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【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第27話

第27話 未熟な魔法使い

 傾いた陽、黄金に染まる野原。丈の長い草が揺れる。生臭い匂いが、風に乗って流れてくる。草陰に隠れ見えないが、近くに沼があるようだった。

「近くにいるな」

 先頭を歩く魔法使いレイオルが、足を止める。

「うむ。それにしてもずいぶんと突然だ」

 人の姿に変身している鬼のダルデマが、うなずいた。ダルデマの肩の上に乗る元精霊のルミも、表情を強張らせる。

「えっ、怪物が、いるの?」

 小鬼のレイが思わず身構える。レイ自身もしっかり怪物の分類に入るのだが、戦闘能力が未知数のレイにとって、他の怪物は脅威でしかない。

 どこにいるんだろう、怪物。

 魔法使いケイトは、右手に持つ大きな魔法の杖を、ぎゅっと握りしめた。
 星聴きの修行中のケイト。魔法のほうが得意だが、戦いの経験はあまりなかった。
 実戦は、日常の中の人々の悪念――不満、愚痴、嫉妬など――が凝り固まった黒いものを、魔法で浄化させたことが何回か、あとどこからか流れ着いた魔物を、魔法使いの師と共闘して退治したことくらいだった。
 魔法の中の得意分野は、治療だった。病いを治すことはできないが、魔法で怪我を治療すること、衰弱した体の回復を早めることはうまかった。
 医療魔法の受験をし合格すれば、「魔法医」として開業できる。ケイトの腕前だと魔法医になるのも夢ではなかったが、ただ、治療の効果に波があった。そのため、一度試験に挑戦してみたが、不合格だった。
 医療魔法に合格できないことと、星聴きの修行がなかなか進まないことは、同じ理由からだった。
 メンタルである。
 精神面の波が、結果の不安定さ、不確実性に繋がるのだそうだ。
 ケイトの瞳は今、レイオルの背を映している。

 レイオル。彼との力の差は歴然としてる。もっとも、彼は稀有な存在なのだろうけど――。

 見たことがなかった。人であることを疑ってしまうほどの、大きな魔力の持ち主なんて。自分の魔法の師匠より、子どものころ会ったことのある、魔法の師のさらに上の師匠よりも、圧倒されるような大きな力を感じた。

 彼から魔法について学ばなければ。魔法の知識や技術を見て学び、私の力を最大限に伸ばしたい。じゃないと、ただの足手まといだ……!

 未来を守りたい、世界を救いたいと言っても、半人前ならただの足手まといになってしまう。

 私も旅に出ると決めたのだから。経験を、一瞬一瞬も無駄にはできない……!

 ケイトには、まだレイオルとダルデマの言う、怪物の気配を掴めていなかった。ケイトは気配を感じ取れないのは、自分の力が未熟だからと感じていた。

「うわっ……!」

 後ろから、剣士アルーンの声。しんがりを歩いていたのは、アルーンだった。

「アルーン!」

 振り返るケイト。眼前に広がる光景に、息をのむ。
 空間が、裂けている。その裂け目から、三本指の大きな腕が伸びており、それは後ろからアルーンの胴体をがっしりと掴んでいた。

「くそっ! いつの間に……!」

 アルーンが力いっぱい後方へ向け大剣を振るおうとし、レイオルが攻撃の呪文を唱えようとしたときには、すでにアルーンのかかとが土を削り土埃を上げていた。そして、アルーンは謎の腕に引きずられたまま、空間の裂け目の向こうに消えようと――。

「だめっ……!」

 とっさの判断だった。ケイトは、アルーンを助けようと、空間の裂け目に飛び込んでいた。



 耳鳴りがしていた。

 ケイト……! ケイト……!

 遠くで自分の名を、誰かが呼んでいる、そんな気がした。

「大丈夫か、ケイトッ!」

 この声は、確か……。

 頭が痛い。声の主は誰だったろう、と考え、それから、ハッとした。

「アルーン……! 私……!」

 声の主はアルーン、突然意識がクリアになった。

 あれ……? どうして……?

