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「暇」な時間を、どうかじっくり味わって

図書館で借りた、井田千秋さんの『家が好きな人』を読み終えた。



「あぁ、いい時間だった」と、ため息が出る。
読み終えるのが惜しいくらい。

井田さんのこの絵は、昔X(Twitter)で流れてきたときに見たことがあって、「うわあ好きだなあ」と思ったのを覚えている。

表紙のみつあみの女性が、自宅でポテサラをのせたトーストを焼いて、おいしそうに頬張り、また二度寝するシーンを見て、羨ましく思った記憶は鮮明だ。


井田さんの描く家は、決して豪邸でもないし、洗練されたお洒落な家具が置いてあるわけでもない。
登場人物たちが家でやっていることも、そんなに大それたことではなくて、こたつでごろごろドラマを観たり、お菓子を開けて映画を観たりする。
特別ではない、私といっしょだ。

でも、それがいいのだ。

狭い家の中には、登場人物たちそれぞれの「好き」が詰まっている。
ある一人の家は、まるでどこかのお嬢様のようなふわふわの物で溢れかえっているし、その隣のおうちのお姉さんの家は、こたつの上にビールとアルミ鍋のうどんが乗っている。


彼らの生活感あふれる物たちは、新品でぴかぴかなわけでもないのに、なぜか愛着がわいて、ぬくもりにあふれている。

井田さんの描く、さらさらっとした絵柄と優しい色使いが、登場人物と彼女らの住む家を愛おしくさせてくれる。

これは一応漫画なのだが、怒涛の展開があるわけではないし、どちらかというとイラスト集のような読後感がある。
読めば癒しの時間になることは間違いない。
もし気になる人は、あったかいお部屋で、お気に入りの飲み物と一緒に読んでみてほしい。


そして、私はというと、「井田千秋さんの絵をもっと昔にどこかで見たことがあるなあ」と思い、本棚を探った。そして、発見。


昔、働き出してすぐの頃、あまりのストレスに「何か心が穏やかになるものはないか」と探して、この塗り絵を購入していた。

一時期、こつこつと塗っていたものの、飽き性で途中放棄してしまったが。
一緒に買った36色の色鉛筆も出てきたので、久しぶりにやりたくなった。


絵柄が最高すぎて、塗るだけでまるで井田千秋さんの絵を描いたかのような気分になれる優れものの塗り絵本。
私は特に、「ケーキ」が並んでいるページが好きだった。
ひとつひとつを塗ることができるので、大きな一枚絵を完成させるより、気軽に達成感を味わえる。


若い頃の自分が塗った、いくつかのページを振り返りながら、「ああ、この時って暇だったよなあ」と思い出す。
仕事は忙しかったけど、それ以外に自分を保つ「趣味」を探していた時期だった。

この頃の私は、「趣味をじっくり堪能する」のが苦手だった。

ふとした「暇」なとき、趣味に没頭したいという思いはあったものの、「趣味」そのものがないので時間を持て余し、どう処理していいのか
分からなかった。

いつも何かしらの予定がないと気が済まなくて、一日にいくつも用事を入れては、せかせかしていた。
だらだらすると、罪悪感がこみあげた。



塗り絵は、暇な時間をゆっくり過ごす練習のつもりでやった。

はじめは「塗り絵って、何のためにするの?」「何の意味があるの?」と何度も我に帰った。
確かに、塗り絵自体は、何かを生み出すわけでもないし、何の意味もないかもしれない。

でも、「塗り絵をする」という行為は、私に、ゆったりと心を落ち着けるための時間をプレゼントしてくれた。

塗り絵の時間は不思議なもので。
最初は、目の前の真っ白な紙を塗ることに集中しているのだが、ノッてくると、手は動いているのに、だんだん頭の中ではぼーっと別のことを考えていたりする。頭の中が空っぽになっているときもある。

ふと、その静けさに気づき、ふわっと意識が浮き上がったとき。
自分の中にあった淀みのようなものが消えていて、体の中が澄み渡ったような気分になる。
塗り絵をしたあとの、そんな感覚が好きだ。

これは、もしかすると塗り絵だけではなく、書くこと、映画を観ること、小説を読むことでも、起こり得るかもしれない。

どれも、その行為自体には生産性があるわけではない。「そんな暇人のやるようなこと」と言われてしまえば、たしかにそうかもしれない。


だけど、そんな一見「暇つぶし」のような塗り絵も、書くことも、映画を観ることも、小説を読むことも、心の安定を取り戻すのには必要なことなのだ。

そして「暇」な時間をじっくり過ごすということは、とてつもなく贅沢で、かけがえのない時間であることなのだ。
最近気づいた。最近、ようやく。


もっと若かったころ、「暇」であることを罪のように感じていた私に言ってやりたい。

「暇」でいいじゃない。
「暇つぶし」って贅沢よ。

「暇な時間」にしかできない、一見無駄そうなことを、ていねいに時間をかけてじっくり堪能しなさいな。


それが、心にゆとりをもたらし、私を豊かにしてくれるのだから。

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