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【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第30話

第30話 空の魔法文字

 朝の光のもと、美しい音色が森に響く。枝の上には小鳥たちが、並んで音楽に聴き入っている。

「とてもいい音楽だね」
 
 緑そよぐ木の根元、小鬼のレイと鬼のダルデマは、笑顔で感想を述べた。
 高く低く、清らかな音を響かせているのは、元精霊のルミ。竪琴を奏でていた。
 竪琴は、「怪物眠りの琴」。魔法使いケイトの故郷、星聴祭の町の、楽器屋で購入したものだ。
 ちなみに、「怪物眠りの琴」とは、その名の通り、奏でることで怪物を眠らせる効力を発揮する。ただしそれは、三ツ目の怪物にのみ限定される。
 目が二つのレイとダルデマは、あの店主の商品説明通りの感想を述べていた。二ツ目の者たちへの眠りの効力はない。

『とてもいい音楽だね、と褒めてもらえるそうです』

 これが二ツ目の怪物や五つ以上たくさん目がある怪物に竪琴を聴かせてしまった場合の、竪琴の効力だった。
 ルミは微笑み、少し余韻を持たせてから、つま弾く手を止めた。ちょうど一曲弾き終えたところのようだった。

「あっ、違うよ。ルミ。本当にいい音、いい音楽だからそう感想を述べたんだよ。これは、竪琴の力じゃないよ」

 店主の説明を思い出し、慌ててレイは弁明した。店主や竪琴についての話を聞いていなかったダルデマは、レイの言葉の意味がわからず、必死な様子のレイに首をかしげた。

「いい音楽でいい音色で、そしていい竪琴だ」

 そのとき魔法使いレイオルは、ルミの演奏も楽器としての竪琴の音色も、それから竪琴の不思議な力も、すべて肯定していた。レイオルには竪琴の能力についてもお見通しのようだ。

「ルミは、楽器が弾けたのね。すごい……! なんていう曲?」

 魔法使いケイトが尋ねる。民族音楽のように、歌や踊りが似合うメリハリのある音程で、それでいてどこか郷愁を誘うような曲だった。

「さあ……。曲名はわかりませんが……。お祭りといわれる日に、外から流れてきていた音楽を思い出しまして、弾いてみました」

 ルミは、悲しみのにじむ複雑な笑みを浮かべた。自分に弾けるかどうかわからなかったけど、自然に指が動いたのだという。初めての曲を奏でられたのは、美しいものやエネルギーを愛する精霊のルミの秘めた力の他に、竪琴自身の力もあるのかもしれない。

「嫌な思い出ばかりでも、ありませんでしたから――」

 広く冷たい屋敷の中に閉じ込められていた半生。おそらく、人の一生より長い時間。
 残酷な時の流れの中にも、喜びや楽しみがあった。魔法の檻の中、朝日は差し込み、鳥は唄う。強欲な家人たちの中でも、あたたかな優しさを注いでくれた人もいたし、形ばかりのご馳走ではなく、真心の込められた一皿もあった。
 人々が祭りだと浮足立っていた日に、風に乗って聞こえてきたその曲も、ルミの心を慰めてくれていた。

「ルミ。これからは、いい思い出のほうが多くなるから。耳にする曲、弾ける曲もたくさんできるぞ」

 剣士アルーンはルミの頭に優しく触れ、本当にいい音楽だね、と改めて感想を述べた。二つ目の怪物ではない、「人」の感想だ。
 朝食後の、出発前のひとときだった。

「ルミ。いい音楽を、よい時間を、本当にありがとう」

 皆にそう言われ、褒められ、ルミは少しはにかみながらも、

「みんな、ありがとう……!」

 心からの笑顔を浮かべた。
 枝の上の小鳥たちが、演奏が終わったことを知ると、賑やかに歌を歌い出した。
 小鳥たちのさえずりは、ルミの演奏に対する感想のようでも、音楽を聴かせてくれたお礼のようでもあった。
 皆、顔を見合わせ笑い合う。



 ごーり、ごーり。

 レイオルが、朝露に濡れた草を石で潰していた。岩の上の窪んだところに草を敷き詰め、それを手に持った石で丁寧に潰していたのだ。
 岩の上に置かれた草は、小さな花の咲いているもので、何種類か選んで摘んでいたようだった。

 今度は、なにが始まるんだろう?

