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ガブリエル・ゼヴィン『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』

帯に「ゲーム制作に青春をかけた男女の友情の物語」とあります。まさにこの文章がすべてを物語っていると思います。小説を読むときに事前にあらすじ等の情報がいやでも入ってきてしまします、実際読んでみると聞いていたあらすじとはまったく違った感想を持つことのほうが多いというのが実感です。でもこの『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』は帯の文章そのままでした。

主人公はサムソン・メイザー、性別は男性で韓国移民二世の母親とユダヤ人の父の子供です。彼は幼少期の事故で足に重度の障害を抱えています、その事故で母親が死亡し祖父母に育てられます。もうひとりの主人公はセイディ・グリーン、性別は女性でユダヤ系の家計でビバリーヒルズのフラッツ地区というところに住む富裕層の子供です。帯にある男女の友情というのもありますが、その他人種・貧富の差・障害があるかどうかそのような違いがある二人が恋愛関係でもない友情を続けていくことができるのかという感じでした。

事故にあったサムが治療をうける病院でセイディに出会い、「スーパーマリオ」で一緒に遊んだところが友情のはじまりになります。最後まで読んでたのしい箇所はここだけでした。大学生になった二人が再び出会い、『イチゴ』という名のゲームを完成させてからはその友情がためされるような暗いシーンの連続です。

この小説はサムがセイディに対して、男女の恋愛関係を超えた友情がどんなものなのかを確認するための挑戦の連続だったのではないかと思います。サムがゲーム成功の手柄を独り占めにしたり、急に筋トレをしてマッチョになったり、リベラルな思想をゲームに取り入れて社会現象化していったのもすべて友情が本物かそうかをためすために行われたのではないでしょうか。考えてみるとすべてサムが男性であるがゆえの身勝手な考えであるのかもしれません。

一方、セイディはそんなサムの挑戦というか挑発に恋人を入れ替えたり、結婚して子供を出産することで対抗します。もっと普通に友情を続けていこうと訴えているようです。セイディが伝統的な方法で幸せをつかもうとする時点でサムの挑戦は失敗であると言えます。

ラストで二人は表面上の友情を復活させます。二人の関係がどうなるかはこれからなのでしょう。その後のことは読者に委ねられていると思います。

「『イチゴ』をこれでおしまいのするわけにはいかないよ、セイディ。『イチゴ2』を納得のいくものにできなかったのは、オーパスが決めた期限に間に合わせなくちゃいけなかったからだ。文句なしの三作目を作ってやろうって気はないの?」
「そのうちね」セイディは言った。
「だって『イチゴ』はぼくらの子供だろ」サムは言う。「くだらない続編を作っただけで見捨てるなんてできっこない。」
「サムソン」セイディは警告を含んだ調子で言った。「それでいいって言ってるでしょ。」
サムは顔をしかめて立ち上がった。

早川書房ガブリエル・ゼヴィン『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』P186

こんな感じでふたりはいがみ合うのですが、どこかでつながっているので完全に破綻することはないようです。話がすすむにつれサムの本心がわからなくなります、彼の本性はどんなものなのか恐ろしく感じていきます。セイディにはそんなモンスターのような人間のなかに初めてであったころのサムの面影を感じて居たのでしょう。そこらへんに二人の友情を感じます。



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