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小説|腐った祝祭 第ニ章 7

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 サトルは正門から屋敷内に入り、エイミーに案内されてベラの部屋の近くまで来た。
「二人で部屋に?」
「はい」
「私が来ることは?」
「今朝、奥様にお伝えしました。判ったとおっしゃいました」
「嫌がってはなかったんだね」
「はい。大使、私はここで下がってよろしいですか?最近は私が部屋に入るのを、奥様は疎ましがられるのです」
「判った。ほら、そんな悲しい顔をしないで」
 サトルが優しくそう言うと、エイミーは心細げではあったが微笑んで、階段を降りていった。
 サトルはベラの部屋の前まで歩いて行く。
 すると、ドアが少し開いた状態だった。
 隙間から中を見た。
 二人はソファーに座っていたが、サトルには気付かなかった。
 サトルは頭痛を覚えて、一度ドアの陰に身を戻した。
 軽く首を振り、一息吐いた。
 そして、ドアを押して二人に向かって立つと、開いたドアをノックする。
「お取り込み中すみませんね」
 口付けを交わしていた二人は慌てて離れた。
 いや、慌てていたのはベラだけだ。
 口を指先で覆い、青ざめた顔でサトルを見ている。
 カレンは気だるく黒髪をかき上げ、冷たい視線をサトルに向けた。
「どうして、ここに」
 ベラは声を震わせて言った。
「お伺いするとエイミーに聞きませんでしたか?」
「でも、サトルさんが来たのなら来たと…」
「あなたが自らエイミーを遠ざけているんでしょう。大体の時間もお伝えしたと思いますが。それに今までだって、突然あなたの部屋に押しかけたところで問題はなかったでしょう。あなたは驚いたが、いつもそれを喜んでくれた。少なくとも、今みたいに青い顔をするなんてことはなかったですね」
 カレンは、二人の会話には興味がないと言うようにすっと立ち上がると、窓辺のゲームテーブルまでゆっくりと歩いて行った。
 テーブルにはチェス盤が出ていた。
 サトルはそれを目で追った。
 カレンは傍らにあったクイーンを摘まむと、チェス盤にコツンと音をたてて置いた。
 そして物憂げに窓の外に目をやった。
 我関せず。と、いった風情だ。
 クイーンは頭を摘ままれたまま、ときどき外国人に揺すぶられている。
 サトルはカレンに目を留めたまま、ベラに言う。
「それで、私はこれから追い出されるのかな?先日のお詫びに来たんだが、日を改めましょうか?それとも、未来永劫来ない方がいいのかな」
 カレンはそのセリフの最後の方で、ふっと小さく笑った。
「そんな。来てくれて嬉しいの。私、サトルさん、あの……」
 ベラは混乱して何から話していいのか判らないようだった。
 しかし、カレンはそれを助けようとはしない。
 サトルはベラに顔を向けた。
「この間のあれは、私に対する愛の告白だと思いましたよ、ベラ。しかし、それは私の勘違いだったのかな」
「違うの。いえ、違わないわ。私……」
「私はどちらでも構いませんよ。何とかして、事実を受け止める覚悟をしましょう。しかし、ベラ。自分の立場が判っていますか?あなたの首の黒いリボンは単なるアクセサリーじゃない。まだご主人の喪に服している印でしょう。その期間に私を誘惑したかと思えば、異国の女を自宅に囲うなんて。こんな醜聞が世間に知れたらどうするんですか」
「待って、サトルさん」
「この国では、かなり大きな波紋を呼ぶことになりますよ」
「待って、待ってちょうだい」
 ベラは顔を両手で覆って、すすり泣きを始めた。
 すると、やっとカレンが口を開いた。
 外に目を向けたまま。
「意地の悪い男ね」
 サトルがそちらに目を向けると、カレンはサトルの方へゆっくりと体の向きを変えた。
 クイーンを口元に持っていき、サトルを挑戦的な微笑みで見つめながら、それに軽く唇をつけた。
 首を傾げる。
「それともこれって、あなたのプレイなのかしら?本物のサディストって、私、見たことないから判らないんだけど」
 カレンはサトルに目線を合わせたまま歩き、ベラの隣に戻った。
 そしてソファーに座ると、ベラの頭を包むように抱きしめ、髪にキスをして言う。
「泣かないで、ベラ。可愛い顔が台無しよ」
 そして、ベラが肩にかけていたストールの端を持ち上げ、それでベラの涙を、ややぞんざいに拭いた。
 サトルは言った。
「カレン」
「何?」
 カレンはこちらを向く。
 ベラは自分で涙を拭き始めた。
「君がベラを誘惑したのか?」
「どうかしらね。よく判らないわ。でも、何かいけないの?」
「ベラに身分がなければ文句はない。好きにすればいいさ。差別だなんだという話でなくてね、この国の貴族は厳しい規律を求められている。これが喪中でなければ、そして人妻でなければ、単なる醜聞ですむだろう。でも、それさえベラは耐えられないだろうね」
「世間体の話はいいわ。あなたはどう思うの?ベラはそれが心配なのよ。あなたに軽蔑されたんじゃないかって、恐れているのよ」
「事実を把握できていないので、それには答えられない」
 カレンは可笑しそうに笑った。
「気取り屋さんね。事実なら教えてあげるわ。ベラはご主人を愛していた。時の経過の中で、それは恋愛感情ではなくなっていったけれど、家族としての愛情はあった。そこに異国のハンサムさんが現れた。言葉巧みで、洗練されていて、綺麗な体を持った男よ。ベラは彼に恋をしてしまった。そして夫は死に、男の婚約者も死んだ。そこに、恋する男と同じ言葉、同じ文化を知る女が現れた。男は冷たく、女は優しかった。ベラは優しい方へ引き寄せられた。これで満足?」
「なぜ君は、彼女に優しくするのかな」
「なぜかしら?私にも判らないわ。でも、彼女の傍にいると惹かれるの。何かの思念を感じると言ってもいいけれど、あなたは信じないでしょうね」
「グリーン卿が君の体に入ったとでも言うのかい?」
「さあ、判らないわ。世の中、なんでも割り切れるものじゃないでしょう?曖昧な事実だってあるのよ。彼女を愛しいと思うけれど、それが私の感情なのか判らない。私はただ感じるだけ。誰もその答えを私に与えてくれはしないの。だから、判らないとしか言いようがないわ」
 何を企んでいるんだろう?
