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小説|青い目と月の湖 13

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 ハンスのおどおどした様子と、遠慮がちな物言いが、以前の彼の言葉に繋がった。
「まさか、彼女」
 ハンスは決心するように頷いた。
「月の湖の、彼女だよ」
 クロードは肘をテーブルにつき、その手で額を覆った。
「何てことだ」
「でも、変じゃなかったんでしょ?クロードが見ても、普通だったんでしょう?ほらね。彼女は普通の人なんだよ。魔女なんかじゃないんだ。みんな誤解して」
「いつから会ってるんだ」
「……去年の、冬」
 クロードはあきれて顔を上げる。
「あの湖に行ったのか」
「うん」
「それで、無事だったんだな」
「うん」
「エレンは知ってるのか」
「話してないよ。怒られるもの」
「彼女と会うのは何度目だ」
「五回」
「お前が城に迎えに行ってるのか」
「城に行ったのは初めの三回だけだよ。先週と今日は、待合わせをしてたんだ。月の湖まで行くの、時間がかかるから」
「そうやって、少しずつ知恵を付けていった訳だ」
「どういうこと?」
「エレンにばれないように、月の魔女に会うにはどうしたらいいか、上手い方法を編み出していってるんだな。それで今日は、朝からクロードの家に遊びに行って、そのまま泊まると母親に嘘をついたんだ。そうすれば、好きな時間まで魔女と遊んでいられる。宿はもう確保してあるんだから、遅くなろうが構わない」
「魔女じゃないよ!彼女はマリエルっていうんだ」
「禁止されていることだ。そして私も、行くなと言った」
「だけど、マリエルは……」
「全く、大人になったものだな、ハンス。親に内緒で女に会いに行くとは」
「どうして!どうしてそんな風に言うの?ヤラシイ言い方しないでよ!マリエルはずっと一人で淋しかったんだよ。お父さんもお母さんもいないんだ。一人で何年もあの城に住んでるんだ。彼女は僕と友達になれて喜んでくれてるんだ。何も危険なことなんてない。彼女は魔女なんかじゃないんだから」
「お前が大人になっていくのは当たり前のことだから文句はないよ。母親に嘘をつこうが、そんなのは村の魔術師が口を出すことじゃないからな。だが、月の湖には行くなと言った筈だ」
「だから!彼女は魔女なんかじゃないったら!もし魔女なら、クロードには判るはずでしょう!」
 
 確かに、マリエルという女は普通の人間の娘のようにしか見えなかった。
 しかし、それならばあの場所に問題があるのだ。
 おそらくは月の湖に、何かがあるのだ。
「マリエルが魔女でなくとも、もう行くな。言っただろう。獣も近付かない場所に、入ってはならないと」
「だけど」
 ハンスは口惜しそうに顔をゆがめたまま、何かを考え、思い出したように言った。
「それだって、気のせいだよ。だって、僕は馬であの湖まで行ったんだよ。獣が近付かないなんて、思い過ごしだよ。あそこは少しも特別な場所なんかじゃない。呪われた湖なんかじゃないよ。全部迷信なんだ」
「……馬で行ったのか?」
「うん」
「馬は怖れなかったのか?」
「うん。僕が城に行って、戻ってくるまでだって、大人しく待ってたよ」
 クロードは椅子の背にもたれ、腕を組んだ。
「でも駄目だ。もう行くんじゃない」
「……嫌だ。もう約束だってしてるんだ。僕は、本当はクロードに会って欲しいんだ。彼女に会って、彼女が魔女じゃないって、クロードに証明して欲しいんだ。だって、それが出来るのはクロードだけなんだから」
「それを証明して、どうなるという?」
「村の人たちに教えるんだよ。マリエルは魔女なんかじゃない、普通の女の子だって」
「それで、村人と仲良く、楽しく暮すと言うのか?」
「そうだよ」
 クロードは苦笑いをした。

