた末、多分これは「緊張と不安だな」と思った。

わたしは、家に人を招くのが苦手だ。
誰でもそうだと思っていた。

でも、おとなになって、職場の同僚が家に招いてくれたり、ママ友がふと「家の中でお茶でもどう?」なんて言ってくれたりする嬉しい経験を味わって、「あれ?もしかして、家に人をお招きするのに抵抗があるのって、わたしだけ?」と思うようになった。


どうしてわたしは、家に人を呼ぶのが苦手なんだろう。


・どう見られるか、気になるから


一番に思いついたのは、「どう見られるか、気になるから」だ。

私は完璧主義傾向だし、他人の目がすごく気になる人間だ。
だから、人からよく思われたいという願望がなかなか払拭できない。


家は、その人の人となりをあらわす気がする。
きちんと片付いていて、おしゃれで、素敵な理想の家だと思われたい。
そういう家に住む人だと思われたい。

そんなしょーもない欲があるせいで、ありのままの家をお見せするのに抵抗があるのだ。
理想の家にほど遠い我が家に人をお呼びするためには、隠したり、飾ったり、きばったりしなきゃいけないところが多すぎる。

ああ、めんどくさい。
だから、なるべく呼びたくない。

・パーソナルスペースに侵入されたくないから


あとは、単純に「自分のテリトリーに入ってこられるのがいや」という理由もある。

家というより、自分の部屋に関することかもしれないが、パーソナルスペースを守りたい欲が強いので、自室に人を入れたくない。
今は自室がないので、この感覚が家全体に及んでいる可能性もある。


でも、この「パーソナルスペースに入ってこないで」という気持ちを持つことに、ちょっと悲しみも感じてしまう。

これは、私が他人に心を開けていないことのあらわれなのだろうか。
わたしが「閉じている」人間だからか。
オープンな人に憧れる。
自然と人が集まる部屋が少しうらやましい。


・自分の「好き」を否定されるのがこわいから


来客が苦手な理由は、まだ思いつく。
「自分の好きを否定されるのが怖い」という理由だ。

家や自室にある自分の「好きなもの」。
それを否定されたら、どうしよう。
きっと嫌な気持ちになる。
それが、こわいのだ。


でも、私自身だれかの家に行って、そんなことを思ったことは一度もない。

べつに、何が置いてあっても「へ~これ好きなの?」と興味がわくし、むしろその人らしさが垣間見えて、好感すら持てる。

それに、きれいな部屋で素敵なお菓子とお茶を出し、もてなしてくれるのも嬉しいが、べつに何も出てこなくても腹も立たないし、目的のおしゃべりができればそれでいい。



要は、考えすぎだ。
他人にあれこれ警戒しすぎだ。
自分の理想を、自分に求めすぎているのだ。


べつに、何も起きない。
大丈夫、安心して。
そう言い聞かせて、当日を迎えた。

・実際、「ママ友」を呼んでみて


ここからは、後日談となる。

家に「ママ友」を呼んだ日のことをふりかえる。
結論から言うと、何事もなかった。
当たり前だ。
いったい何が起きると思っていたのか。

子どもが寝ているあいだに、コーヒーを飲んで、お菓子を食べて、いつもはできないようなおしゃべりをゆっくり楽しんだ。
あっという間の、2時間だった。

来てくれたママ友は、「光が差し込んでいい家だね~」と褒めてくれたり、子どものおもちゃを見て「これうちにもあるよ~」と話してくれたり、家ならではの会話も楽しむことができた。

わたしが心の片隅で稀有していた、あれやこれやは、まったく何も問題なかった。
終わってみれば、「呼んでよかったな~」とすら思えたのである。


「心配事の、9割は起こらない」というが、ほんとにそうだ。
わたしは、人を招く前から、たくさんのことを心配して、勝手に緊張し、勝手に不安になった。
でも、呼んでみれば、楽しい時間が過ぎていっただけだ。
なんなら、移動しなくていいので私はラクなくらいだった。


もっと気楽に、人を呼んでいいんだ。

これまで自宅に招いてくれていた友人たちは、こんな感じで「気軽に」招待してくれていたのかもしれないと、今更ふりかえる。

べつに、オープンな性格だからとか、家がものすごくおしゃれだからとか、そういう理由じゃなくて。

ただ純粋に、「わたしと楽しい時間を過ごしたい」と思ってくれていただけだったのだ。

そんなこと、わかっていたはずなのに。
自分が招く側になると、なかなかそれを思いつけなかった。



というわけで、「家に人を招くのが苦手」だと思い込んでいたけど、それはただ考えすぎだったかもしれない、という話。

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