 ベラの財産に目を付けたのか?
 サトルはベラに言った。
「あなたはどうなんです?世間はどうでも、あなたがもしこの女を愛していると言うのなら、私は非難しませんよ。でも単なる戯れなら、おやめなさい」
 ベラは涙を拭き終わると、膝に手を置いて俯いた。
「こんなことは、貴女らしくない」
「ねえ、サトル」
 無遠慮に呼び捨てにされ、サトルはカレンに冷たく目をやる。
 カレンは構わず続けた。
「聞いてることに答えてよ。あなたはベラを軽蔑するの?彼女は私を愛していないわよ」
 ベラがカレンの名を呟き、顔を上げる。
 カレンは手だけ伸ばしてベラの髪を撫ぜる。
「いいのよ、判っているから。あなたはこの気障な男に恋をしてるのよ。その隙間を私に付け込まれて、身動きが取れなくなったのね。可哀相なベラ。大丈夫よ、私は傷付かないから。ねえ、言いなさいよ、サトル。彼女を軽蔑する?」
「私は人を軽蔑できるほど立派な人間じゃないんだ」
 カレンは笑い出した。
 そしてベラにクイーンを握らせ立ち上がり、サトルに向かって歩いてくる。
「あなたも相当、曖昧な人ね。気に入ったわ。ねえ、でもどうするの?私はこれからすぐに帰国するつもりはないのよ。この国のことも気に入ってるの。しばらくは滞在するわ。だけど、今からホテルに部屋を取るのなんて面倒だし、ごめんよ。だからこのままだと、私はベラのご好意に甘えてここに居すわることになるわね。居すわれば、私はまた彼女を誘惑してしまうでしょうね。困ったわね。大使の権限で、私をルルから追い出せる?それとも貴族に頼んで追放してもらう?」
 カレンはサトルの目の前に来ると、少しだけ顎を突き出し、耳に向かって囁く。
「もしそんな事をするなら、ベラとの仲を世間に公表するわ」
 驚いてカレンを見ると、彼女はニヤリと笑った。
「だって私、この国にしばらくいようって決めたのよ。まだ帰りたくないの」
 サトルはベラに目を向けた。
 ベラは受け取ったクイーンを、膝の上でじっと見つめている。
 サトルはその前に歩いて、床に膝をついた。
「ベラ。彼女をこの屋敷においていくのは心配です」
「サトルさん……。でも」
「彼女には私の屋敷に来てもらいます」
「え?」
「いいですね?これ以上あの女と一緒にいたら、あなたはおかしくなってしまいますよ」
「だけど、サトルさん。私、どうしたらいいの?あなたは私を嫌いなんでしょう?カレンにも出て行かれたら私……。だって、最近はエイミーにも辛くあたって、もう、みんなが私を相手にしてくれないわ」
「嫌いじゃありませんよ」
 ベラを抱きしめ、頬にキスをする。
「もし初めて出会った時に貴女にご主人がいなければ、すぐにでも交際を申し込んだでしょう。あなたはあの頃と少しも変わっていない。彼女との別れ方があのようなものでなければ、今でもきっとあなたに心は向いただろうと思っています。判ってください、ベラ。あなたが私の大事な人だということに変わりはないのです。これからもそうあって欲しいのです」
「本当に、嫌いっていない?」
「ええ。でなければ、何故わざわざここに来ますか?」
「でも、サトルさん」
 でも、でも、でも。
 この女はそれしか言葉を知らないのか?