 レイは不思議に思う。ルミの演奏が終わって食休みが済んだら、出発の準備をするのかと思いきや、レイオルがなにか奇妙なことを始めている。

「レイオル。まだ出発しないのか? それなら、ダルデマと朝の鍛錬始めてもいいか?」

 アルーンがレイオルに尋ねる。アルーンは隙あらば鍛錬をしたくてたまらないらしい。レイオルの返事を待たずに、ダルデマのほうへ駆けていく。

「レイオル。それは――?」

 お薬かなにかかな、とレイはレイオルの手元を覗き込む。

「これは、見えない墨となる」

「見えない墨……?」

 なんのことかわからない。レイはますます首をかしげた。
 レイオルは、懐から小瓶を取り出し、潰した草の緑の汁の上に小瓶の中身を注いだ。それから、

「レイ。ちょっと指を貸してくれ」

「え? 指? 俺の?」

 きょとんとするレイの手を掴み、レイの人差し指を、小瓶の中身と草の汁の混ざった液体へつけた。

「魔法の言の葉。隠し置く、空へ。取り出すは、この者の意志のもと」

 レイオルは呪文を唱えながら、さっ、さっ、と掴んだレイの腕を動かし、液体のついたレイの指で、空中に文字かなにかを書くようにした。

「え? これ、なんの魔法……?」

 書き終わると、レイオルはレイの手を放した。魔法の時間は終了したようだ。
 疑問でいっぱいのレイに、レイオルは微笑む。

「見えない文字の魔法だ」

 見えない墨の、見えない文字……?

 なんのために、と尋ねる前に、レイオルが理由を述べた。

「今書いたのは、角笛を取り出す呪文だ。昨晩は、紙に書いて渡そうと思ったが、紙よりも空中に書くことにしたのだ」

 えっ、空中に書いた……? 呪文を……?

 そうだ、とレイオルはうなずく。

「昨晩渡した角笛。あれを取り出すための、大切な呪文。紙や物に記すと、長旅の中失くしたり奪われたりする危険性がないとは言い切れない。だから、魔法の墨で描き、空中に隠すことにした」

 レイは目を丸くした。すごい方法だなあと驚いたが、すぐに疑問が浮かぶ。

「えっ、でも空中に書いた呪文、どうやって俺が見るの……?」

 レイオルは、人差し指を伸ばし、勢いよく空中に左から右、そしてそこから下、それから左、そして上へと指を動かした。つまり、レイオルは指で空中に大きな四角形を描いた。

「呪文を取り出すことを思い浮かべながら、こうして空を四角く切り取るようにする。そうすると、文字がその四角の枠の中に浮き出る。それを声に出すのだ」

「へええー、俺でもできるの!? そんな不思議なこと……!」

「ああ。取り出すことを思い浮かべながらやれば、できる。そしてその文字はお前と私にしか見えない」

 レイが四角い枠を空に描けば、今書いた魔法文字が見えるのだという。レイは、自分の人差し指を見つめた。もう、指についた緑色は消えて見えなくなっていた。

「あっ! でも、俺……! 人間の字、読めないよ!?」

 ハッとするレイに対し、レイオルは笑って答える。

「大丈夫。これはこの空の魔法文字のよいところなのだが、自然と見えた文字は頭で理解でき、唱えられる」

「へえ……! 俺でも、ちゃんと読めて唱えられるんだ……!」

 レイは感心した。本当に不思議だなって思った。
 するとレイオルは穏やかな笑みを浮かべ、レイに尋ねた。

「なぜこんな魔法が存在するか、レイ、わかるか?」

「え? わからない。どうして?」

 小鳥のさえずり。心地よい風が吹く。足元に咲いていた白い野の花が揺れた。

「もともとは、恋文としてできた魔法だ。言葉の壁を越え、愛し合う者同士を阻む様々な障壁を越え、密かに愛を語り合うためにできた魔法とのことだ」

「えっ、レイオル……!」

 ぱあっ、たちまちレイの顔が明るく輝く。

 もしかして、レイオルにも恋愛物語があった……!? 全然想像できないけど、レイオルにもロマンチックな過去が――!

 ちょっとわくわくした。別に人間の恋や愛に興味があるわけではなかったが、人間を卒業すると言い張るレイオルにもそんな過去があるんだ、と興味がわいた。新たな一面が見れるような気がした。
 レイオルは、微笑んで告げる。

「というわけで、私には無用の魔法だったわけだが。一応知識として仕入れておいて、役立った」

 えっ。

 恋愛物語が、ないことが判明した。即急に、明白に、判明した。皆無だった。

「この知識、永遠に無用の長物となるところだったわけだが。使う場面があってよかった、よかった」

 レイオルは笑う。腕を組み、しみじみとうなずきながら。

 ノー・ロマンチック……!

 浪漫は、夢と消えた。

「私は偉大なる魔法使いだからな……! 古今東西のいかなる魔法をも自在に操れる男……!」

 はーっ、はっ、はっ、はっ!

 立ち上がり、無意味に笑い声を響かせるレイオル。鬼気迫る、というか狂気の笑い。小鳥たちはとっくに飛び去ってしまっていた。
 レイは呆然と見上げ、ひとり思う。

 俺、まだよくわかんないけど……。おとなのこと、よくわかんないけど。だけど……、こうはならないようにしよう……。

 別にロマンチックはなくてもいい。なくてもいいけど、こんな笑いかたのおとなは嫌だな、足元の可憐な野の花を見つめつつ、レイはそんなことを考えていた。
 ふと遠くに目をやれば、こちらを見て呆気に取られているルミとケイト、女性陣の姿があった。
 絶対ドン引きしている。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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