 ケイトは、今の自分の状況がまったくわからない。アルーンになぜか、抱えられるようにしていた。

「アルーン? 無事だったの?」

「ああ。レイオルの、ええと、攻撃魔法っていうの? それが効いたみたいで、腕の怪物はすぐに吹っ飛んだよ」

「え!? そうなの!? でも、ここって――」

 まだ軽く耳鳴りがしていた。目の前にある景色は、先ほどまでの草原でもなく、暗く灰色の空、奇怪な塔のような岩が立ち並ぶ、赤茶けた大地だった。草木は一本もなく、生き物の気配もない。

「ああ。たぶんここ、あの怪物の住んでる世界なんじゃね?」

「えっ……」

 怪物は、死んだ。しかし、どうやら自分とアルーンは怪物の住む世界に取り残されてしまったらしい。

「ケイトは……。俺を助けようとして来てくれたんだろ?」

「え、ええ……。一応……」

 そのつもりだった。後先考えず、体が動いていた。しかし――、怪物を倒したのはレイオル、自分はなにもしていない。していないどころか、なぜか倒れてしまっていた。今も、頭が重く耳鳴りが続いている。少し吐き気もする。

「ケイト、こっちに来たって思ったら、いきなり倒れるんだもん。ああ、びっくりした。でもよかった。一応無事っぽくて。てゆーか、大丈夫か!? 顔、真っ青なんだけど!」

 たぶん、と思った。たぶん大丈夫だろうと。
 ケイトは、念のため魔法を自分の体に巡らせ、探ってみる。体調に異変が起こったとか、怪物によってダメージを受けているとか、そんな様子はないようだった。

 合わない。

 そんな言葉が浮かぶ。おそらく、魔法を扱う自分には、ここはひどく合わない場所なのだろう。

「うん……。頭痛くて吐き気する……。アルーン、あなたは、なんでもない?」

「ああ。なんでもねー。掴まれたとこも、平気。ただ、反撃もできずあっさり連れていかれたことが、ムカつくけど」

 ケイトは、アルーンの胸に手のひらを当てた。

「えっ」

 アルーンが短く驚きの声を上げ、目を丸くした。

「ごめん。ちょっと調べるね」

 ケイトは、アルーンの胸に手をあてたまま、目を閉じた。そして、意識をアルーンの体に集中させた。アルーンの体内に、そっと魔法を巡らせる。
 なめらかに、広がる波紋のように。体と体の発する「気」をくまなく診ていく。

 大丈夫、みたい。ちょっと、心音速い? けど。

 そっとまぶたを開き、アルーンの顔を見上げた。

「うん。魔法で体調を診てみた。異常ないみたい。でも、顔、赤いね?」

 間近で見たアルーンの顔が、真っ赤だった。

「あ、赤い!? あ、赤くねー! たぶん、俺、もともと、そんなつらだからっ」

 なぜか急にしどろもどろのアルーン。

「そんなつらって……。いつもと違うから、赤いって言ってるんだけど……」

 手を離す。途端にアルーンは体を斜めにし、顔をそらした。

「あ、ありがとなっ。体まで診てくれて……」

 顔をそむけたアルーンの耳も、赤く染まっているように見えた。

 アルーン……?

 くすっ、と笑いがこみ上げてきた。恥ずかしかったのかな、照れているのかな、と思った。
 それにしても、と思う。

 怪物は死んだのに、元の世界に戻れないのか――。

 どうやったら戻れるんだろうと思う。詳しく調べようと思うが、頭痛と耳鳴りが邪魔をして、うまく集中できない。「合わない」ということで、防衛本能からか、調べようとすることを意識のどこかで拒絶しているのだろう。

 精神面の不安定さ、未熟さが、ここでも影響してるのかもしれない――。

「ごめん。アルーン。私、未熟だから、ちょっと帰る方法がわからない」

 そのとき、アルーンは、ケイトのほうへ向き直った。

「ごめん……! 俺が、捕まってしまったばっかりに……!」

「違うの、私がなにもできないくせに、無鉄砲に飛び込んだりして――」

 旅に出たことも、無鉄砲だったのかもしれない、と思った。

 旅をしつつ力をつけて、なんて、甘かったのかもしれない。いつも、私は中途半端で飛び出して――。

 そもそも、星聴きと魔法使いなんて、欲張るのも中途半端な原因なのかもしれない、と思えてきた。好きだから、興味があるから、とどちらも頑張ってきた。どちらもいつか、一人前、それ以上になれると信じて――。

 うぬぼれだ――。なんとかなるって思ってたけど、私、なんにもなれてないのかも――。
  
 情けない顔を、していたのかもしれない。泣いてはいないと思ったが、目頭が、熱い。

 ほら、また、すぐ感情が不安定――。

 耳鳴りが、大きくなっていた。吐き気も、さっきよりひどく――。
 アルーンの目を見られない。にじんだ景色の中、アルーンは、首を左右に振っていた。

「ありがとう。本当に。俺一人だったら、パニックになってた。ケイトが来てくれたから、こうして現実を受け入れられてる」
 
「私、魔法使いのくせに、こんなとき、なにも……」

 そのとき、遠くで声がした。

 ケイト……! アルーン……!

「レイオル!」

 レイオルの声だった。

『もうすぐ扉ができる。もうすぐだから、安心しろ……!』

 扉……!