「カレンを悪く言わないで。彼女は時にあの人だったり、時にあなただったりするの。彼女が悪いんじゃないわ。カレンは何かを感じ取って、それに影響を受けているだけなの。悪い人間じゃないのよ」
「判りました。でも、彼女は連れて帰ります。いいですね」
「カレンが、それでいいのなら」
 サトルはカレンを振り向く。
 カレンはふてぶてしく言った。
「私はもちろんこの屋敷の方がいいわ。ベラは私に優しくしてくれるけど、あなたはそうじゃないでしょう?居心地の悪い大使館になんて住みたくないわね」
「他に手はないよ。君が何を言っても、他に手はない」
 カレンは不満げに腕を組んだが、次第に眉間にしわを寄せ始めた。
 そして頭を押さえて、その場にうずくまった。
 ベラが慌ててカレンの名を呼び、立とうとしたがサトルが止めた。
 そして代わりにカレンの傍に行き、彼女を見下ろした。
「何かが憑依でもしたのかい?芝居なんかやめるんだね」
 カレンは指の隙間から恨めしそうにサトルを睨んだ。
 苦しそうにはしていた。
「ここから連れ出して。この部屋から…。気分が悪いわ」
「卿が怒ったんじゃないかな」
「冗談じゃないのよ…お願い…」
 ベラが背後から声をかける。
「サトルさん、カレンは時々こうなるのよ。サトルさんの言う通りにするわ。カレンをお願い」
「判りました。連れて帰ります。それではベラ、またお会いしましょう」
 サトルは言うと、カレンの腕をつかみ上げた。
 ベラは心配していただろうが、構わずカレンを引きずるようにして廊下に出る。
 カレンは意外に抵抗なくサトルについてきた。
 まるで本当に具合が悪いようだった。
 階段を降りるところまで来て、カレンは弱々しく言った。
「ねえ、ちょっと待ってよ…」
 仕方がないので手を離してやった。
 カレンは階段の手すりにつかまり、息を整えた。
「言うことを聞くから、少し待って、一分でいいから」
 サトルは時計に目をやる。
 一分経ったので、カレンの腕をつかみなおして階段を降りた。
 途中でエイミーと接客係が慌てて二人を追ってきた。
「大使!」
「やあ、エイミー。もう帰るよ。私に構わなくていいから、ベラにハーブティーでも入れておあげなさい。それから、この女の荷物を後で大使館に届けておくれ」
 カレンがエイミーに向かって叫んだ。
「あなたの思い通りになったわね!」
 エイミーは足を止めて、恐ろしげにカレンを見つめていた。
「心配いらないよ。この屋敷には二度と来ないように、この女を説得するから」
 カレンは引きつるように笑い出した。

 カレンを押し込めるように馬車に乗せ、大使館に向かう。
 彼女はぐったりとした様子で座っていたが、しばらくしてサトルを見つめながら言った。
「あまり乱暴にしないでよ。こんなの、あなたらしくないわ」
 あなたらしくだと?
 いつまでそれらしく振る舞えるかな?
 サトルは腹立たしかったので、それには返事をせずに窓の外を見た。
「でも、ありがとう。お陰で少し、気分が良くなってきたわ」
「それは良かったね」
 カレンは鼻で笑った。
「あなたって、本当に口が上手いのね。ベラのことなんか、少しも好きじゃないくせに」
「そんなこと、君に判らないだろう」
「判るわよ。あなたの心の中は氷みたいだもの」
「黙ってられないのか?」
「今は喋っている方が落ち着くのよ。ねえ、どうしてベラを助けたの?」
「煩い女は嫌いだ」
「あら、あなたに嫌われたって平気よ。だって、既に嫌ってるじゃない。今の時点ではね」
 カレンを見る。
「ねえ、教えてよ」
「もしこれが本当にスキャンダルとして世間に知れたら、ベラの立場はない」
「事実を知られて無くなるような立場って、それは元から持ち合わせてなんかいなかったのよ」
「黙らないのなら私が黙ろうか?」
「ごめんなさい。話の腰を折ったわね。どうぞ。大人しくしてるわ」
「国王の逆鱗に触れれば、ルルを追放される。貴族にとって国王の命令は絶対だ。国外で慎ましく生活できる者ならいいが、あいにくベラはそんな術は持ち合わせていない。珍しい国の貴族に興味を持つ輩は世界中にいるだろう。悪習が身に付いた金持ち連中につかまれば、間違いなくベラはそれに取り込まれるだろうね。彼女は優しくしてくれる人間にはすぐに懐いてしまう所がある。相手の腹の中など見えないんだ。君もそれは実践済みだろう?」
 カレンは肩をすくめた。
「私はルルの人間が侮られるのは嫌なんだ。この国をバカにする人間も嫌いだ。だから、ベラがみすみす追放されるのを、黙って見ている訳にはいかない」
「可哀相なベラ。あなたは彼女ではなく、この国を守りたいだけなのね」
「だけではないよ。ベラは友人だ」
「そういう事にしておいてあげる」

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