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能登半島地震 避難所での生活① 居場所がない

出遅れた

1月2日、夜明けとともに避難所を出る。海の側に停めてあった車は、津波被害にあったようだが、駐車場の端の除雪した雪山に引っかかって残っていた。幸いエンジンも大丈夫そうだ。バキバキに割れ沈下している駐車場から、1時間がかりで救出した。
その後、自宅に帰り、避難所に持っていくものの準備をした。なんとか引っ張り出した毛布を4枚、寝床用の段ボール、残っていたお菓子。家の中はめちゃくちゃだったので、思った以上に時間がかかかる。更に、避難所は駐車場が少ない為、荷物を運ぶのに徒歩で2往復。私達はすっかり出遅れてしまったのだ。


居場所が無い

重い荷物を持ち必死で階段を登る。ようやく部屋の前へ辿り着くと、何故か廊下に座っている人達がいた。小学生くらいのお子さんを含む家族連れ。不思議に思いながら部屋に入ると、その理由がわかった。
2台置かれたストーブを取り囲むように椅子が置かれ、広々としたリビングスペースと布団が並んだ寝室が形成されていた。なんとか荷物が置けそうなスペースを見つけ、そこに向かって部屋を進むと、側にいた人が慌てて畳んであった毛布や荷物を広げ始めた。自分のスペースを私に奪われると思ったのかもしれない。少しモヤモヤした気分になったが、こんな状況なので仕方がない。今日は廊下で眠るしかない。私は覚悟を決めた。


新たな居場所での出発

一旦は廊下で眠る覚悟を決めた私達だったが、夫が運営側にかけ合い、向かい側の部屋を使わせてもらうことになった。その部屋も前の部屋と同じ特別教室だったが、こちらは元々大きな机がいくつか設置されているタイプだった。ストーブも無く、暖房も使えないが、それでも空いたスペースで横になることはできる。ありがたい。
廊下に座っていたご家族にも声をかけ、向かいの部屋に入れなかった人達もどんどん流れてきて、最終的には15人のお部屋になった。


振り返ると

今思えば、地震発生の時期が悪かったのかもしれない。どんどん人口が減っている過疎の町なのに、お正月の帰省で人が爆発的に増えていた。それで人を収容しきれなかったんだろう。
自然災害には盆も正月も関係ない。でも、やはり考える。なんで正月なんや。

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