見出し画像

ポラーニョ『2666』とサール『人類の深奥に秘められた記憶』


ポラーニョの『2666』を3週間ほどかけて読んだのですが、よく意味がわかりませんでした。しかも『犯罪の部』が同じような文章が繰り返されるので途中をすこし飛ばしてしまいました。ですので読んだというのは嘘になります、また少し時間をおいて再度よんでみることにしました。それから数週間後に読み始めたのがモアメド・ムブカル・サールの『人類の深奥に秘められた記憶』です。なんか似た話だなと思いながら読みました。

ポラーニョ『2666』はドイツ人作家ベンノ・フォン・アルチンポンディを、サールの『人類の・・・』はセネガル人作家T・C・エリマンの正体をそれぞれさぐる物語でした。アルチンポンディはくそつまらん小説、エリマンはパクリ小説を書いています。どちらも普通ではないという共通点があります。

・・・それにどうしてだれもかれもが、わたしに質問しなければ気がすまないのか、まるでわたしにはほかに抱えている問題がないみたいで、ちょっと腹が立つ、そう見えるとしてもうわべだけだと、ちゃんとわかってもらいたい、というのも結局、わたしのいる穴ぼこの底では、それが好都合なのだから、つまり大地のといかけはわたしにとって都合がいい、大地を揺すぶってやる機会だ、この件で大地がゆさぶられることはわかっている、

集英社『人類の深奥に秘められた記憶』P180

作家は自分のために小説を書くだけで、読者も自分のすきなように解釈すればよい。『2666』の批評家たちも自分たちのためにアルチンポンディの小説を読んでいる、その証拠に作品を理解することはそっちのけで批評家同士の恋愛に熱中している。『人生の・・・』ジェガーヌも自分さがしのためにエリマンを追っかけている。そんなものだ、人間はそれぞれ自分の欲望のおもむくままに行動している、他愛のないものだ。こんな感じで読んでいけばこの2つの小説の面白みも増していくのではないでしょうか。今回、『2666』を読破できませんでしたが、少し時間をおいて読んでみたいと思います。

『人生の・・・』は作家を探し出そうとするところがポラーニョの、シガ・D(母グモ)の家族についての独白はフォークナの、その他も色んな作家の影響を受けている。それは普通のことだし、逆にエリマンを登場させることでこの小説は色んな小説の組合わせなのだということを隠そうとしていない。

『2666』は他に類のない小説であると思います。犯罪の部で同じような殺害事件現場をしつこく何度も記述するところ、その他の章でも登場人物が自分のことのみ考えて動き周り、いっこうに結論が見えてこないところ。やみつきになるような感覚があります。

しかし、読者としてはオリジナルであるかどうかは関係無いと思います。どうせ発行される小説をすべて読むことは不可能なのだから。面白ければよいのです。なんだか難しい小説を読んだときには、ある意味開き直りが必要だということがわかったのでした。




この記事が参加している募集

読書感想文

海外文学のススメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?