『ハリケーンの季節』フェルナンダ・メルチョール
メキシコのどこかにあるラ・マトサという村にいる魔女が殺され死体が発見される。犯行現場近くにいたジェセニア、そのいとこのルイセミ、ルイセミの母親チャベラ、そのヒモであるムンラ、そしてルイセミに助けられたノルマという少女がそれぞれ語っていくうちに魔女が殺された経緯が少しずつあきらかになっていくという物語です。
登場人物がスマホを使用していることから現在の話であることがわかるが、それなのに魔女がでてくるというのはどういうことだろうか。登場人物がすべてアウトサイダーであり、ドラッグ・マリファナ・アルコール・暴力・レイプ・窃盗などの犯罪が溢れている世界が繰り広げられていきます。汚物をかき回したようなプールのなかで登場人物が首までつかってなんとか呼吸をして生き残っているような、現在の日本に生きている人間からすると想像を越えた状況が描かれていきます。ロベルト・ポラーニョの『2666』犯罪の章もメキシコが舞台で女性がレイプされたあげくに殺害される犯罪が延々と繰り返されていました。フィクションとはいえメキシコのイメージがかなり悪くなるのではと心配になってしまいます。
ルイスミが物語の中で中心となっているかんじです、各登場人物の語る話の中すべてにルイスミのエピソードが含まれているからそう思いました。そのエピソードノなかでもルイスミの表現が語る登場人物によってちがっているところが印象に残っています。
ルイスミのいとこジェセニアは彼にかなり悪い印象を持っています。
いっぽう、義理の父親の性的虐待から逃げてきてルイスミに助けられたノルマはどうも違うようです。
悪人とその被害者しかいない物語の中で、独特の感覚をもっているルイミス。彼の行動は悪を描いていくなかでちがった色の光のように感じます。そしてその光は周りの悪の色をさらに黒く印象深くさせていきます。
私は一度『ハリケーンの季節』を読むのを挫折してしまいました。再度読み始めてもなかなか理解できない箇所があり、何度か読み返すことになりました。独特の文章がそうさせるのだと思います。ですので今後も何度か読み返すと新たな発見があるような気がします。
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