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『グレート・サークル』マギー・シプステッド

題名が気に入ったので購入しました。本屋で見つけたときは800ページもあることにすこし驚きました、読み出してみると面白くて1週間ほどで読み終わりました。

現代場面での主人公ハドリー・バクスターはパパラッチに追っかけられるような、いわゆる尻軽女のレッテルを貼られているような女優です。彼女が世界一周飛行に挑んだ女性マリアン・グレイブスを演じることから物語が始まります。ハドリーがマリアンの日記を読み、マリアンの血縁者に合うなどしていきます。演じるための参考という意味合いがあるが、もう一つの理由としてマリアンの魅力に惹かれたというのがあると思います。あきらかにハドリーは変わっていく、その様子がこの小説のひとつの大きな流れとなっています。

そして第二次世界大戦前から終戦直後場面での主人公は前述した飛行機乗りマリアン・グレイブスです。彼女のキャラクターがこの小説の一番大きな面白さとなっています。一言でいうと生きているという実感を追い求め続けていく、その貪欲なエネルギーに圧倒されます。

流れこんだ水がジェイミーを呑み込んだ。マリアンは、土手を小走りで進みながら、ジェイミーに呼びかけた。つややかな金髪の小さな頭が、沈んではまた浮かびながら、流れていく。岩でごつごつとした岸辺でつまづき、追いつけなくなったマリアンは、少しのあいだ完全にジェイミーを見失った。息を切らし、頭をさげて木の枝をよけながら、カーブを曲がると、そこにジェイミーがいた。ずぶ濡れで荒い息をしながら、砂州にすわっている。オーバーオールは水を吸って重くなり、長靴は脱げてなくなっていたが、ジェイミーは立ち上がった。そして、荒々しい歓喜の雄叫びをあげた。大人の男がそうするのしかマリアンは聞いたことがなかった。さらにジェイミーは足を踏み鳴らし、石ころを拾って小川に投げこみ、筋張った両腕を突き上げた。マリアンは悔しいほどの羨ましさでいっぱいだった。自分が生き延びた方になりたかった。

早川書房『グレート・サークル』P61

双子の弟ジェイミーが溺れたのを羨ましがるマリアン。常に死と隣り合わせのような生きてみたい。具体的にそのように思っているわけではないが、本能に刷り込まれているのがわかる。

 両手を前へ突き出して手綱を引っかけると、マリアンはそのまま仰向けになり、フィドラーの尻の上で組んだ両手に頭を預けた。うとうとしかけたとき、遠くでエンジン音が聞こえた。
 そのエンジン音は東から聞こえてきた。音が大きくなる。さらに大きく。マリアンが身を起こしたのと同時に、神に遣わされた天使のごとく唐突かつ華麗に、赤と黒で彩られた複葉機がうなりをあげて飛んでいき、高度があまりに低かったので車輪に手が届くかに思えた。

早川書房『グレート・サークル』P109

マリアンが飛行機と出会った瞬間です。ものすごく美しく、かつマリアンのなかになにかが生まれたのが伝わってくる文章です。

マリアンが妻を家に閉じ込めて置くような保守的な酒の密売人バークリー・マックイーンと結婚することや先輩の女性飛行士ジャクリーン・コクランが率いる戦闘機運搬部隊の一員として戦争に身を投じるのも、すべては彼女の本能が危険の匂いを嗅ぎつけ選択していっているのではないのでしょうか。

マリアンを一途に愛する白人とインディアンの子供であるケイレブも魅力的な人物です。

ケイレブは気品のある猫のような子供で、背中に垂らした黒髪がまっすぐつややかかなので、きっと父親が先住民か中国人なんだろうと噂されている。ケイレブはちょっとした盗みを働く。母親から密造酒をくすね、街のなかの店でお菓子や釣り針をかすめ取る。小屋にやってくる男たちのことも、母親がそいつらとやっていることも大嫌いだが、母親が侮辱されるのは許さない。ケイレブはジェイミーに続いてマリアンの腹や腕にも一発見舞う。夏には三人とも裸で小川や川で泳ぐ。

早川書房『グレート・サークル』P102

ケイレブはマリアンのことが好きだが、はっきりとは表現しない。それはマリアンのつねにスリルを味わいながら生きていくという本能に気づいているからに違いない。ケイレブはけっしてマリアンの邪魔はしない。ケイレブがマリアンに愛の告白をするときは直接的な表現は決して用いない、つねに文学的だ。普段の彼の一見乱暴な行動からはかけ離れている。そこが彼の一番の魅力であると言えます。ジョン・アーヴィングの『あの川のほとりで』にでてくるケッチャムを彷彿とさせます。一途でわかりやすいようなわかりにくいような微妙な人間。

マリアンは戦争に行き何度も戦火の中を飛行機で飛び回り、それでも死ななかった。その後、飛行機で世界一周に挑戦をする。それまで何人もの人間を愛する、何人もの男をそして女を。死に向かいあうには愛する人間が必要なのか。彼女はたくましく生き続ける。一方、双子の弟ジェイミーは一人の女を愛し続ける。彼も戦争に行く、それは戦争の様子を絵画にするという彼にしかできない仕事をするためである。そして彼は死ぬために戦争に向かっていく。二人の人生の対比がこの小説の面白さの一つになります。

この小説の中で最も重要なキーワードは『水中でしゃがみこむグリズリー』になります。

『精霊に召された者』は商人や探検家の日記にちらほら登場する。彼は先住民に予言を授けはじめる。きっかけはただの戯言だ。自分は女から男に変わっただけでなく、霊的な力も得たのだとうそぶく。予言もそのひとつだと。
 『精霊に召された者』が完全に男に変わったと言っておきながら、乳房があってペニスがないのをみてとる。裸で水に入っていた『精霊に召された者』は、盗み見されたのに気づいてしゃがみこみ、体を隠した。その後、バンドレイ湖にたどり着くと、首長が戦士に告げた、望むものは名前を改めるがよい、襲撃は失敗続きで、邪気を払うものが必要だからと。
 自分は『水中でしゃがみこむグリズリー』になる、と『精霊に召された者』は言った、逆境に立ち向かいたい一心で。

早川書房『グレート・サークル』P138

このエピソードはケイレブがマリアンの人生をぜったいに邪魔しないことを表現している。そしてお互いに死ぬまでマリアンとケイレブを繋ぎ止めていくことになっていきます。

ラストの世界一周飛行はマリアンにとっても読者にとってもご褒美みたいな感じです。ちょっとしたトリックがあったり、『水中にしゃがみこむグリズリー』のエピソードの伏線が回収されたりします。男は死に向かい、女は生きる意思を持ち続けるそんなところも面白いと思いました。







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