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『トミー・ノッカーズ』スティーヴン・キング

主人公のジミー・ガードナーは詩人でアルコール中毒で元妻を拳銃で撃ち殺しかけた男。キングの小説でアル中が登場することは多いが、今回は主人公に抜擢されています。

ジミー・ガードナーはしがない詩人でドサ回りの詩の朗読会(ニュー・イングランド・ポエトリー・キャラバンというあまりメジャーでなさそうな名前)に参加して日銭を稼いでいます。自分の番が回ってきてもまったく詩が浮かんでこないガードナーの脳内にメイン州ヘイブンから元恋人で唯一の友人であるボビ・アンダーソンからのテレパシーのようなものが届き、それでもって勇気をもらったガードナーがその日一番の喝采をあびるところから物語が始まります。最後まで読むと何がボビにおこったのか理解できるのですが、この時点では難関をクリアしたことにガードナーも読者もホッとするのみです。

その朗読会の打ち上げでガードナーがアル中の本領を発揮します。飲んでも飲んでも足りない、どんどん喉がからからに乾いていくような感じが伝わってきます。このあたりはキングの体験も含まれているのかもしれませんが、本当に真に迫ってて迫力を感じます。ガードナーの飲酒がとまらないきっかけとなったのが打ち上げでの原子力発電の話題からです、電力会社の人間電力マン・テッドとの言い合い。この小説は反原子力発電がテーマではありません、ですが人間が自分で制御できない力を持ってしまったときの滑稽さと残酷さというのが表現されています。原子力発電というのはその象徴的なものかもしれません。この打ち上げのシーンだけで20ページも費やしています、重要なシーンとはいえ長すぎると感じる読者も多いかもしれません。しかしキングの小説を愛する人間にはたまらない部分です。

メイン州ヘイブンの住民を洗脳していく謎の物体に対抗できるのはガードナーとヘイブンの住民である老人エブ・ヒルマン。共通点は頭部に鉄板が入っていることです。そんな口笛で猫を振り向かすぐらいの能力が唯一の対抗策であるというのが面白いところです。彼らはスーパーヒーローではなく、ごく一般的なアメリカ人、というか平均よりしたの落ち目の人間と言ったほうが近いかもしれません。ガードナーも登場した時点でかなり落ちぶれているのに、打ち上げで大暴れをして転がり落ちるようにヘイブンに登場します。トミー・ノッカーズの童謡の全容を教えてくれる少年や、バンでツアーを回っているバンドマンに助けられてヘイブンにたどり着くところは運命を感じます。ガードナーに与えられた役目を果たすためにやってきたことがわかります。貧乏なバンドマンがカンパしてくれた金で生きながらえていくところはまさしくそれを象徴するシーンだと思います。

ガードナーは謎の物体に洗脳された元人間たちをトミー・ノッカーズと呼びます。童謡にでてくる正体不明の恐怖の対象としてです。トミー・ノッカーズが自宅にあるものでつくる特殊な機械がおもしろくかつ恐怖を感じさせるものとなっています。

 それはおもちゃの赤い四輪車だった。それは初夏の頃は小さなビリー・ファニンのものだった。四輪車の中央部分は台になっている。台の上に、ベンソンンの草刈り機「ベンソンでバリバリ刈ろう‼」と書かれた宣伝の下げ札がまだポールのしたでひらひら舞っていた。
 装置の脳波センサーが草刈り機の始動器を作動させた。エンジンが傷ついた猫のように唸り、草刈り機の刃が鋭い音を立てて動き出した。

文藝春秋『トミー・ノッカーズ』下巻P308

物語のほとんどがヘイブン町の住民同士の争いなので、でてくる機械や道具もアメリカ人の家に普通にあるものが改良されてでてくるところが面白いところです。トミー・ノッカーズになっても人間だったころの記憶や経験がのこっているのでしょう。どの人間もそんなにいいやつでもないし、悪いやつでもない。普通の人間たちがあらそっても美しくもないし醜すぎることもない、かなり微妙な感覚です。そんなところがこの物語を愛着をもって読むことができるところかもしれません。

トミー・ノッカーズに対抗する数少ない人間ガードナーとエブにも地球を救おうなどという大げさな意志はありません。ただ一人の人間を救いたいだけなんです。本当に小さな勇気を振り絞っているところが少しだけですが感動します。

森のなかのキラキラ光るもののほうへ進みだした。チェロキーから離れて50フィート進んだところで、エブは立ち止まった。こいつはただでっかいなんてもんじゃない、とてつもなく巨大なしろものだ、完全に掘り出されたらその大きさたるや、遠洋定期船をも小さく見せるほどだろう。
「わしの手を握ってくれ」エブはぶっきらぼうに言った。
ドゥーガンは言われたとおりにしたが、わけを知りたがった。
「なぜかって、わしは死ぬほどおっかないんだよ」

文藝春秋『トミー・ノッカーズ』下巻P66




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