 無理な話だ。
 自分に何を証明できるというのか。
 未だ彼の力さえ信じない者がいると言うのに、何を証明し得るだろう?
「月の湖の噂はただの迷信だ。そこに住む娘は魔女でなく人間だ。だからみんな、優しく彼女を迎え入れようじゃないか。そう言うのか?」
「そうだよ。そうすれば、マリエルは淋しくなんかなくなる」
「不可能だ」
「どうして?」
「村人は私の言うことを信じはしない。もし、お前の望む通りのことをしたとしよう。お前にも想像できるだろう?お前の言っているのは夢に過ぎない。実際には、そうはならない」
 ハンスは息を飲んで、自分なりに考えているようだった。
 その表情から、徐々に自信が消え失せていく。
「人は私を信じないどころか、私に魔物が取り付いたと思うかもしれない。お前を利用し、村を騙し、何か恐ろしいことを企んでいるのではと、最悪、考えるかもしれないな。そうなれば、私は追放されるだけだ。酷ければ、殺される」
「そんなこと!」
「しかし、それが現実だと私は思っている」
「……クロードが、ここを出て行くなんて、嫌だよ」
「ありがとう。私もこの村は気に入ってるよ」
「クロード……」
「もう、湖には行くな」
「だけど、約束したんだ。村を説得できなくても、僕は、僕だけはマリエルの友達でいたい」
 クロードはかぶりを振った。
「それなら言うが、あの森には、確かに魔物が潜んでいる」
 ハンスは驚いて、クロードを凝視した。
「そんなこと、ある訳ない」
「お前は私を信じてくれているんだろう?それとも、もうやめたか」
「信じてるよ。でも、だけど」
「私は湖まで見ていない。そこまで行けなかったからだ。行かなかったんじゃない。恐ろしくて行けなかったんだ。今までにないほどの強い妖気を感じた。その根源が何処にあるのか、湖なのか、私はそこまで行くことができなかったから判らないし、正体も判らない。けれど、北の森に何かがいることだけは断言できる」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「……でも、マリエルは魔女じゃない」
「おそらくはそうだろう。だが、そのマリエルという娘が一人で湖の城に住んでいるとすれば、魔物と何らかの関係があるはずだ。私はそれを安全だとは思わない。私は、お前を危険な目には遭わせたくない」
 ハンスは弱々しい声で言った。
「嘘だよ。マリエルが、魔物と関係があるなんて。彼女は普通の女の子なんだ。僕は、彼女に会いに行くよ。今まで、怖い目にあったことなんかないんだ」
 ハンスの心は頑なだった。
 もしここで無理にでも、月の湖には行かないと言わせたところで、その約束は守られないだろう。
 クロードはしばらくの間、薪ストーブの小窓から見える火を見つめていた。
 
「ハンス」
 ハンスは淋しげな顔を上げた。
 クロードは火を見たままだった。
「次に会う日をもう決めているのか」
「うん。来週。配達の後に」
「待ち合わせをしているのか」
「ううん。僕が湖まで行くことになってる。急いでこっちに来たから、話し合う時間がなくて」
「それで、私が行くなと言っても、行くと言うんだな」
「うん。だって、マリエルは僕の友達だもの。僕が彼女を裏切ったら、彼女はまた一人ぼっちになってしまうんだ」
 クロードはハンスを見た。
 真剣な顔つきだった。
 クロードは頷く。
「判った。しかし、一人で行かせる訳にはいかない。私も一緒だ。それでいいか?」
 ハンスは顔を輝かせた。
 テーブルの上に身を乗り出す。
「会ってくれるの?マリエルに会いに行ってくれるの?」
「ただし、私がそこまでたどりつければの話しだ」
「平気だよ。僕だって全然怖くなんかないんだから。きっと喜ぶよ、マリエル」
 安心したような笑顔で、ハンスは紅茶を飲み始めた。



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