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天才の席

 教室の席は、名前のあいうえお順に出席番号がつけられ、その順に並んでいる。
 黒板に向かって左側前列から後ろにいき、次の右列に移っていく。

 中学からの腐れ縁の青木は、高校に入学した時も左側の一番前の席にいた。
 最初の授業で、教師が当てるのは、ほぼ出席番号の最初の方からなので、どの教科の教師も、まずは青木を当てる。
しかし、当の青木は毎度のことなので、質問の答えがわからなくても妙に焦ることもなく、動じていない。
答えがわかっていないこちらは、青木が当てられる度に、自分の名前が終わりの方でよかったと、いつも名前に感謝した。

 一学期、出席番号38番となった自分の席の前には南俊介がいた。
身体は細くきゃしゃで、いつも、どこかぼうっと眺め、どちらかと言うと何を考えているのかよくわからないタイプ。
あまり友達もいなく、明らかにクラスでは薄い存在だった。
だが、勉強はなぜかよくできた。
 度々あるテストでは、こちらがいつも赤点ぎりぎりのラインをさまよっていたが、南俊介は、ほとんどバツ印がついていない答案用紙を返してもらっていた。
それを見せびらかす訳でもなく、隠そうともしないので、後ろの席の自分から否応なく見えた。

 あまりに自分と違うテストの点数に、ある時、一日にどのくらい勉強しているのかと聞いたところ、家ではほとんど勉強をしていないし、塾などにも通っていないという。
それならこちらと一緒だと言ったが、なぜ、テストでこうも点数のひらきがあるのか。
 家で勉強をしていないという努力の量は同じなのに、結果がこうも違うということは、やはり頭のできがいいか悪いかにつきるということである。

 そもそも、同じ人間でありながら頭の構造が基から違っているのだ。
できのいい頭とは、持って生まれた資質の問題で、そんなものは、ほぼ努力では解決しえないことだろう。
そして、テストの度に、努力もせず(と思う)及第点どころか、学年でもトップの点数を取る南俊介の頭の構造は一体どうなっているのか。
 頭の中を覗くことはできないまでも、どういう魔法の勉強方法なのか興味があった。

すると
「教科書を見るだけ」
だという。
さらに
「テスト中に、その教科書を思い出すだけ」
という。

「はあ?」
 テスト前になると、こちらも教科書の重要な部分を蛍光ペンで何度も塗りつぶし、時間をかけ頭の中に記憶するよう叩き込んでいる。
これ、普通の勉強方法だと思う。
が、さすがに全てを暗記することはできない。
 テストが終わる度に、ほとんど時間をかけた気休めの塗りつぶし作業だったといつも感じる。

しかし、南俊介は、頭の中で教科書をすべて思いだせるという。
それも、時間をかけることなく教科書を完璧に記憶しているということになる。

天才?

『そりゃあ、頭の中にある完璧な教科書を、そのまま答案用紙に写しているだけだから間違えるわけないだろう』
記憶するというより、教科書の1ページごとに一枚の写真を撮る感覚だという。
教科書を開き、カッシャとシャッターを押すだけで、すべてが記憶できるということだ。

凄い!

これこそ、まさに天才だろう?!

 南俊介が天才だとわかって以来、凡人の努力というまやかしの言葉が天才にかなうはずもないと感じ始めた。
こちらが努力して頑張っても、絶対に向こうには勝てないのだ。
次元が違う。

人間、皆平等、同等ではない。
能力、資質、生まれた時からそれぞれ違っている。
そう理解すると、なぜか、諦めが早い。
自分にとって、これはなかなか都合のいい理由になった。
努力ではなく、そう、資質の問題なのである。
天才を身近にみて妙に納得した。

 しかし、現実は、その都合のいい理由ばかりを受け入れてはくれなかった。
最低限、こちらも及第点をもらう必要があるので、それは、それで、それなりに努力をしないとまずいことになる。

 名前があいうえお順で、後ろの方で良かったと親に感謝したが、できれば天才に生んでくれた方が良かった。

 テストづけの日々が続き、勉強では努力することも疎かになったが、身体を動かすクラブには熱をいれた。
これを努力という。
好きなことは努力も苦にならない。

いつも前の席にいる南俊介は、相変わらずクラブもせずひょうひょうと日々、暮らしていた。

 一学期最終日、本人、親、担任の三者面談があった。
努力のかいもなく、結果が既にわかっていた自分の成績は、赤点が三つもあった。
だからか、母親が自分は行きたくないという一言で、代わりに父親がきていた。

 三者面談の順番も同じく出席番号順で、教室の外で父親と椅子に腰かけて待っていた。
すると、面談を終えた南俊介とその母親が出てきた。
 天才だと信じているせいか、その母親も、もの静かなで貴賓があり、どこか普通人とは違う香りが漂ってきた。
 口をぽかんと開けながら、羨望の眼差しで南俊介の母親を見ていた。
この母親が自分の母親だったら、俺は天才だったのにと、隣で大あくびをしている父親と見比べながら思った。

 予想どおり三者面談では散々というか、本人のただ努力不足という担任の話だった。資質の問題とは決して言わなかった。
父親は、
「ま、卒業してくれればいいから」
と自分の血を引き継いでいる息子には、ごく当然のことを言った。
『そりゃあ、そうだろう。とんびが鷹を生むわけがない。アヒルの子はアヒルなのだ。
それなのに、なぜ、いつまで経っても、母親は自分の息子が鷹だと信じているのか。赤点ばかりの成績は、まるで仮の姿だと信じて疑わないことが、いまだ理解できない。
現実を直視すべきだ』

暑い暑い、そして長い夏休みが終わった。

 教室には真っ黒に日焼けした顔ばかりのクラスメイトが、朝からこの休みにあった出来事を、ここぞとばかり喋りまくっている。

ただ、南俊介の席は、空席のままだった。

二学期初めての朝のホームルームが始まる。
ドアを開け、担任が教室に入ってくる。
『二学期早々から、こいつ休みかよ』
南俊介の席は相変わらず、人の気配は無かった。

教壇につくなり、唐突に担任が、
「昨日、南俊介君が突然亡くなった。明日、葬儀があるので、皆で出席するように」
沈痛な声で皆に伝えた。

その後のことは、全く覚えていない。

覚えているのは、葬儀場で見たあの母親の憔悴しきった知性溢れる顔だけだった。

天才、、、か

そういえば、珍しく尾崎豊の歌詞を机に落書きしていた。

なんてちっぽけで
なんて意味のない
なんて無力な
15の夜


二学期になったということで、
早速、席替えがあった。
出席番号順ではなく、今度はくじ引きだ。
悪い予感どおり、こちらの席は、元青木がいた左側一番前の席になった。
気が重く青木の席にカバンを置く。
「南江、この席は意外といい席だよ」
と予想に反して青木が言った。
「そうか、じゃあ無駄な努力をしなくていいな。おまえは、どこの席になった?」
「俺も努力しなくても、いい点数が取れる席になったよ」

青木が向かった席は、南俊介の席だった。

「おまえ、天才じゃないだろ」

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