【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第19話
第19話 明日は違うのかもしれない、未知の朝
いつも、悪夢は決まっていた。
巨大な怪物。破壊。
そして、死。たくさんの。ついでに、自分も。
冷ややかに、自分の死体を見つめている。しかし、それも束の間。怪物に喰われ、死骸さえ残らない。
自分は、死ぬらしい。
死んでしまうというのに、その先も強制的に見せられる。
荒廃の大地、そして最後は大地までもが消えてただの真っ暗の空間になる。
破滅の夢。世界は壊され、そしてすべて消失する。
ずっと、そうだった。
子どものころから。
自分の高い能力を、呪ったときもあった。
自分自身を、自分の魔力で深く傷つけたことも。
死ぬのかと思ったら、生きていた。
あの夢が暗示する未来まで、死ねないのかもしれない。
人とはあきらかに異質な運命。たぶんなにかの役割。しかし、それも無駄に終わる。
未来が見え過ぎていた。
喰ってやる。
どうせ変えられない運命なら、とことん抗ってやろうと思った。
そのためなら、人の身も棄ててやる。
特殊過ぎる力を、周囲から忌み嫌われてきた。親や親族でさえ、恐れを抱かれ腫れもののように扱われた。
十歳の誕生日、家を出た。怪物の魔のエネルギーを取り込み、自ら怪物になろうと決めた。
家を出たあと、親が安堵のため息をついたことを知っている。
もうすでに、生まれたときから私は怪物だったのだ。人を辞めると、自分で決めるまでもない。
長い旅になると思った。というより、旅しかない人生だろうと覚悟した。
怪物を見つけては倒し、魔のエネルギーを喰らう。そんな旅暮らしだった。
死なないだろうとわかってはいたが、死ぬかもしれないという場面は何度も訪れた。死が間近に感じられるごとに、もしかしたら、未来は変わるのかもしれないと逆に希望が生まれた。
自分の限界を感じることは、しばしばあった。やはり、自分は人でしかないと痛感させられた。
子どもであることが歯がゆかったが、それだけは時間が解決してくれた。
私は子どもを卒業した。次は人間を卒業し、運命さえも変えてやるのだ。
二十歳。魔のエネルギーもかなり食べた。でもまだ「人」だった。
それからも旅は続いていく。さらに何年か過ぎ去り、かなり「魔」に近付いたころだった。
『おやまあ。ずいぶんと変わった人間がいるものだねえ』
どこかの町で、旅の商人ライリイに出会った。
ライリイも、未来が見えていた。怪物ウォイバイルの存在を知る、初めての自分以外の人物。
夕暮れの朱が、恐ろしいほど美しく、鮮やかだった。
『また次に会うときは、お前さんは人なのかな? それとも――』
「ああ。怪物ウォイバイル、やつに取って代わっているかもな」
『そのときは、私がお前さんを倒してやるよ』
立ち去る背に、言葉をかけるライリイ。
「ああ。よろしく頼む」
『覚えていたら、ね。私とお前さんの縁は、たぶんどうということもないさ――』
どうということもない、それは未来が見える互いにとって、自由で心から安らぐような言葉だった。
祝福であり、優しさだ。
振り返らなかった。
それがライリイに対する深い感謝の表現だった。
灯を落とした部屋、聞こえてくるのは穏やかな寝息のみ。
小鬼のレイも、剣士アルーンも元精霊のルミも、深い眠りの中にいるようだった。
『時間、空間、物質』
魔法使いレイオルは、ベッドの上ひとり思いを巡らす。
これは、小鬼の三本の角から伝わってくること――。
レイオルの荷物の中には、角笛の入った小箱がある。
それは、旅の商人ライリイから「小鬼のレイに」と譲られた神獣の角笛だった。
レイオルは、まだレイにそれを渡すどころか打ち明けてもいない。
物質。これはレイにとってまさに、重要な三つ目の力、「物質」となるはず。
いつ渡すべきか、と思う。
神聖な角笛。おそらく、運命の輪を回す鍵となる。
『一度』
唐突に、そんな言葉が閃光のように閃く。
それから、白い馬のような上半身、そこに続き大きく長く力強い魚の尾のような体がついた、獣のイメージが頭に浮かんだ。その獣の背には、純白の大きな翼がついており、さらに――、長いたてがみを揺らす頭の右側には、緩やかなカーブを描く一本の角がある。
ああ。お前の角か。あの角笛は、お前の左側のものだったのだな。
レイオルが天井を見つめながら一人うなずくと、見えている映像が切り替わった。
いななきとともに、空の上から、熟した木の実のように一本の角が落ちる。
空を飛ぶ神獣――馬と魚、それから鳥を合わせたような――の頭から、片方の角が落ちた。神獣の寿命が尽きる寸前だったのかもしれない。
誰かが、それを拾う。不思議な質感の輝く角。中身は空洞だった。
『これはよい笛になるぞ』
角は、角笛に加工された。そして、高い値で売れた。
楽器として楽しまれ、美術品として飾られた。
しかし、不思議と角笛は、ひとつのところに留まらなかった。持ち主が次々と変わったのだ。
初めは持ち主におおいに気に入られるが、しばらくするとなにかの恩として譲られたり、持ち主やその家族が大事故を免れたあと、まるで身代わりのように家から消えるようになくなったりして、持ち主が変わったりしばらくの間所在が不明となったりしていた。
