シェハン・カルナティラカ『マーリ・アルメイダの七つの月』
まず、主人公のマーリンダ・アルメイダ・カバラナ、カメラマンでギャンブラーでヤリチンである通称マーリのキャラクターが面白い。悪ぶっているというか、いいやつと言われたくないという感じ、正直言って好感がもてる人物です。
これが世間のマーリの評価になります。かっこいい男がいれば誘惑し、収入はすべてカジノに突っ込むようなわかりやすいクズ男。そんなマーリが撮影する軍の住民への虐殺や政治家のスキャンダル写真はどのような評価を得るのだろう。金のためとおもわれるのかもしれない、マーリは評価を気にしない。マーリといっしょに亡霊の視線で現世をみている読者にはわかるのだろう、いがいとそんな単純なものではないことを。
スリランカの混沌とした政治情勢の中で繰り広げられる暴力の連鎖。小説の中ではこれらが滑稽にかつグロテスクに描かれています。それらが強調されればされるほど、マーリのDDに対する愛情が際立って美しく感じられていきます。マーリとDDのペニス談義が面白いのですが、マーリはDDに言えないほどの数の男と寝てきました。そんなヤリチンマーリには他人には信じられないかもしれないがピュアなDDへの愛があるのでしょう。
死亡した人間が、あの世に行く前に現世に戻ってきてなにかしらのミッションをこなしていく。そのような物語はたくさんあると思います、この小説もそのなかの一つになります。同種の小説の中で違う点はマーリ達亡霊はなにもできないことです、見ることしかできない。唯一できることは生者にささやくことだけです。ささやきも3回までしかできないのがもどかしいところです。そんな口笛で猫を振り向かすぐらいの力で、マーリが自分を殺害した人物にしかえしをする。クライマックスに起こる事件はこのものがたりのもう一つのおおきな山となっています。
死んだ人間がまた人間に生まれ変わる、もしくは家畜にうまれかわる確率もそれぞれあるのだろう。マーリの考える確率は数字の大小だけではなくその数字を信じるかどうかなのでしょう。地獄のようなこの世で生きていくには自分の信じる確率を計算して生きていく。そんな道標のようなものが必要なのだろう。そして、この小説をよむとわかってくることがある、死者が近くで生き様を見ているかもしれないことに。
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