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日本語うまくなってる!とふと気づくとき


日本で生活していない程度の日本語力

日本に来て14年とはいえ、それまで日本語教育を受けなかったわけではない。
日本語補習校にも通っていたし、何より両親は日本人なので家に帰れば日本語だ。

しかし日本に来て働くようになって
「これでもかなり日本語がうまくなったんだ」
こう話すとよくわからないという反応が来る。

見た目が日本人で、発音もネイティブ、親も日本人の日本国籍だと相手に知られているので、混乱される。

しかし「人の話を理解せずにずっと生きてきたんだな」と思うことが度々あった。その頃の話は別の記事で書いてもいいかもしれない。

日本語うまくなってて衝撃だった瞬間

実は古いパソコンが壊れた都合で最近iTunesの音楽ライブラリを整理している。

そんなiTunesを開いてたら偶然出てきたのは椎名林檎の「茎(STEM)」収録曲。
「迷彩~戦後最大級ノ暴風雨圏内歌唱」
悩むことなく字が読めたのでかなりびっくりした。

 実は10年前の自分にとってはこれは「読めない文字の塊」だった。
どこからどこまでが1単語で、どれを音読み/訓読みすればいいかわからなかった。しかも今なら「戦後」=第二次大戦後というところまで読み取ることができる。

ちょっと変化球な文字列で習熟度は測れるんだなーと思ったりした。

歌詞もよくわからずに聞いていた

邦楽特にJ-Rockが好きでよく聞いていたけど、いわゆる洋楽とかと同じで、歌詞を聴いていないというか、わからないというか。

シドの「アリバイ」が悲恋の歌だと耳で聞いて気付いたのも最近の話だ。

歌詞はネット検索で出てきても読みは歌頼り。歌詞検索サイトはコピーができないことが多いのだ。更にこれで困るのが、たまに漫画でもよくある「運命(さだめ)」みたいな現象が発生するのだ。本当の読みを知らないというか、勘違いしてしまうケースがある。

台湾の曲の方が「音読みっぽい」ので「まだ読める感」はあった。
(ただし中国語はできない)

実は日本語がちょっと上達してから歌詞聴きこまない系の歌を聴きたいときはタイ語、ベトナム語、中国語、カザフ語の曲にシフトしている。

文字と読みと意味が結びつかないパターンも

日本の学校で使う「資料集」が「資料の"集"」という意味だと気付いたのもつい最近だったりする。(きっかけなく急にお風呂で思い出したのだ。)

周りに倣って「しりょーしゅー」って読むことだけは知っていた。
私は本当に頭がよろしくなくて、その冊子の名前が「資料集」だってことは理解してはいたものの役割がわからず、「なんか授業で使う教科書」程度の認識だった。

まず「資料」という言葉を知らなかったし、「~集」(~全集)的な言葉の使い方を知らなかったのだ。無理はない。
読めても意味がわかってるとは限らないということだ。

ちょっとずつ学んでいると習熟度が測れない

毎日の生活で覚えた単語が増えて行くわけだが、テストがあるわけでもないので「どのくらいできてるか」はその都度確認しない。いつの間にか山手線の全駅名が読めるみたいな、そんな感覚である。

「わからない」ことを都度表明したりもしない。
なんとなく「そういうものなんだ」と受け止めていて、他人から見ての「理解してるだろう」は通用しないのだ。

仕事場でも「理解していると思ったら理解していなかった」なんてケースもあっただろうと思う。
実はとあるプロジェクトで中国人の方と一緒にチームを組んだことがあるのだが、2人とも日本語が怪しかった結果、「外国人同士が怪しげな日本語で仕事している」状態になってしまい、社内外で連携がさっぱり取れていなかったことがある。
その節は上司の皆様にはご迷惑おかけしました。

最後に私が知っている最も難しい四字熟語を発表します。
それでは聞いてください。

日進月歩。

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