 ケイトとアルーンは顔を見合わせた。

「レイオル……! こっちは無事だ! よろしく頼むーっ!」

 アルーンが大声で応えた。アルーンの声がレイオルに届くかどうか、疑問ではあったが、果たして――。

『無事でよかった! その場で待っていてくれ……!』

 アルーンの返事は、ちゃんとレイオルに届いていた。ケイトとアルーンの顔に、たちまち安堵と喜びが広がる。どうやら、レイオルの魔法で空間に扉を作り、皆のいる世界に戻れるらしい。

「よかった! 帰れるんだ、みんなのもとに……!」

「うん、本当に、よかった……!」

 アルーンは、ケイトに微笑みかけた。少し、はにかんだ微笑み。

「ケイトは、すごいよ。危険をかえりみず、助けようとしてくれた。すごい魔法使いだよ」

「ううん、ほんと、結局なにも――」

「俺のこと、診てくれた」

「それは、できるから。できることは、やらなきゃ」

「それが、すごいよ」

 そうかなあ、と思う。魔法の難易度的には、そんなに難しいものではない。

「できない人にとっては、できることはすごいって思う。できる人にとって、当たり前と思うかもしれないけど、それは、当たり前のことじゃない。誇りに思っていい。頑張ってきた自分を、認めて褒めていい。できるって、すごい。それに」

 それに、とアルーンはそこで一呼吸した。
 ケイトを、まっすぐ見つめる。あたたかな、まなざしで。

「できなくてもできても、行動してくれた。すごい勇気だよ」
 
 勇気……。

 勇気だけじゃ、危険なのでは、と思う。実際の力がなくては――。

「レイの三本の角、『元気、勇気、根気』っていうんだって。真ん中にあるんだよ。勇気。やっぱ、大事なことじゃね?」

 アルーンは明るく笑う。三本のレイの角の話は、ケイトも聞いていた。アルーンが自分を励まそうとしてくれているのは、わかっていた。でも、ついケイトの心は後ろ向きになる。

 でも、それは気持ちだよ、単純な、気持ち――。

 そこまでケイトは考え、あっ、と気付く。

 気持ち。精神。メンタル――! そうだ、気持ちって、軽く見ていいものじゃ、なかった……!

 どうして気付かなかったのだろうと思う。気持ちに振り回され、だけど気持ちを軽く見ていた自分。

 気持ちって、大事なことなんだ――。

「勇気があるって、すごいことだよ」

「うん。そうだね――。ありがとう、アルーン……!」

 気付けば、笑顔を返していた。体の中に、あたたかい力がよみがえるような気がした。
 
「あっ」

 それから、同時に声を上げていた。
 なにもない荒れ地の中、唐突に扉が現れていた。ご丁寧にも木製で全面に装飾が施された、重厚な扉。レイオルの趣向なのか、取っ手も立派で真鍮のような風合いだった。

 これ、魔法のイメージで出すものなんだから、こんなに凝った扉じゃなくてもいいんだけどな。

 変なとこで真面目というか、凝り性というか、とケイトは思う。

「ケイト」

 扉の前に進み、取っ手に触れたとき、アルーンに声をかけられた。

「ありがとう」

 アルーンは、まっすぐケイトの瞳を見つめた。

「皆のところに戻る前に、もう一度礼を言いたかった」

 ううん、と思った。礼を言うべきは、私なんだ、と――。

「ありがとう。アルーン」

 扉を開けた。たちまち飛び込んでくる、皆の笑顔。

「ケイト! アルーン! 本当によかったーっ!」

 無事を祝う声に囲まれた。
 
「ありがとう、みんな……!」

 ケイトは思う。

 大切にしよう。私のできること。

 未熟な魔法使い。レイオルのように、連れ去られた空間を割り出し、そこに扉を作るなんて技は到底できない。でも、自分はできることをやっていこう、と思った。そして――、

 ちゃんと見つめていこう。私の気持ち。

 すぐに揺れてしまう心。コントロールが難しい気持ち。でも、ちゃんと全部私だし、ちゃんと認めて向き合っていこう、そう思った。

 私は未熟だけど、魔法使いなんだ――!

 新たな気持ちで、レイオルの前に歩いていく。姿勢よく、胸を張って。

「レイオルは、本当にすごいね。ありがとう」

「ふふ。私は偉大な魔法使いだからな。畏怖の念でも畏敬の念でも――」

 相変わらず、わけのわからないレイオルの返答。

「うん。わかった。『自由なマインド』で、崇めとく」

 このくらい大胆に自分を認めていくのもいいかもしれない、とケイトは思った。
 すぐ後ろで、アルーンが肩を揺らしつつ笑っていた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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