教師の丸つけ

朝活10日目。
昨日教師の多忙化要因の1番目に業務内容の境界がはっきりしないという話を書きました。これについても現職教員の方々がnote上でさまざまな分析をしてくださっています。

私なら教育と福祉のせめぎ合いという視点で分類したいところです。
今教育現場には、福祉的な視点がサイレントに侵食してきています。このことに気づいている現場の人間がどれほどいるかということです。本来教師は教育的な技術はあっても、福祉的な技術を持ち合わせているわけがありません。

このことが実際には大きな股裂状況を生み出しているのですが、この話はいずれ。

そこでふと思ったのが、教師の丸つけについてです。
特に小学校における丸つけの重要性について語りたいと思います。
時代に相当逆行していると思いますが、、
昨年夏の中教審の緊急提言で丸つけは教師の業務だが負担軽減可能に分類されたように思います。

というかそれ以前から小学校でも親や子ども自身に丸つけをさせる風習が入り込んできていました。
さらに20年近く前でも、のちに指導主事から私学小学校転出というバカみたいな出世コースにのっていった私の初任指導教員が「丸つけは一番非生産的な仕事」と言ってました。それは指導の中で唯一得心いったことです。

コロナ以降、今は学校には教師の業務サポートのための人員というのが配置されていると思います。チラチラ見ているとこの人に丸つけを丸投げしている人がいるんですね。

そういう人はほぼ例外なくウデのある教員ではないですね。ウデがないかとどうかはよくわかりませんが、、そもそも他人にあんまり興味がないので。

丸つけ中に全神経を集中しているわけではありません。だいぶ弛緩して惰性の動きになっているのは事実です。ただここから得られる情報というのは非常に有益だと考えるのが教師が丸つけした方が良いと思う1点目です。

間違えるパターン、この子でもここを理解していない、ここが教えきれていない、というような自分の授業のまずいところを探す意味でいいと思います。

またテストであれ、書き取りであれ、音読チェックであれ、日記であれ、ほぼ何であれ、その子個人の特性というものが親も含めて、書き物には現れてきます。そこを受け取ることも重要な点だと思います。

これらは学校現場が塾産業に大きく遅れをとる部分だと思います。塾を賞賛する気は毛頭ないですが、教師個人の主観的な肌感覚でいいので子どもと自分のチェックをしていくために丸つけ後の感覚はそれこそ教師の自己指導能力だと考えます。

2点目は教師と保護者の信頼関係です。親や子どもに丸つけさせる教師を親が信頼するとは思いにくいです。協力的な親がいたとしても少なくとも1、2割はえっ!と思うはずです。こんなつまらないことでせっかくの信頼関係の前提を失うのは勿体無いんじゃないかなと思います。

あとはテストの丸つけ中にユニークな答えがあるとおもろいです。
この文章をこういうふうに解釈するんだと思うことはしばしばです。
だから私は相手の解釈に全てを委ねる人間とは話をしたいとは思わないです。
あと完全な勘違いもおもろいです。
よく投稿されている方もいらっしゃいますが爆笑ものもよくあります。たぶん丸つけを肩代わりする業務スタッフさんはおもろい理由がわかりませんよね。教師じゃないから。もったいない。

あと業者テストの模範解答からズレたものをどう解釈するかも長年の経験とウデに関係する部分です。子どもの解答からわかっているか否かを推しはかって丸つけできることはもう一つの技術だと思います。それも短時間で。

これらが私は教師の業務の中にきちんと丸つけの時間を込めていった方が良いと思う理由です。異論反論おありでしょうが、ご笑読いただければ幸いです。

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