消えたあとは、そこから遠くのなにも知らない誰かが発見し拾い上げ、大切に所有する。
あるときは、川の中から。またあるときは、土の中角の先だけ顔を出すようにして。
しかし飾り棚の中で美しい姿を誇るのもほんのひととき、またいつのまにか所有者が変わる、そんなことの繰り返しだった。
だが、よくある「呪いの品」の話のように、持ち主が不幸になるとかそんなことはなかった。むしろ、持ち主たちの運は上向いている。
『この角笛が、持つ主人を選ぶのさ』
そう言って手に取ったのがライリイだった。それが直近の持ち主だった。
なるほど。お前は、そういうものだったのだな。
レイオルは寝返りを打つようにして、自分のカバンのほうを向いた。カバンの奥、小箱に入れられた角笛に心の中で語りかける。
一度とは。最高の力を発揮するのは、一度ということか。
いつの間にか、レイオルの目の前に立派な馬の姿があった。半分は魚、背には翼、残る一本の角を頭にいただいた、神獣である。
神獣は、レイオルにうなずいた。
私やレイに、託してくれたのだな。
神獣の黒く澄んだ瞳。ゆっくりとまばたきをした。レイオルに返事をするように。
ありがとう。必ず、未来に繋げてみせる。
神獣はきっと、未来のために、過去、角を人へ託したのだ、とレイオルは確信した。
いくら神獣でも、人と小鬼との繋がりまでは、おそらく見えていなかったに違いない。
しかし、いつか魔法を操る者が、しかるべきときしかるべき場面で神秘の力を行使し、未来を守ろうとする、そのように信じていたのだろうと思った。
目の前に、きらきらとまたたくような光が見えた。大きな神獣の体は、光と共にかき消えていった。
レイオルにはわかっていた。とうの昔に、神獣は天へと召されていたのだ、と。そして今のできごとが、神獣からの最初で最後のメッセージであったのだ、と。
映像は、唐突に切り替わる。
山が、火を噴く。大地が揺れ、ものすごい音を立て、岩が崩れる。岩の中から、巨大な黒い影が姿を現す――。
ウォイバイル……!
レイオルは叫ぶ。あまりに巨大な姿、あまりに恐ろしい姿――。
レイオルにはわかっていた。
これは、夢。幾度となく繰り返し見てきた、私の中の悪夢。いつか来る未来。
果たして、どこから夢なのかはわからない。神獣との対話も、もしかしたら夢だったのかもしれない。
レイオルは剣を手にしていた。これから、うんざりするほどのいつもの戦いが、始まるのだ。
何度も、殺されてきた。でも、何度だって、戦ってやる――!
レイオルは駆け出す。
今度こそ、貴様を喰ってやる……!
結末が決まっている、幼いころからすっかりお馴染みの夢だとわかっていても。
『レイオル!』
レイオルは、ハッとした。後ろから、声。
いつもと、違う。今までの夢と違う。それは、初めての展開。
誰かがいる。この夢には、初めての自分以外の登場人物が――。
ああ。私には、手駒含め、もろもろがいるんだった――。
振り返るまでもない。
レイオルは、悪夢の中、初めて笑みを浮かべていた。
「おはよう、レイオル」
目を開ければ、小鬼。三本の角。
「元気、勇気、根気」
レイオルは思わず呟く。
「えっ、レイオル、三本の角の二つの意味のうちの一つ、知ってたの!?」
レイが、驚いてレイオルのベッドの隅に飛び乗る。
ぼよん、ベッドが揺れる。
もう一つのほうも、知っている。
見えるから、とレイオルは心の中でだけ呟き、あえてそのことは告げなかった。
「朝寝坊だなあ、レイオル。いつもそんな感じなのかあ? 朝飯食いに行こうぜー」
ばいん、ベッドが揺れる。身支度を済ませていたアルーンまで、レイオルのベッドの空いているところに勢いよく腰かけていた。
「今まで朝早かったよ。レイオルは。珍しいんじゃないかな? たぶん」
レイがフォローする。
「今日はいいお天気になりそうですよ」
ちょこん、笑顔のアルーンに手招きされ、ルミもベッドの端っこに座る。ルミは、端っこも端っこ、とっても遠慮がちに腰かけた。
ああ。手駒ともろもろ。おかげで、いつもより長く夢を見てしまった。
初めて、夢の終わりまで生きていた。今までは、死、荒廃の大地、そして最後は大地までもが消えて真っ暗の空間になる、という流れの夢。
夢でさえ、怪物ウォイバイルを倒すまでには至らなかった。戦い続けているところで、目が覚めた。
でも、確かに変わった――。
「よし、朝飯、食うか!」
ルミの報告通り、カーテンの向こうは青空だった。
昨日と同じようで、明日は違うのかもしれない。そして、今日も。
大きく息を吸い込む。
レイとアルーン、ルミは、誰が一番早起きだったかを楽しそうに発表していた。
見えてしまう未来。
しかし、夢が変わることも、自分が朝寝坊することも、新鮮な今朝の空気同様、未知のことだと気付いた。
「わあ、おいしそう!」
レイがばんざいする。
パンの焼ける、よい匂いがしていた。
◆小説家になろう様掲載作品◆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?