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つくし誰の子、スギナの子?

春うらら。
川土手を散歩していると土筆を発見した。
おっ!懐かしいと思っているとその横には、もうスギナの木になっているものもある。
早く取らないとスギナになってしまうと、ポケットを探る。
丁度、一枚のビニール袋があったので、土筆を取ってみることにした。
 いつの間にか夢中になり、小一時間もすると、ビニール袋が一杯になった。
 どうにか摘むのを止めて家に持って帰る。
今日の酒のつまみになると奥様に見せる。
 「まあ、土筆?懐かしい」
と、同じようなセリフをいう。

 昔、ゴザを敷いた上に座り、持って帰った土筆の袴を、手を真っ黒にしながら母と一緒にむいた。
 その日の夜、食卓には、おいしい土筆料理があったことを思い出す。
奥様も、春になると祖母と母に連れられ取りに行ったと話す。
 土筆ひとつで母の話題になった。

「あのね、土筆は大きくなったらスギナになると思っている?
実は、土筆は大きくなってもスギナにはならないのよ。
大きくなったら枯れるだけなの」
「え~ばかな。土筆だれの子、スギナの子って歌っていたじゃない?
それはおかしいし、絶対違うわ」
とすぐに、確かめるべくスマホでググる。
すると、
『土筆はスギナにならない』
と、ご指摘のとおり書いてあるではないか。
「ほんまや。土筆はスギナの子じゃないんだ。

じゃあ、土筆は誰の子なん?」

歌の問題より、今まで絶対に信じていたものが、足元からガラッガラッと大きく崩れていく気がした。

 小さい頃、悪さをすると決まって、母親が
「お前は橋の下で拾ってきたので、今度悪いことをしたら捨てに行く」
とよく言われた。
 幼い当時は、恐怖の脅し文句であるが、漠然と自分は拾われてきた子なんだと信じていた。
まさに、子供心に足元がガラッガラッと大きく崩れていく気がした。

『じゃあ、俺は誰の子なん?』

おいおい、お前も土筆になったか?

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